12/18/2011

母帰る

で、そうこうしているうちに夫のお母さんは予定より早くアラバマに一人で戻っていったんですが
まあ彼女は来たのが臨月前とかなり早くて、運転が苦手なのとあんまり行動的な人でもないのでここではあんまりすることもなかったのもあるし、料理問題が解決を見なかったり(というか悪化した 笑)、狭い家で三人顔つき合わせていればまあ雰囲気が悪くなることもあるよね、ということで、ここらが潮時、だったのかと思う

わたしはわたしで、退院以降も娘の体重が増えないのでめちゃくちゃストレスをためていた 振り返ってみると単純に母乳が足りてない、ということだったのだが、これも自分的にはショックで、実際に子どもを生む前は母乳神話とかかなり懐疑的だったのに、気がつけば母乳育児に異常な執念を燃やしている自分がおり、搾乳したりマッサージしたり、可能なことはすべてやったのだが、結局ミルクとの混合にせざるを得なくなり、今にして思うとそれで全然よかったのだが、当初はなぜだか感情的に受け入れがたいものがあった

母乳のことだけでなく、大変でも自分でちゃんとすべてやりたい、という性格が災いして、いっぱいっぱいなのに人に頼るのはイヤ、という悪循環にもなっていた気がする 夜中に娘が泣き出して、あやしても泣き止まないときなど(今思うと単にお腹が空いてたんだろうが)、お母さんが部屋に入ってきて娘を抱いて連れて行ってしまったりすると、好意でやってくれてるのはわかるがもうどうにもムカーッときてしまい、彼女が赤ちゃん言葉とか自作子守唄(笑)などで娘をあやしているのを聞いただけでイラッときたりとか 独占欲、なのだろうか、こんな感情が自分の中にあったことにとりあえず驚くというか。。。あとは帝王切開になったせいでbondingがいまいちできてない、という気持ちがどうしてもぬぐえなかったのもある 絵に描いたような産後うつの前駆症状じゃん、ということで、はたと気づいて軌道修正したからよかったけど

まあ一月にはまたお母さんたちの家に越してしばらく一緒に住むことになるので、めんどくさいことにならないといいな~と思っているんだけど、今のところは、家族三人の暮らしをようやく落ち着いて楽しんでいる

生まれました

11月27日に無事女児を出産しました
気がつけば今日で娘が生まれて3週間 最初の2週間はもう何だかわけがわからないうちに過ぎていって、ようやく最近いろんなことが落ち着いてきた気がする

まず出産が予定外に帝王切開になってしまって、もうその時点で計算が狂ったのだった ふつうに陣痛が始まって病院に行って、無痛希望なのでエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらって順調に破水して、あとは子宮口が完全に開くのを待つだけ、だったのだけど、これが待っても待っても全開にならず そうこうしているうちに胎児の心拍数が下がるし自分自身は発熱してガタガタ震え出すし、一応ミッドワイフの指示でいきむのもやってみたけど、どうも胎児の頭の向きが悪くて、子宮口に引っかかって出てこられないらしい というわけで、急遽ドクターが来て、位置を手で直そうとするがうまくいかず、結局自分としてはかなり嫌々な感じで、帝王切開となった(回復に時間がかかるのと、高額なので避けたかった) 手術中は寒くて寒くて震えが止まらず、術後すぐ娘と並んで撮った写真があって、いい写真だといろんな人に言ってもらったけど、あのときのコンディションは実はもう最悪だったのだった

生まれたら生まれたで、術後は体が思うように動かない状態で、自分ではよく覚えていないがいろんな管が体から出ていて、胃が何も受け付けなくて水飲んでも吐くし、突然震えが止まらなくなって、これが傷口に響いて痛いの何の、我ながら一体どうやってこんな状態で授乳とかしてたんだろうか 
体が少しましになってからもトラブル続きで、産後72時間で(アメリカは入院期間が短く、帝王切開でもこれくらいがふつう)予後がまあまあいいからもうドクターの許可さえあれば帰宅していい、と言われていたのに、その日に限って主治医がなぜか病室に現れず、帰れない羽目に しかもその無駄な一日の間に、今度は娘の体重が規定以下に減ってしまい、小児科医に娘の帰宅を禁止される始末で、結局母子ともに退院していい状態になるまでに4泊とか?したのだったか

しかも極めつけは(注意:こっから先完全な下ネタです)、退院後4、5日目のことだったと思うが、かつてないほどの便秘になり、もう絶対行くもんかと思っていたERに(しかもそんな用事で)舞い戻ることに 出産当日から鎮静剤痛み止めの類をガンガン使っていて、その副作用で便秘になったということなのだが、溜まった古い便がカチカチになって肛門に蓋をしているような状態で、ヤケクソになって下剤飲んでみたけど、すでに硬くなったものの状態は変わらないので、便秘にもかかわらずその硬い蓋の隙間から下痢もしてるみたいな、、、ああ、汚くてすいませんね 
で、ありていに言うと、ERのロビーで待たされてる間中shitting my pants 状態だったのだ お前が新生児か、みたいな話である 止めたくても止められません的な状態になって生理用ナプキンをもらいにいったりしたので、さすがに不憫に思われたのか、早めに診察してもらえ、その後、もうあえて訳さないけれども、soap suds enemaの処置を受け、一晩かかって、こんなものが自分の体内にあったなんてウソでしょう、というサイズの宿便を無事出産した 本当にもうこれでダメなら死ぬと思ったので、むしろ便秘などという生易しい呼び方で語ってはいけないような気すらする どっちかっていうと臨死体験だね

そんな母の産みの苦しみを知ってから知らずか(?)、新生児もうんこをするときは、これ以上に苦しいことは世の中にない、というような苦悶の表情を浮かべている(赤ちゃんにはよくあることらしい) そうでなくても黒目が大きく、常にちょっと悲しそうな顔なのだ 世界ってさみしいところだなあとでも思っているかのようだ あるいは、ゴッドマザーのSの言葉を借りれば、she already knows life sucks とでも そんな顔を見るにつけ、わが子よ心配するな、世の中の大抵のことは便秘でERに行くよりはましだよ、と語りかける日々である

11/21/2011

ベイビーシャワーの顛末など

気がつけば日付変わって今日で39週目に入る 予定日まで10日ぐらいだが、産まれる気配はいまだなし ただ毎日腹が張って痛いのみ これは父が博論のプロスペクタスを書き終え母の博論の目処も着くまでもうちょっと待つのだぞ、とお腹の子に日々言い聞かせているせいなのか、それとも単に、高齢初産によくあると聞く、なかなか子宮口が開かないというパターンなのか、段々よくわからなくなってきたけど、今のところまだ焦ってはいない とりあえず博論の2章の直しがのろのろと最終セクションまで来たから、あと一週間待ってくれるとうれしい。。でも子が待てなければ、そのときはそのときだ 

で、ベイビーシャワーだが、主催すると言ったSがアル中の時点で(しかもその話が出たとき彼女は泥酔していたので)、あんまりまともに期待してはいけないとは自分に言い聞かせてはいたんだけど、ふつうに流れました 笑

えーとちなみにベイビーシャワーというのはアメリカの習慣で、日本では子どもが産まれてから出産祝いを贈るのがふつうだけど、こちらでは産む側がほしいものリスト(レジストリという)を作って、そこから適当に買って予定日一月くらい前に贈ってしまうのが一般的である

で、そのベイビーシャワーの幹事をやると言ったSは、9月あたりまではああしたいこうしたい、っていうのをよく言ってきてくれて、なんか日本人も呼んでお茶飲んだり日本食食べたりするんだ!(それはオマエが寿司を食べたいだけでは。。。)とかまで言っていたのだが、それはさすがにわたしの方が、ふだん付き合いがほぼない日本人の主婦の人たちとかが酔っ払いとレズビアンの群れに混じっている阿鼻叫喚なベイビーシャワーの図というのをとても想像できなかったため(笑)、ごめんねうち日本人の人たちとあまり付き合いないんだよねもっと小さい集まりでいいんだよ、と言って丸く収めた 

それから一応ベイビーレジストリも作ってフェイスブックでリンクを送ったりもしていたのだが、その後ぱたりと連絡がやみ。。。
10月に入って夫にそれとなく、あれ、どうなってると思う?と聞いたら、絶対忘れてるからあきらめろと 笑 まあSも夫と同じくプロスペクタス書いたりティーチングで忙しいのはわかっていたので、別にしょうがないかとも思ったのだが、それから少し経って夫が会ったら、彼女の目標は「ベイビーシャワーをする」から「子どもが産まれたら料理の差し入れをする」にいつの間にか切り替わっていたらしく、病院に食べ物持って行く!何がいい?と言ってきたそうだ 笑

そんでこないだたまたま電話で話したら、やっぱり差し入れ何がいい?と言われ、しかも、わたしがレジストリのリンクを送ったことすら忘れて、ところでレジストリはある?と聞いてきたので、さすがにをい!と思ったが、まあ仕方ないやね(酔っ払いにはめっぽう寛容なわたくし) 彼女はゲイの人が往々にしてそうであるようにかなりのグルメで、いつもファンシーな食材をふんだんに使って料理をする人なので、もしその差し入れの件も忘れなければ、けっこうおいしいものが食べられるかもしれない 笑

11/05/2011

母来る

少し前から夫のお母さんが手伝いのため来てくれている(ふだんは韓国在住)
すごく物腰の柔らかいいい人で、ネイルサロンに連れて行ってくれたり(pamperingといって出産前に身づくろいするのがこちらの習慣らしいので)、結局つぶれたベイビーシャワー(かなり笑える状況なのだが長くなるので省略)の代わりにベビー用品一式買ってくれちゃったり、とても助かっている

が、ひとつだけ問題が。。。それは、お母さん、かなり料理がヘタ(苦笑)
働きながら子育てしてきた女性にありがちなこととは思う わたしの母親だって家事は全部祖母任せだったので、今でも時々かなり珍妙な面妖なものをこさえることがある 夫のお母さんの場合は、レパートリーがすごく少ないのと、あんまりフレッシュな材料を使わないのが主に問題 けっこう年なのでネットでレシピ検索、みたいな発想もないし、あともともと本人が料理好きじゃないのだと思う 来て早々わたしに気を使って毎晩料理してくれたのだが、子ども用のホットドッグに使われるまずいソーセージと、缶詰の野菜と、ハンバーガーヘルパーの味しかしない料理ばかりが連日出てきて、正直かなりグロッキー気味に 笑 わたしはまあお世話になっているし面と向かっておいしくないとかもちろん言えないわけだが、夫が完全にキレた ふだんからお母さんにはかなりやさしい方なのだが、この料理問題はかなり根深いものがあるようだ(子どもの頃のある年、サンクスギビングディナーが豆の缶詰だったのがトラウマらしい) 一日中何するでもなく家にいるのに缶詰ばかり出しやがって、こんなんなら自分で作るわ!と夫は言い出し、お母さんはショボーンとしてしまうし、何だか大変 しかしそれでも、夫がいないときにふたりで買出しに行くと、やっぱり普通の野菜とかは買わないで、息子にばれないうちに、、、と言って、キャンベルスープを山のように大人買いするお母さん 笑 ああどうやら彼女、なぜ責められてるかあまりわかってない様子 

これはさすがに何とかしないといかん、と夫とふたりだけの時に協議した結果、みんなで買出しに行き、作れるものは陣痛が来る前にわたしと夫とで手分けして作って冷凍、ふだんの食事でも何となく主導権を握るようにしていくことになった あれ?元々こういうことを自分らでしなくていいためにお母さんが来てくれたんじゃなかったっけ? 笑 ともあれ昨日は大鍋でミネストローネを作り、あくまでついで、というさりげな~い感じで(ここ重要)夕食にチキンアルフレードを作った これからあとまだミートソースとチリとカレーととんかつを作るぞ。。。つか博論。。。

10/03/2011

anger control、介護、その他覚書

昨晩遅く実家から電話あり 以下、話した内容を覚書代わりに書いておく
1.以前から足が悪いのに、家を空けられないといって頑なに手術を拒んでいた母親が、ようやく手術を受ける決心をした

2.この前帰国した時点では確か2か3だった父親の要介護度が、母情報によると最高の5に上がっていた(「障害区分」と言われる指標も別にあって、そっちも5なのだそうで)。。。って、かなり、寝耳に水なんですが。 第一、受けられる介護サービスの月額限度も上がってるわけなのに、サービス内容自体(看護師が一日一時間半訪問、週一で入浴介助サービス)が前と変わっていないのはなぜか? 

3.実家の資産状況を把握しておく必要あり(これはつい最近、高齢の親と引きこもりの子のライフプランに関するファイナンシャルプランナーの人が書いた文章を読んで思ったこと)→たとえば父親が亡くなったあと自分にどれくらいの遺産が、といったことはもはやどうでもいいのだが、将来的にまともに社会復帰できない可能性がある弟(あと、今の職を失った場合の兄)は、最悪働けない場合のサバイバルプランを今から立てておいたほうがいいだろうと思う

電話が寝入り端にかかってきたせいもあったのか、気がついたら母親と弟に向かってえらい剣幕で怒鳴っていた ここ最近ずっと、家族のことで心配がある→夢見が悪い→介護のことその他で実家の状況がうまく掴めず、フラストレーションが溜まりキレる→自己嫌悪→振り出しに戻る の無限ループをやっていて、電話を切った後にはああ次からはこんなことはしないぞ、と毎回思うのだが、止められた例がない そして昨晩のキレ方は、我ながら尋常ではなかった えっわたし、何をこんなに怒ってるの?と思いながらも止められず、喋っていても怒りで舌がもつれていた

この無限ループを脱するには、現在の実家の状況を自分がどうにかできる、みたいな幻想を完全に捨てなくてはいけないのだろう わたしには少し、いやかなりコントロールフリークの気があるので、こーんな遠くにいながら、自分がしっかりして何とかしないと、とか勝手に思い込みがちなのだが、家族と言っても人格の独立した他人なので、自分の都合通りに動いてくれるわけがない 落ち着いて話して、よくなりそうなことがあればやんわりと提言するくらいの立ち位置でいないと、怒りすぎて人格が崩壊する また家族のためにいつか日本に帰らなくては、みたいな縛りを自分に課すのもやめようと思う これ、自分だけに向けて書いているのだが、本当に、お前が仕切ってできることは何もありません、もうやめなさい 笑

実はanger controlの本も少し前に買ってみたのだけど、時間があるときだけ、寝る前に10分とか飛びとびに読んでいるだけだし、あまり効果も出ていない 理性的思考でとことん怒りをコントロールするというやり方で、古い本だが後のCBTにも影響を与えた考え方らしい 妙に理屈っぽいところのある自分にはあっているといえばあっているのだろうけど、何かものっすごい理性中心主義なので、文学をやっている人間としてはちょっと引いてしまう 笑 それにやっぱりCBTと同じで、頭では自分の怒りが非理性的な思考に基づいていることはわかっても、もっと感情的なレベルでの落としどころはなかなか見えてこない 究極的には、こういった訓練を一人だけでやること自体が不可能なのだと思う CBTにしても、自分では決して見えてこない思考の盲点を他人に指摘されてハッとする、という社会的やりとりの過程そのものがセラピーの根幹を成しているわけで、自分だけで自分の鬱思考をこねくり回したところで、自己分析としてはうまくいっても次同じ状況になった場合につながるものが何もない ああ、またやっちゃったなあ、自分、みたいな認識が毎度あるだけ

あとはまあ、特に仕事やめてから社会生活というものがないままに論文ばかり書いているのもよくないのだと思う 向かう場が自分だけしかないという状況だと、よからぬこともいろいろ考える 生まれてくる子どものことに集中できたらもっと気持ちも上向きになるのだろうけど、今月本当に正念場なので、なかなかそういう余裕もなく。。。しかし、余裕のない親ほどいやなもんはないし、もっと他人のことを考えてハッとする瞬間を多く持たないと、と、そう思って、腹をなでてみる今日この頃。

9/07/2011

シアトル旅行(1):Panama Hotel

8月末から二泊三日で、夫が学会で発表するのにくっついてシアトルに行ってきた
航空券が恐ろしく高いので最初は留守番の予定だったが、夫が一緒に行く予定だった人がキャンセルして一人だと言うし、子どもが生まれたら当分旅行らしい旅行はできないので、行っておくことにした

シアトルといったら、私的には90年代半ば、ジョディ・フォスターが出演していた森永の「カフェラッテ」のCMが思い出される 「シアトルあたりじゃカフェラッテ」というのがキャッチコピーで、そうか、シアトルあたりじゃこんなコーヒー牛乳飲んでるのか、という刷り込みが、スターバックス進出以前にすでにあったわけだ まあ実際に行ってみても、確かにコーヒーショップは多いことは多い 犬も歩けばスタバに当たるというのは、シアトルでなくてもアメリカの大都市ならどこもそうだが、この町にはそれ以外にもシアトルズベストとかタリーズ(日本にもありますね)とか、その他チェーンでないものも含めてコーヒーショップが目立つ 
あとは、そう、日本人的には、イチローとマリナーズだろうか(MLBに興味がないので、セーフコフィールドは特に見に行かず、遠くから眺めただけだった) そんなこんなでシアトルに対する大したイメージも情報も持たないままに旅行に出て、時間もあまりなかったので中心部しか巡らなかったけれど、なかなか楽しい旅行になった

滞在中は、チャイナタウン/インターナショナルディストリクトにある、日本に縁のある不思議宿、Panama Hotelに泊まった B&B形式のヒストリックホテルで、こういうタイプの宿に泊まるのはアメリカに来て初めてである
ここは元々20世紀初頭に当時の日本町に建てられたホテルで、日本からの移民も多く滞在していた さびれ放題だったのを現オーナーであるアメリカ人女性が買い取って、綺麗にして営業しているらしい 30年代に日系移民がinternment camp(強制収容所)に送られた後彼らが残していった品々も、彼女が保管してその一部を展示したり、ホテル地下に残るかつての銭湯のツアーも行っている

写真はホテルの玄関ドア―-6051/2というのが住所なのだが、番地が「半分」というのは、初めて見た 坂の多いシアトルには典型的な、坂道の傾斜を利用して建てられた建物なので、その関係で「半分」になっているのかもしれない ホテルの隣のティーハウスの番地は、半分ではない605だった
宿はB&B形式で、ダブルベッドひとつの部屋が90ドル(人が一人増えるたびに10ドルプラス) シアトルの中心部としては、悪くない値段だと思う(ちなみにチャイナタウンには、ドミトリー形式の安宿もけっこうあって、そういうところに行けばもっと安くは泊まれるだろう ダウンタウンは、基本的に100ドル以下はオンシーズンでは難しい)

夫がこの宿をネットで見つけ、雰囲気に惹かれてぜひ泊まろうという話になったのだが、オンラインレビューを見ると、えらく気に入ってリピートするまでになる人と、最低だという人と、ぱっきり分かれていた 部屋の古さ汚さ云々については、そんなこと言うなら始めからこの手の宿に泊まらなきゃいいのにと思うが、経営者側の営業態度に対する文句は、まあ正直妥当な部分もある

というのも、なにしろこの宿は、スタッフと連絡を取るのがほぼ不可能に近い 笑 オンライン予約のリンクは死んでおり、電話してもつながらないというのが何日も続いたあと、やっと一人のスタッフが電話を取ったが、予約したい、というと、「調べてコンファメーションのためかけ直す」と言って、その後連絡はさっぱりなく 翌日こちらからかけ直すと、「部屋はたくさん空いてるからjust come by.」と え、予約とか、ないんですか?

実際に現地に着いて、かなり不安ながらも宿を探し当てると、一応人がいて(苦笑)チェックインはすることができた しかし、クレジットカード番号、カードの裏の3桁のセキュリティナンバー、免許書の番号など一式を、宿帳という名のただの紙ペラの裏側に書き付けてその辺に放っていたりするので、大丈夫か?という思いはいや増す そして、何人か日替わりで来ているらしい男性スタッフたちは、それぞれ親切ではあったのだが、引継ぎをちゃんとしない上にオーナーの許可がないと何もできないらしかった わたしたちの滞在中はほぼオーナーには出くわさなかったので、結局銭湯なども見て回ることができなかったし、チェックアウト時にレシートをもらうことすらできなかった――というか、チェックアウトしようとしたら、オフィスに誰もいなかった 笑 あとでクレジットカードの使用歴をチェックしたら、二重に引かれているようなことはなかったので、とりあえず安心した

部屋そのものは、築100年以上の建物にしては綺麗だし、居心地がよくて気に入った(写真--キュリアスジョージは備品でなくてうちのです)
強いて難点を挙げるなら、部屋に風呂、シャワーがないことだろうか ヨーロッパの安宿などにはよくあることだが、モーテル主体のアメリカでは珍しいと思う 女性専用のバスルームは「ヨーロッパ風である」と言われ、確かに猫足のバスタブはあったが、シャワーがなくて使いづらいのと、綺麗に掃除されていなかった(あまり女性客がいないので使われないのだろう)ので、もっぱら男女兼用のシャワーを使っていた シャワーはお湯がぬるくて、ああこれは安宿によくあるパターンか、と覚悟したが、10分くらいでまあまあ快適な温度のお湯になった しかしこれは、冬場は辛いだろう
あと夜中にトイレに立ったら、通り道にある誰も泊まっていない部屋が開け放たれて明かりがついていたので、そんな幽霊屋敷みたいな演出はいらない、とは思った 笑

よかったのは、宿泊客は併設のティーハウスで無料で朝ごはんを食べられるところ(好きな飲み物とデーニッシュやケーキ類ひとつ選べる 飲み物は、ほうじ茶緑茶などもある) このティーハウスは日本町の古い写真なども飾られて、ちょっとしたギャラリーのようになっている

結論としては、古いのと働いている人たちがあんまりプロフェッショナルでないのを気にしない人なら、楽しめるホテルだと思う

8/26/2011

バナナプディング

昨日は夫の誕生日だったので、車で2時間ほどのSt George Islandという小さな島に泳ぎに行った
ここはわたしたち夫婦の行きつけで、いつもは島についてすぐのところにあるパブリックビーチに行くのだが、今回は特別に6ドル払って外れにあるステートパークに行ったら、きれいで、人もほとんどいなくてすごく良かった いつもビーチには盗られたらいやだからカメラは持っていかないのだが、この日は平日で学校が始まる時期ということもあってか人出がほぼないような状態だったので、持っていって写真を撮ればよかったと思う 帰ってきたあとは、夫のリクエストにより、から揚げとマカロニサラダ、味噌汁の晩御飯 それから、昨日から下準備しておいたバナナプディングをバースデーケーキの代わりに出した

バナナプディングというのもたぶん南部のデザートだと思う 夫が子どもの頃、誕生日にはおばあさんに何でも好きなデザートを作ってもらうことができたそうで、いつもバナナプディングをリクエストしたという そういう話はいつもしてもらっていて、ひょっとして作れというプレッシャーがかかっているのかとも思いつつ、もともとお菓子作りあまりしないわたしは放置していたのだった 笑 今回は、いつも誕生日にあまり大したことをしてあげなくて不憫に思っていたので、作ってあげることにした
といっても、見かけがどういうものかというところからわからなかったのだが、この前アラバマのバイユーラバトリーで入ったレストランでちょっとだけ食べたので、その記憶を元に見よう見真似で、最終的にはこのレシピを使って作ってみた  プディングというよりは、カスタードクリームにバナナと、バニラウェハースと呼ばれるクッキー(下の写真に写っている真ん丸いもの)を崩して入れたお菓子、という感じだ
夫はお愛想か今まで食べたバナナプディングでおいしいと言ってくれた(いや、たぶんおばあさんのやつの方がうまいだろう)が、これが何しろ甘い 脳が損傷を受けるんじゃないかというぐらいの強烈な甘さだ 
もちろん南部のデザートは甘くてなんぼ バタークリームたっぷりのバースデーケーキなどは全然好きでないわたしだが、ケーキでないこの手のデザートなら、何となく食べてしまえるほうだ とは言え、作りすぎて大量に残ってしまった

糖尿の検査を再来週に控えているので、本当なら甘いものは控えたいところだが、あと3、4日は夫婦ふたりでこれを食べ続けることになりそうだ ジャンクフードと甘いものが好きな隣人にも密かに処理班になってもらおうと期待していたが、昨夜食べさせたら、「実はフルーツ全部にアレルギーがある」と言って、あまり食べなかった えっ、フルーツ全部?それアレルギーとかじゃなくて偏食なだけだろ、とも思ったが、食べられないもんは仕方がない

まあ夫に喜んでもらえたのでよしとして、黙々と残りを食べよう

8/21/2011

ジョージアピーチをなめてはいけない

ジョージアといえばピーチ、ピーチといえばジョージアというくらい、桃はこの州でも一番の特産物である 黄桃で、この辺のスーパーではフレッシュなものも安く手に入る
わたしは今まで、この桃は大したことなくて、日本の白桃の方がおいしいんじゃないかね、などと言っては、夫(この人はジョージア州の高校を出たので桃には一家言ある)にジョージアピーチをなめるんじゃないと言われていた
ところが最近、行きつけのウォルマートの商品管理のひどさとレジ前のカオスっぷり(人の配置の仕方がめちゃくちゃなので、いつもレジ前に人が足りなくて行列になっている)に耐えかねて、行くのをやめた それで、近所のWinn Dixieという別のスーパーに行って、たまたまジョージアピーチが出ていたので買ってみたら、これがもう何じゃこりゃあと叫んでしまうぐらいうまかった
つまり、ジョージアピーチがおいしくないのではなくて、わたしがおいしいジョージアピーチを食べたことがないだけだったのだ ウォルマートにはあっても硬くて小ぶりのものしかおいてないし、そもそもカリフォルニア産が多くてジョージアピーチ自体なかなか見つからないことが多かったからだ 勝手な思い込みで決め付けてはいけないと、桃に誓って書いておく

思い込みといえば、わたしが住んでいる地域の日本人の人たちはウォルマートに対するネガティブバイアスが強い 確かにうちの近所のウォルマートは上記のような問題があるのだが、市内にはほかにも新しくてきれいなウォルマートもあるし、わたしがミシシッピに住んでいたときは、ウォルマートは町に二軒しかないスーパーのうちの二軒だったから、誰もが買い物に行くし、経営戦略(店員を最低賃金で酷使するので結局社員教育もへったくれもなくなってしまう、中国のスウェットショップで安物を大量生産しているetc)にまつわるネガティブなイメージは別として、特に店そのものを悪くいうような人はあまりいなかった(実際そこの店舗はいろんな点でこの前までわたしが行っていたところよりしっかりしていた)
ところがここでは、ウォルマートそのものをものすごく馬鹿にしていて、話を聞いていると要は貧乏人(i.e.黒人とメキシカン)が行く店では買い物したくないと言っているようにしか思えない人がいるので、一体何なんだろうと思う 品物がものすごくいいとは言えないし、他にも色々と選択肢があるので別の店(PublixなりWinn Dixieなり)に行くというのなら話はわかるのだが、そこに人種にまつわる余計な一言を無神経に添えてくる人たちがいる これはスーパーのことだけでなくて、何でもそうだ もちろん日本人の人が皆そうだと言っているのではないのだが、ここでわたしが日本人の人たちとほとんど交流がないのは、そういう種類の人たちを避けて通ってきた結果でもある

腹立ちついでに書いてしまうが、一度わたしが日本にいるときから知っている人が、「黒人は働かない」ということを真顔で言ったので、本当に驚いたことがあった というのも、わたしはこの古典的なステレオタイプであるところの文句が、19世紀のプランテーションノベルとかでなく実際に21世紀に生きている人の口から発話されるのを、アメリカに来てから二回しか聞いたことがないからだ 一度目は、ミシシッピの初老の白人男性だった 一緒に車に乗っているとき、"Let me tell you a secret..."というから何事かと思ったら、"Black people are lazy." と彼は言ったのだ この人は日本人留学生であるわたしには終始大変親切で、個人的に向こうに行ってから色々と世話にもなったのだが、二言目にはこの手の発言をする人だったので、わたしは決して心を開く気にはなれなかった

やはり、ジョージアピーチをなめてはいけないと思う

おばあさんにもらったBest of the Best Mississippi Cookbookという本のレシピでピーチコブラーを作ったらおいしかったので、下に記しておく

めんどくさがりのピーチコブラー(Lazy Peach Cobbler)
砂糖 1カップ(アメリカの1カップは240mlぐらい)
セルフライジングフラワー 1カップ
牛乳 1カップ
バニラエッセンス 小さじ1
バター スティック一本分(たぶん日本に売っているバターを縦半分に切ったぐらい)
桃 10個(黄桃がよい 実は10個はちょっと多い気もするので、8個ぐらいでもいいかもしれない)

材料を全部混ぜ、油を引いた耐熱容器に入れ、皮を剥いて細かく切った桃を上に載せ、350 F(176℃)に余熱したオーブンで一時間ぐらい焼く レシピには45分とあるが、やってみたらもう少しかかった
生地が桃の上に上がってきて、焦げ目がついたらできあがり あんまり焼きすぎて普通のケーキみたいになるより、ある程度しっとりとした状態で止めた方がよい
バニラアイスクリームを載せて食べるのがおいしい
熟れすぎた桃でも、こうしてコブラーにするとおいしく食べられる

8/15/2011

アラバマの夏休み

10日ほど、夫の両親の家があるアラバマに行っていた
両親はふだん韓国に住んでいて、夏休みにこちらに戻ってきていたが、お母さんの方は早めにこちらを経って夫の姉が住むカリフォルニアに行き、わたしたちが訪れたときはお父さんひとりだった
夫とお父さんはおもに庭仕事(家が建ったばかりで何もないので、土をならしたり草を刈ったり) をして過ごし、わたしはなんだか洗濯ばかりしていたようだ でも、久しぶりに生産的なことを何もしないで、いい息抜きになった

ある日は、家のある場所からMobile湾を挟んで向かい側にある、Bayou La Batre (バイユーラバトリーと発音する)という小さな漁村まで三人で出かけた(地図参照) 


View Larger Map

ルイジアナだけでなく、メキシコ湾岸のミシシッピとアラバマにもフランス人が建てた町は多く、ここやMobileもそのひとつだ 映画「フォレスト・ガンプ」でババ・ガンプ・シュリンプ株式会社が設立されたのは、このBayou La Batreという設定ということだ(日本で見たときは意識してなかったが、フォレスト・ガンプはアラバマ出身なのである 実際にこの漁村には原作者の一族であるGump家というのがあって、夫の母方の一族と遠い親戚にあたるんだそうだ)
ここは一見、ただの南部の小さな田舎町なのだが、ヴェトナム戦争後は飛躍的にヴェトナム系移民が増えたという それから驚いたことに、統一教会(Unification Churchと英語では言う)の建物があった お父さんによると、70年代ごろアメリカの若者がカルト一般に強い興味を持っていた頃に、信徒を増やしたという
ここに来た目当てはお父さんが30年ほど前に来たことがあるというシーフードレストランだったが、たどり着くとつぶれていた ガスステーションで地元の人に話を聞くと、カトリーナの影響で閉店に追い込まれたという 残念だったが別の店でなんとか昼食を取ることができ、いちおうエビも食べた その後は、少し離れたDauphine Islandという島まで車を走らせ、そこから車ごとフェリーに乗って湾の反対側に戻った

ところでいつもなら、アラバマの家にはおばあさん(夫のお父さんのお母さん)がいるのだが、なんかかんかで機嫌を損ねて、ミシシッピの自分の家に帰ってしまったらしい もう帰ってこないでミシシッピにずっといる、と言っているのだが、どうなるだろうか
夫とお父さんに言わせると、この騒動の陰には、今ミシシッピに滞在している彼女のきょうだいのメアリーおばさんという人がどうも絡んでいるのではないかということだ メアリーおばさんという人はふだん南フロリダに住んでいてわたしは会ったことがないが、トラブルメーカーなのでおばあさんに何か吹き込んだかもしれないという
メアリーおばさんは、おばあさんときょうだいなのだが、ひとつも似ているところはないと夫とお父さんはいう
主な特徴は
1.声がでかい
2.いつも酔っ払っていて鬱陶しい(ちなみにおばあさんは酒を一滴も飲まず、自分の目の前では誰にも飲ませない)
3.たまに酔っ払ってないときも素で鬱陶しい
ということだ 
一度お父さんがミシシッピで彼女をイタリアンレストランに連れて行ったときは、店内の他の客と店員全員に間違いなく聞こえるであろう大声でこう言ったという:"This ain't no Ai-talian restaurant!!!! This place must be run by damn Jews from Miama!!!!" (メアリーおばさんは、MiamiをMiamaと発音するのが洗練された言い方だと思っているらしい) その場に同席した家族全員いたたまれない気持ちになったであろうことは間違いない また別の機会に、お父さんがHolly Springsというミシシッピの田舎町に彼女を連れて行ったときには、通りを歩いている黒人を見て、再びものすごくでかい声で、"Look at her!!!!! She must be from Africa!!!!"と。。。

南部に暮らしていると、たまーにこういう、Flannery O'Connorの小説から飛び出してきたような、存在自体が悪い冗談みたいな老人に出会うものだ ちょっと怖いもの見たさで会ってみたい気もするのだが、夫にそういったら、俺はもう全然会いたくないし、そんな南部研究的に面白い人物でも何でもなくて、単にうざいだけなのでやめとけ、ということだった 笑

7/29/2011

軌道修正

夫が応募していた奨学金、ダメだったとのこと
震災の影響で文科省が予算組み直したのか何なのか事情はよくわからないが、領事館から何人推薦できるかわからないと言われ、ひと月以上待たされたあげくのことなので、正直ふざけるなという感じだ 希望受け入れ先機関は社会科学系のかなりよさそうな実験施設があるところで、そこのディレクターの人からも、奨学金もらえたら来てもいいよという承諾ももらっていたので、ああ~なんだか勿体無い

夫婦ともに、今住んでいるところにややうんざりしているので、まだここに当分いると思うと落胆は大きい
日本でもアメリカでもどっちでもいいから引っ越したかったし、要はふたりとも大学院生という非生産的な身分にもう飽き飽きしていて、さっさと人生の次のステージに移りたいという気持ちが強いのだと思う 
夫はまだ3年目の終わりなのでいいけれど、日本で実験が組めないとなると博論の計画自体練り直さなければいけなくなるので、大変だろう まあ、リサーチグラントとかもらえたら短期で日本に行って実験することは不可能ではないのだろうけどね
自分に関しては、本当にいつまでこんなことやってんだ、という感じだ いい加減フルタイムで働いて学んだことを社会に還元したいし、学生ローンの借金もサクサク返したい

出産から間もなくアラバマに引っ越すことも考えて動いていたので、なんだか予定が狂わされたようだが、これもとっとと博論を書き上げろということなんだと受け取って、粛々と作業するしかないわ
実を言うと、日本に住んだら図書館に本が全然なくて、Interlibrary Loanも機能していなくてイヤだなあ、とは思っていたので、自腹で本買わなくても、資料を好きなだけ使って書くための時間を余分にもらったんだと思って、できることはできるうちに、をモットーに頑張ろう。。。

出産までに、何とか2章分書き上げるのが目標!

7/19/2011

なでしこジャパン

すごい逆転劇だった!
わたしも、いろんな意味で起死回生を狙いたいものだ

試合開始は日本時間では早朝だったようだが、こちらの時間では午後2時半と見やすい時間
うちにはテレビがない プラス安く酒を飲みながら見たい人(夫)もいるとくれば、あそこにいくしかない。。。

というわけで向かったのは行きつけのメキシカンレストランだった
ウェイターの兄ちゃんの、なんでコパ・アメリカ見ないで女のワールドカップなんか見てんの的な視線に耐えつつ、パティオ席に陣取る わたしたち夫婦に加え、主に夫の学科の友達とかそのまた友達、ガールフレンドなど、日本人1、アメリカ人6、ドイツ人1、トルコ人1、ルーマニア人1という構成 たいがいみんなアメリカが勝つ方に賭けていたが、うちの夫のなんでやねんぐらいエモーショナルな応援の甲斐あってか?日本がPK戦を制した めでたいことだ

結局2時くらいに席についてて、8時くらいまでいた気がする 
みんな2 for 1 ビールとマルガリータで酔っ払いすぎて、ぐだぐだになる(こういうとき、自分だけ飲めないことのつまらなさよ) 
話の流れで、夫の友人Sがわたしのためにベイビーシャワーをやってくれることになった ベイビーシャワーというのは、主に女性が参加して妊婦の友達のためにプレゼントを買ってあげるパーティーみたいなものなのだが、はっきりいって自分にもSにもぜーんぜん似つかわしくないイベントである Sはレズビアンで自分では子どもを持つ予定がないのだが、最近自分の中で赤ちゃんブーム?らしくて、こういうことがやりたくて仕方がないそうだ Sの企画ならレズビアンと酔っ払いしか来ない非コンベンショナルなシャワーになるんだろうな、わたしはそっちで全然構わないと思ったら、意外にシャワーはシャワーで女性だけでちゃんとやって、第二部から男性も入れて酒も飲めるようにする、とかいろいろ考えているのだそうだ

話の流れで、Sを娘のゴッドマザーにすることにも決まる(うちの夫はカトリックで、一応ゴッドペアレンツを誰にするかいろいろ考えていたところ) Sはお父さんがトルコ系なのだが、お母さんがコロンビア系なので、一応定義上カトリックとして育てられたという なんだちょうどいいじゃん!S本人は、あたしキリスト信じてないんだけど、いい?とか言っていたが、いいんです!ついでに話の流れで隣に座っていたAがゴッドファーザーになる てかAはムスリムなんですけど、いいんですか?いいんです!(多分、いいんです。。。少なくともゴッドペアレンツの一人がカトリックであれば定義上は。。。てかそんな事を言えば、親のわたしがそもそもクリスチャンじゃない)
わたしたち夫婦にもしものことがあれば、SとAが娘を引き取ることになる(まあ別に法的拘束力があるわけじゃないのだが) そうなったら、体育会系のふたりは娘をアスリートにすることに人生を捧げるだろう まだわたしら死んでないのに、ふたりはすでにその話題で盛り上がっていた

調子を崩しがちだったり、根詰めて作業しているときは人に会いたくないと思うこともあって、わたしはこの町ではかなり孤独に暮らしているのだが、こういう人たちが周りにいてくれて本当によかったと思う しかし、ベイビーシャワー、日ごろの不義理がたたってか、来てくれそうな人がまったく思い浮かばない 友達いなさすぎだな自分 笑

7/10/2011

マイアミ州内旅行3

夫の用事が済むと、すぐに車でキーウェストに向けて移動する
事前の計算ではマイアミから5時間ぐらい?かかる予定であったが、実際はそんなにかからなかったと思う
道はUS1の一本だけなので混んでいると悲惨だが、そうでもなかった
キーウェストに向かう途上で有名なのはもちろんセブン・マイル・ブリッジだが、実際に渡ってみると、あれ?もう終わりか?みたいな拍子抜け感があった 南部はけっこう海にかかる橋が多いので、けっこう見慣れた風景だったし、個人的にはニューオーリンズ近郊のポンチャートレイン湖橋(世界一長い橋!)の方がよほど感動が大きかった ちなみにキーウェストに行く場合往復車だとかなり暇だということがわかったので、これから行く人は片方は飛行機でいいかもしれない

キーウェストには二泊して、小さい島なのですることはそんなになかったが、のんびりできてよかった
泊まったホテル(写真参照)がとても鄙びた感じで、雰囲気よかった(しかも安かった)


ビーチに行ければ、と思っていたが、とんでもなくしけた小さい砂浜、、、と言えるものしかなかったので、どうも泳ぐところではないらしい さらに小さな無人島まで行くとシュノーケリングやダイビングにいいところはあるそうだ
ビーチでは、海水に浸食され海藻だらけの砂の上に、どうしても体を焼きたい若い子と、Tバックに、何と言うのだ?角隠し?みたいなものがついた小さな小さな水着を着たおじさんが横たわっていたのみであった そういえばキーウェストは、ゲイの聖地でもある

とにかく泳ぐのはあきらめて、目玉のひとつであるへミングウェイ宅に向かう 昼前で、人でごった返している中、寝室、書斎など見て回る 庭に出ると、話には聞いていたが猫だらけ、猫まみれ ペットソサエティによってきちんと管理されているらしい
へミングウェイが六本指の猫を珍しがって、増やすことにしたのが始まりらしいが、今現在いる猫たちは五本指と、六本指と半々くらいらしい
いそいそと写真を撮って回っていると、木陰に隠れた老巨猫が、六本指の足をいかにもめんどくさそうにこちらに差し出してきた きっと来る日も来る日も人間たちが来ては、指が六本かどうか確認しようとするので、前もって足を出しておくことにしたのだろう


ほかにも夕日がきれいな場所とか、合衆国最南端ポイントとか、US1の基点と終点とか、おいしいシーフードレストランとか、いろいろあったのだが、長いので省略
最後に、キーライムパイが本当においしかったことだけ付け加えておく
キーライムという普通のライムより一回り小さいもののをふんだんに使ったパイで、実は今住んでいるところでも食べられるので、そんなに期待していなかったけど、これがところがどっこいまさに本場の味という感じで、よかった

フロリダ州内旅行2

毎週一定の量の原稿を指導教官のところに送る手筈となってるので、なかなかブログも更新できない
昨日今週分を出したので、今日は時間的に少し余裕がある


でマイアミだが。。。
何かもう記憶が薄れてきたが、とにかく先述の車のトラブルのせいで、観光に使えたのは一日だけだった 夫が朝早くから日本領事館に出かけていったので、わたしもそれに合わせてホテルを出て、電車とバスを乗り継いでマイアミビーチ市(グレーターマイアミと言われる本島部分に面した小さい島で、ビーチだとか人が一般的にマイアミの観光地と言って思い浮かべるような場所はここに集中している)まで出かけていった
電車やバスの中は、スペイン語が飛び交っていて、州内のほかの場所とはやはり違うという印象
ダウンタウンのバスターミナルは、ホームレスがたむろしていておしっこ臭かった 土地勘がないのであれなのだが、雰囲気のよい場所とよくない場所がめちゃくちゃに入り組んでいる気がする(ただし昼間歩く分には特に身の危険を感じたりはしない)

マイアミビーチに着き、サウスビーチの大通り沿いのアールデコ建築を見ながら歩く
パステルカラーで四角い建物のほとんどはホテルである




アールデコ建築群は20年代から40年代初頭にかけて建てられ、装飾性とか流線型が特徴とのこと 今の視点で見るとまあポップでかわいらしいのだが、当時としてはキッチュで俗悪な成金趣味だったのだろうか
今、ちょうど20年代から30年代辺りを博論で扱ってるので、この時代のフロリダに関する歴史書も読んでいるが、20年代のフロリダは空前の土地ブームでマイアミ中心に州が大きく発展した時代 これらの建築群は、その名残でもある

しかし、恐慌の影響もあって観光地としてのマイアミは徐々に寂れていき、80年代初頭辺りには治安も最悪だったとのこと 「スカーフェイス」はこの頃のマイアミでロケしたんだそうだ 確かに、雰囲気の悪さはよく出ている 笑

そこはかとない寂れ感と退廃というのは、実は今のマイアミビーチを歩いてすら感じられる 何かとにかくホームレスと前夜に飲みすぎて行き倒れている人が多く、一見きれいな屋外型ショッピングモールもそこら中おしっこ臭い
全体としては、(寂れ感も含め)何だか熱海みたいだ ホテルが建ち並ぶ海岸通りはあの、お宮の松がある辺りに、どことなく似ていた

本当はマイアミビーチを出てからダウンタウンに戻り、リトルハバナをふらついて見たかったのだか、時間がなく断念
まあおしゃれでも何でもないし特に何があるってわけでもないのだろうが、サンティリア(ヴードゥーのキューバ版のようなもの)グッズの店なんかあるみたいで、ちょっと面白そうだった
実は日本領事館はこのリトルハバナとかなり近くにあるので、あとで夫に言ったら、行ってみたかったみたいで残念がっていた
キューバの料理とか、せめて道端でエンパナーダ(中南米の人がよく食べる具入り揚げパンみたいなもの)でも買って食べられればよかったなと思う

6/28/2011

お知らせ

博論が忙しくてなかなかブログに当たる暇がなかったんですが、Facebookにも書いたのでここを読んでくださっている方々にもお知らせしておきます


この度子どもができまして、11月に生まれる予定です 性別は女の子です
現在はちょうど18週あたりです(たぶん日米どちらの数え方でも五ヶ月)
もう少し早くご報告できるとよかったのですが、わたしは流産経験が2度あり、初期の頃は流産防止のためにホルモン剤を服用していて妊娠継続できるかやや不安があったのと、13週の超音波検査で胎児にNTと言われる首の後ろの浮腫が見つかり、染色体異常(ダウン症など)のリスクがあると言われたので、prenatal diagnostic test これは日本語では出生前診断テストというのか?を受けたりして、なかなか安心してみなさんにご報告、というところまで行きませんでした 


わたしが受けたのは、日本ではたぶんまだあまりメジャーでない絨毛検査(Chorionic Villus Sampling [CVS])というのと、あとアメリカですらメジャーでない(ということは保険が下りないかもしれない)panel arrayとかいうDNAがどうしたこうしたみたいな難しい検査でしたが、CVSの結果メジャーな異常は見つかりませんでした 後者の方は、NTの原因を念のため詳しく調べるためのもので、まだ結果が出ていません

結果として重大な障害などは見つからなかったけど、この検査を受けている時期は何かとストレスフルで、博論も手につかなかったです わたしたち夫婦としては、胎児に重篤な染色体異常が見つかれば精神的にも経済的にも育てていくことは無理なので、妊娠は継続しないということで意見が一致していて、もし運良く再度妊娠できて、さらに同じような結果となっても、結論は変わらない、その後もう子どもができなくなれば、夫婦二人でやっていこう、というところまで話し合いました かなり濃密な話し合いでお互いの意見がクリアになったのはよかったけど、こういったすべてのことを本当に2日ぐらい(CVSは13週までしか受けられなくて、時間がなかった)で詰めなくてはいけないというのは、しんどかった 
あと、こういう決断を迫られるのは確率的にやっぱり高齢の人が多い 35歳を過ぎるとダウン症のリスクは一年毎にうなぎ上り、というのは昔から情報としては知っていたけど、自分の身に突きつけられるとやはり、きついです それに高齢妊婦さんの中には不妊や不育治療を経て妊娠に至った人も多いわけで、そういう人にとって出生前診断は必要だけれど、検査後の選択は、どうすることを選ぶにしろ大変なものに違いないと思います

高齢出産って、大変なのね 無事妊娠して継続できるという段階に行くだけでも、けっこう時間かかったので、身にしみて感じます

 とりあえず今は、元気にやっています というか、毎日博論漬けです 子どもが産まれた直後は、やっぱり時間が取れなくなるだろうから、今が勝負です

で、旅行の話の続きはどこに行ったんだという話ですが、追ってすぐ書きます もう記憶が薄れつつあるが。。。

6/21/2011

フロリダ州内旅行1

というわけでフロリダ州内旅行に行ってきたのだが

実は初日に車のトラブルに見舞われて大変な幕開けとなった
うちの車(Chevyのインパラ 通称モンキー車)は計器類が全部壊れているのと時々エンジンがかからないことがあるのと時々ガス臭かったりなど満身創痍なので、旅行前にアラバマに行って、夫のお父さんの車(ヒュンダイのジェネシスというファンシーな車)を借りてきたのだが、朝4時半に家を出てまだ暗い町を走っていると、まだインターステートの合流にも差し掛からないうちに右後輪がパンクする そこで真っ暗な中、夫がスペアタイヤと取り替える 他の車もちらほら通り過ぎていくが、誰も止まって助けようとはしない これがミシシッピだったら、最初に出会うレッドネックのピックアップトラックが止まってくれるだろうに、と夫言う ほんとに都会は冷たい

苦労してタイヤを付け替えた末、とにかくこのまま走り続け、めぼしい町でタイヤ屋を見つけて交換するか、家に戻ってこの町の店が開くのを待つかで迷ったが、結局家に戻ることにする タイヤはブリヂストンのだったのだが、ネットで調べて電話するとどのタイヤ屋もうちの車の型に合うタイヤを置いていないみたいだし、ワランティが利くというのもあって、ヒュンダイのディーラーでタイヤ交換してもらうことにする

ディーラーに車を入れて待っていると、担当の兄ちゃんが「ちょっと。。。」と言って夫を呼びに来た もうできたのかと思ったら、どうやらただのパンクではなく、中心の金属部分を太いボルトのようなものが貫通しているという そんなことってありえるのかという感じだが、実際に見てみたら金属にばっちり穴が空いていた この部分もろとも交換できるかと聞くと、どうもタイヤ自体珍しい型のもののようで、店中のジェネシスを探し回ったが同じ部品を使ってるものはなく、カリフォルニアまで注文しなければならず、それには早くても2日かかるという

この旅行は単に遊びではなく、夫がマイアミの日本領事館で奨学金の面接を受けるという目的があり、面接は明日午前なのでどうしても今日中にマイアミ(車で8~9時間)までたどり着かなくては行けないことを伝えると、兄ちゃんは話のわかる人で、偉い人に掛け合ってくれて、ディーラー側が車を直している間の分のレンタカー代を負担することで、すぐに出発できることになった 修理期間を超えての追加料金はこちら持ちになるので、予定していたHurstonとRawlingsに関する土地巡りはあきらめることになったが、行けないよりはずっとましだ

気をよくしてディーラーの隣のエンタープライズ(レンタカー屋)に行くと、すごく混んでいてカオス状態になっている
従業員は5人くらいいるから人手が足りていないのではないのだが、仕事ができる若い兄ちゃん1人とあと無能4人、という構成で、しかも客が、事故ったけど別の車に代えて借り続けたいのだが保険が下りないとか、21歳未満だから特別な車しか貸せない(?)とかちょっとめんどくさい感じの人が多く、無能のうち1名がうまく仕事を裁けないでいると、有能な兄ちゃんがそれまでやっていることを放り出して助けに行く、ということをしているので、なかなか人が捌けない わたしたちは書類関連はさっさと済ませて車が上がってくるのを待っているだけだったが、待てど暮らせど車がこない 結局このレンタカー屋に来てから、4、50分はかかった気がする

ようやく用意された車を見ると、しけたダッジのハッチバックで、工場に入れた車のクオリティーに合わせて用意してくれるんじゃないか、レクサスとはいかなくてもせめて日産のアルティマとかが来るんじゃないかなどと勝手に期待していたわたしは、かなりがっくり来た(たぶん一番安いプランしかディーラーは負担できないのだと思うので、仕方がないが) わたしは全然運転しなかったのだが、ハンドルは軽くてくるくる回ってしまうし、ハッチバックで後ろの窓が小さいから車線変更の時全然よく見えないし、旅行中はずっとI hate this carと言っていた

何だかんだでようやく出発できたのが11時半、この朝最初に家を出てから、実に7時間経っていた

(もうここまで書いただけで疲れたので次に続く)

6/05/2011

ところで

今週前半から、マイアミ、キーウェスト方面に旅行に行くことになった
楽しみだ~
たくさん写真を取って、ここにも載せようと思います

調子如何に振り回されないには

(重い内容ですので、苦手な方はスルーしてください)
↑これは他人のブログでよく見る表現だが、自分が使うとは思わなかった 笑














仕事をやめて五月はバリバリ博論書くぞ~、と思っていたのが、盗作の件の事後処理(学生側がわたしの処分を不服とする申し立てをし―どういう面の皮かと思うが以下略―全てを投げたつもりでいた学部長も夏休みに入ったため、結局わたしの側で詳細な証拠書類を作成することになった)に追われたり、夫の甥っ子の洗礼式のためにミシシッピデルタに行ったり、その他いろいろ懸案事項が出てきたので、一行も書けないうちに六月になってしまった

やはり、こう目まぐるしくいろいろあると精神状態も不安定になりがちなもので、最近はもうCBTはやってないけれど、自分の状態についていやでも考えさせられる
単刀直入に言うと、今まで何度かうつ病が再発しており、治療を経て今は投薬なしでやっているのだけれど、はっきり言ってもう自分の場合、もう二度と再発しないぞ!などと息巻いてやるのは無理があるというか、たぶん逆に調子が悪くなるのではないか つまり、「先天的」な問題が自分にはあると思うので、「完治」を目指すのはおそらくあんまりいい考えではない

精神疾患の先天性は議論の余地があることなのかもしれないが、自分としては別に後ろ向きになっているのではなくむしろ前向きで、自分の状態をよく知って、調子如何に振り回されるのではなく自分自身で調子をコントロールしていたいからこそ、こう思うのだ(全ての人に当てはまるわけではもちろんない) まあ今現在は事情があり投薬はNGだし、なくても大丈夫だな~というのはやせ我慢でも何でもなく、実感としてあるので日々くよくよしているわけでもない

なぜ「先天的」ということに思い至ったというと、我が家は精神科医もびっくりの華麗なるファミリーヒストリーがあり、家族ほぼ全員がメンタルヘルスに問題を抱えているからだ
えーまず、母親は精神疾患で二度の入院歴がある(診断結果は「神経症=ノイローゼ」だったそうであるが、これは昔のことで田舎のことなので、今なら別の診断がつくかもしれない)
父親はいつも自称躁鬱とか鬱とか言っていて、なんだかわたしにはよくわからないが、結局きちんとした医者に診てもらったことは、たぶんない ただ、十代の頃から睡眠薬依存があり(これは実は心理的なものだが)、自分同様情緒不安定になりやすい人である
兄は、自閉症(か、別の発達障害の)疑い例である 振り返ってみると昔は親もわたし自身も、いつも彼のことを知的障害と健常のボーダーラインのようにみなしていたが(というのは見るからに学習障害があったので)、世間体を気にしたのか、どこに話を持っていくべきなのかわからなかったのか知らないが、親はついぞ専門家に相談しなかったし、今も結局よくわからないまま放置している  兄は今は仕事がありぎりぎり社会生活が営めているが、常に首になるか、本人が周りとやっていくことにストレスを感じてやめるかの瀬戸際である
弟は、3年ほど前に統合失調症を発症し、予後はいいのだが自宅療養中で、母親とふたりで父親の介護をしている
やっぱりこれだけ病歴が出揃うと、自分の病気も単に「ストレスが原因です」とは到底思えない

思い出してみると、わたしがうつ病だと診断されたのは高校の時だったが、はじめて本格的に調子を崩したのは、13歳で中学一年生の時のことだ 知人の中には、どこからそんな話が出てきたのか、わたしのことを元暴走族とか思ってる人もいるのだが、自分にとって13歳の頃は親に反抗して不良の真似事みたいなことをしていた時期ではあったのだけど、もう全然そんな華々しい?ものではなかった

冬休み前の終業式の日だったか、何かしら学校でいやなことがあり(今となってははっきりとは覚えてないのだが友人にいやなことを言われたとかだと思う)、いや、これはもう死ぬしかない、と思い詰め、学校の帰り、近所の造船所の脇の空き地に行って、おもむろに雪の中に横たわった(たぶん凍死するのが一番気持ちよくて楽だとかマンガに出てきたのを真似したのだと思う) まあ結局日暮れには、寒いなあ、とか言ってふつうに家に帰ったのだが、わたしのコートの背が濡れているのを見た母が、造船所のおっさんにレイプされたのかと勘違いして逆上したので、わざわざ母親を連れて寝ていた場所に戻って、はい、ここで一人で寝ていただけですとか言って納得させねばならず、非常にめんどくさかったのだがそれは余談である 
年が明けて始業式が来ても、わたしは学校に戻らなかった そこから遠くの学校に転校するまで、一年余あり、その間親戚に預けられたりなどもあったが、基本的に自宅では何をしてたかというと、文字通り起き上がれなかったので、トイレに行くときと腹が減って台所に行って食べるものを探すとき以外は、床に臥していた 今振り返るとうつ病の始まりはここだったのかなあ、と思うが、自分にも親にももちろん病識がないし、頓珍漢にも大学病院の内科に連れて行かれ、自律神経失調症だとか言われて帰ってきたぐらいのものだった

この時期のことを客観的に振り返ってみると、まあもちろん学校で人間関係のトラブルは多分にあったのだが、たとえば自殺に追い込まれるような「いじめ」を受けていたというのではなかったように思う 大体、中学校というのはもちろん多くの子どもにとって夢のような楽しい場所ではなく、大なり小なりいやな目に遭ってストレスを抱えている子も多いと思うのだが、たとえ学校に行けなくなることがあっても、床から起き上がることができなくなるまでの弱り方をする13歳って、数としては多くないんじゃないだろうか だから、もろもろの出来事は病気のきっかけではあるのだが、原因ではないだろうと思う もともと脳内のセロトニンの量に問題があって、対人ストレスがきっかけで状態が悪くなったということじゃないだろうか

自分は対人ストレスが引き金になって抑うつ状態に陥りやすい、ということはもうこれまでの経験でよくわかったから、気持ちの吹き振りにかき乱されないように自分自身が気をつけ、かつ無理をしているときにはそれに気づいてすばやく対処できるようにしておかないと、今後迎えるいろんなライフイベントを乗り越えていけないだろう ま~もう大人だし もうひと月で36だし、持病があってもやり過ごせるようになりたいんだよね

という話。

5/09/2011

フライドオクラとアメリカンフラッグと

南部は北米では一番オクラがよく食べられる地域のはずだ
しかし南部におけるオクラの調理法は大きく分けて3つしかない
すなわち
1)フライドオクラ
2)オクラのシチュー(これは、ジョージア南部でBrunswick Stewと呼ばれてるものとたぶん同じものを指していると思われる オクラとトマト、たまねぎ、コーン、何かしらの肉(ベーコンなど)などを煮て作る)
3)オクラのガンボ(これはルイジアナミシシッピアラバマにおけるメキシコ湾岸周辺の、いわゆるクリオール文化圏で食べられる)

しかし、アマゾンに注文して届いたばかりの料理本Janis Owens, The Cracker Kitchen によれば、
4)オクラのピクルス(Pickled Okra) というのもあるらしい よかった、バリエーションが増えた

今晩はこの前夫が作ったレッドビーンズアンドライスが冷凍庫に残っていたので、おかずにとフライドオクラを作った 食べながら、ビンラディンが死んでから町でUSAコールをする学生たちのニュースが日本でずいぶん流れたのか、何だかもうアメリカ人全員狂ってると思ってる人もいるようだが、みたいな話をした ああいうのはやはり、何かにつけ酔っ払って騒ぐ機会を手薬煉引いて待っているアホ学生のすることであるから、特に心配もしてないのだが、そこから話が飛んで、そういえば南部のレッドネックはいつの間にかずいぶんナショナリスティックになった気がする、と夫が言った

これはわたしも確かに気づいていた たとえば自分が研究している30年代の南部のワーキングクラスというのは、(当然南北戦争時代の名残でもあり、また禁酒法下の酒の密造とか大恐慌後のニューディールとか同時代的な問題も絡んでいるが)とにかくアンチ連邦政府の介入、アンチ法律一般、アンチエスタブリッシュメント、権力と名のつくものは大嫌いなアウトロー度満点な人たちなのであって、当時のカントリーソングの歌詞にしてもそうしたアウトロー性を歌ったものが多かった

それが、これは前にどこかにもう書いたことがある気がするが、気がつけば今ではカントリーはアメリカ万歳、家族の価値万歳みたいな保守層の価値観を代表するような音楽ジャンルとなっている(というか今のカントリーなんて、音の作り自体はありふれたポップソングでしかなく、よくよく歌詞を聴いてみると、俺がクォーターバックで彼女がチアリーダー、ピックアップトラックがどうしたこうしたでイェ~イ♪とか言ってるので、その時点で漸くああこれはカントリーなのねとわかる程度のものに成り下がっているが) それに呼応してか、アウトローとしてのレッドネックも、今この時のような機会をここぞとばかりに捉えては、やれアメリカ万歳、外国人と非キリスト教徒は出ていけだのという保守的な愛国主義の代表者になったということだろうか

夫はこの流れはやはり911以降でないだろうかと言っていたが、実はこれはもっと昔から始まっていたのじゃないだろうか 自分の感じとしてはやはり80年代のレーガン政権下のある時点、テレビを通じて米国民の経験が均質化していった頃が分岐点かなあという気がする 『ロッキー4』的なアメリカが、南部を捉えてしまったのだろうか そのうちレッドネックも南軍の旗を飾るのをやめて、アメリカンフラッグだけになったりして…

そんなことを考えながらもりもり食べきったフライドオクラのレシピ:

1.オクラの輪切り適量(冷凍オクラの場合、電子レンジで解凍しておく)を、少量のミルクに浸しておいて粘り気を出す
2.コーンミールと小麦粉を2:1の割合で合わせる(夫はもっとコーンミールの割合が多いほうが好きと言ったので、次はもっと増やしてみる)
3.粉のミックスに、塩こしょう、カイエンペッパー、ガーリックパウダーなどを適量足し、味をつける(ケイジャンシーズニングで代用してもよい)
4.オクラを3.にしっかりつけて、油で揚げる
おいしいよ!

5/04/2011

隣人その後

前のブログの時から何回か書いてきている隣人の女性問題(プッ)だが
最近はどうも今の彼女(美人で巨乳で美脚のセクシー・プエルトリカン)と別れたがっているらしい
理由は、ついこの前卒業した彼女が、結婚をちらつかせているかららしい 隣人は以前は結婚ベースのGC取得に興味深々でわたしにいろいろ手続きを聞いてくるくらいだったのに、要は自分が卒業したあとは国(NZ)に帰りたくなったのだ 彼女がいないところでは、みんなにアメリカにはいいピアニストいっぱいいるし、仕事見つからないからNZに帰る帰ると言いまくっている

わたしはもうずいぶん前から彼の女性関係のだらしなさにはもう呆れきっていて(だって、現彼女のアトランタの実家に寄って親に会ってから直後に飛行機で韓国に飛んでクリスマスを元カノと過ごすという、しかもそれは単にアトランタ発の安いチケットが取れたからそうしたに違いないという、ちょっと常識では考えられない離れ業をやってのけているので)、今回の話にはもう驚かなかった

ただムカついたのは、彼がこの件、逐一父親に報告して同意を得ようとしていることだ
隣人は白人とサモア系のハーフで、白人のお父さんは会社社長かなんかしているお金持ちで、暇をもてあましているので、しょっちゅうここに遊びに来る(実は今も来ていて、今日から親子でディズニーワールドにお出かけ中) お父さんは悪い人じゃないが、一人よがりで典型的なヘリコプター・ペアレント(過保護な親の意)だ 元カノのことも大嫌いで、別れてせいせいしたと私たちにまで言ってくるような人だ(まあそれはわからんでもないが。。。) で、お父さん、どうも今の彼女のことも好きじゃないらしい だから別れたいという息子の相談に乗りまくりらしい

これはわたしにしたら本当にひどい、というか、プエルトリカン美女はこのお父さんに好かれようともう不自然なまでに努力して頑張っているし、卒業してもわざわざこの町に留まるために、聞いてもよく内容がわからないネズミ講みたいな仕事まで見つけてもう働きはじめているのだ  そんな彼女の涙ぐましい努力を尻目に、親子であーだこーだ別れる算段整えてると知って、なんだかこの人たちがいやになってしまった

夫は、これは隣人のせいじゃなくて、過保護な親のせいでなんでもかんでも親に話さないと気が済まなくなってしまったんだろうと言うのだが、わたしの感覚からしたらイヤーなんだか気持ち悪い 親に恋愛の話なんかついぞしたいと思ったことがないもの

隣人は何かとサモアンは家族の絆が強いから、と強調するんだけど、こんなの文化的背景と別に関係ないのではないか 現に彼のサモアンお母さんは、とても物静かで知的な人だが、元カノにも今カノにも平等に優しく、こんなことにしゃしゃり出てこない 大体ここには一回しか来ていないし。。。

とにかく、まだお父さん当分いて、よくうちとも一緒に遊びたがるので、正直歓待し続けるのもちょっと苦痛になってきている ディズニーに出かけて行ってくれて、ちょっとほっとした

余談:わたし自身忌み嫌っていた件の元カノだが、日本の地震のすぐ後、心配してフェイスブックにメッセージをくれた 彼女はその前のクライストチャーチの地震にもひどく心を痛めていたそうなので、日本のことも他人事とは思えなかったのだろう このときはさすがに、自分ってなんて小さい人間なんだろうと、情けなくなった

仕事終わり。。。いや終わったのか

この前のエントリーは、書いたら書いたで胸糞悪くなったので消してしまった
ちなみにこれを読んでくださっているリアル友人の皆さん―ここでわたしが書いているもろもろのことをどうぞ共通の知り合いとの間でネタにしないでいただければ幸いです それだとブログを移転した意味が、なくなってしまうからです

さて学期末
成績つけてつつがなく晴れやかに仕事納めと思っていたら、学生の一人がファイナルペーパーで盗作した こちらでは、教員が自由に使える盗作を見破るためのソフトがブラックボードという授業管理システムに標準装備されており、それを通してペーパーを提出させるため、ふだんは盗作を不注意にしてくる人間は基本的にいないのだが、件の学生のペーパーは、実に66%が複数のインターネットソース(他人のブログだのオンラインレビューだの)と合致するというとんでもない盗作っぷりだった 

さすがにこれに成績をつけることはできないので、そのペーパーには0点をつけた あまりにも明らかなケースだと思っていたら、本人が白を切るようになんで0点なんですかとメールで言ってきたので、あなたが盗作したからですよ これくらいの割合がインターネットソースのパッチワークで、ただのコピペだけではなくところどころ微妙に言葉をドロップしたり入れ替えたりしてあるし、他人がさらに別の他人を引用してるのを丸々コピーしていたりして(これは盗作っていうか孫引きをしたらいけませんという例だけど)、見るからに意図的だから点はあげられません、と伝えた

すると学生は、反省するどころか逆ギレし、「これは全部直接引用で、引用元を示すのを忘れただけだ。確かに引用は多すぎるかもしれないが、盗作の部分は一切ない」と無茶なことを言ってきた
しかし、こちらが詳細に渡って読解した限りでは、盗作とされた箇所で直接引用として意味をなす箇所は、全体のうちわずかに二箇所で、あとは引用符を付けたりブロッククォートしたってまるで意味をなさないのだ だってただのコピーをあたかも自分の意見であるかのように使って、パラフレーズも何もしない、「誰々によれば」の但し書きもない、引用を示したあとに自分の解釈を書いてるわけでもないのだから
学生はたとえば「某有名批評家の議論は自分のペーパーにどうしても必要で、いろんなソースから引用する必要があった」などと詭弁を展開するのだが、その実この学生がやっていることは、その批評家を引いてる他人のブログをコピペしてるだけで、原典に当ってすらいないのだ 
第一、全体の66%が引用で成ってるリサーチペーパーなんて、あるわけないだろう

この時点で学生が自分がしたことを認めて謝ってきていたら、時間は少しは残っていたから、いちから書き直させて提出させるという措置も正直ありだったと思う(どれほど多くの教員が、めんどくさいというだけで盗作を届け出ずなあなあに済ませていることか) しかし、わたしはこの学生に、自分のしたことの結果を受け止めてほしかったし、言えば何とかなるという風に勘違いしてほしくなかった 学生が盗作の定義をそもそも理解していない可能性もなきにしもあらずだが、学年と本人のメジャーの性質(書くこと自体が仕事であるようなメジャー)からして、盗作の何たるかを知らないでここまで来ているというのはちょっと考えにくい

学生がこうしてゴネてきたことで、もうこれはダメだな、と判断したわたしは、結局学部にこの件を報告した(本来は内々に解決するのでなくて、報告する義務があるので) 学部長はわたしが仕事をやめることを知っているから、すべてこちらに任せなさいといってくれた 学生は学部長と面会して、やったことを認め、今の成績(D)を受け入れますという書面にサインしなくてはならない サインを拒否すれば、もっと大きい組織の元で公聴会が開かれることになり、そこで盗作であったか否か、ペーパー0点であったか否かが判断される(でも別にそれ以上のペナルティーがあるわけではない)

しかし、このことを学生に伝えたところ、さらに逆ギレし、なんで盗作だと思うのか説明もしないくせに(いや、最初の時点でしましたけど)、教員と学生の間で解決できることを大事にしやがって、教師だから何でもできると思ってるのか、もう休みだから町にはいないしそんなクソ書類にはサインしないともう言いたい放題 事態はわたしの手を離れているので、もうこのメールには返事出していないのだが、公聴会に自分が出席する可能性も退職しているとはいえまだゼロではないし、その後学生が学部長に連絡を取ったかどうか聞いていないので、なんとも歯切れの悪い学期末になってしまっている

このことをつらつら考えていると思う―もしかして自分の措置は厳しすぎたのだろうか 実はペーパー提出には別の文脈が少し絡んでおり、この学生とそのガールフレンドは締め切りまでにペーパーを出してこなかったのだ(授業中にペーパーについてアナウンスしたとき彼らは最前列に座って聞いてたのですがね) ガールフレンドの方が、締め切りを2日後と間違えていた、今から出してもいいかというので、今日の午前12時までなら許すけど、それ以降は1日20ポイント減点だよと伝えた 自分としては、ペーパーのアナウンスメントにはそもそもいかなるLate Submissionも受け付けないと書いていた(そう言っとかないといくらでも遅れて出してくるやつがいる)から、それに比べたら甘いくらいだと思っていた そうしたら、ガールフレンドからそれを聞いた学生は、12時までに出そうとしたのか、とんでもないペーパーを送ってきたのだ
学生の立場としては、わたしが締め切り後の提出のペナルティーを出してきたので、急いでたからああなったという言い訳をすることが可能だと思う 実際学生が学部長に話したり公聴会に出る機会があれば、そういうのはこの人の自由だと思っている

しかし、どんなシチュエーションであっても盗作は正当化できないし、書くことを中心に大学で学んでいる人間に、それがOKだとは思ってほしくない あんたが出したのはいかなる点から見てもリサーチペーパーとは言えないんだよ、これを認めたら高等教育自体がジョークになるんだよ、そして、そんなペーパーを出してしまったのは時間がなかったこともあったかもしれないけど、間違いは認めて先に進めばいいじゃん Dひとつ取ったぐらいで人生終わるわけじゃなし わたしだって学部時代にD取ってますけど。。。who cares?

ということを言ってやりたいけど、たぶん学生の心には響かないだろうなあ これから教授評価サイトとかで、あのジャパニーズビッチがとか言って罵詈雑言の限りを書かれて復讐されるかもしれないな でもそれだって、もはやwho cares? だけど

まあ、なんとも気持ち悪い幕切れだよ。

4/02/2011

マルディグラ考

地震のことがあり、書く機会を失ってしまっていたのだが、春休みにはニューオーリンズでマルディグラと言われるカトリックのお祭りを見てきた ニューオーリンズ自体は3回目だが、マルディグラの時期に行くのは初めてでとても楽しみにしていた

マルディグラとは、フランス語で「太った火曜日」 という意味 このシーズン通して行われているカーニバルの、クライマックスの日である 次の日の「灰の水曜日」からは、カトリック教徒は日曜以外は肉食を控え、魚や豆などでプロテインを補給して節制を試みる うちの不真面目なカトリックの夫も、今年は魚ダイエットを可能な限りやるというので、わたしも付き合って、魚を食べてます

祭り自体は、もちろんカトリックといっても一方ならぬバリエーションがあるが、NOのマルディグラはいろんなクルーがフロートと呼ばれる巨大な山車でメインストリートを練り歩き、沿道の観客たちにビーズやらダブルーンと言われるコインやらを投げてくれる 山車に乗るクルーたちは、伝統的には秘密結社のメンバーみたいなもんなので、仮面で顔をかくしている
リオのカーニバルのように露出した衣装のねーちゃんたちはいなくて、マーチングバンドプラス山車という構成が一般的だった わたしは月曜の夜と火曜しかパレードを見ていないけど、相当の数の戦利品を持って帰った

ところで、マルディグラのもうひとつの風物詩といえば、ねーちゃん方が乳を露出することである 町全体でこのようなGirls Gone Wild 的な風景が見られるかといえばそれは誤解で、そういうことするのは、バーボンストリートを中心としたフレンチクォーターの酔っ払いだけである  フレンチクォーターにはよくある、二階部分がバルコニーになってる建物から、ビーズを投げてくるやつらがいるのだが、そいつらが、ストリートにいるねーちゃんたちに向かって、乳見せろ~!でないとビーズはやらないぞ~と煽り立てるので、お約束とばかりに着ている服をまくり上げ、彼女たちは乳を晒すのである

これ、前々から物見遊山で見てみたい気持ちはあったけど、実際に見てみた感想としては、正直いってかなりがっくりくるものがあった
まずもって、乳を出す人々の平均的クオリティーは、かなり低い(男目線ですみませんね) きれいな若いねーちゃんなんてまずいなくて、おばさんか肥満の人ばっかり 50~60代とおぼしき初老の婦人が乳を出して、夫らしき男性が延々それをビデオ撮影していたのを見たが、正直反応できなくて固まってしまった それから、トップレスのままでふらふらと歩いている人までいた(ちなみに警察が巡回しているので、こういうのは即逮捕もありえる 実際全裸の男がパトカーに乗せられてるのを見た) 

翻ってバルコニーからビーズ投げている奴らを見れば、明らかに親が大金持ちという理由だけでこの日にこの場所を貸切できているんだろう、と思わせる、アホさ丸出しのフラタニティーキッズばっかり そんなやつらと、泥酔しているばかりにアホくさいビーズのためになんだってやってしまう女性たちとが織り成すこの構図、はっきりいって微妙です

上にいる彼らと下にいる彼女らを分かつものは、なんなのか?
こういうことを考え出すと、自然と連想はカトリーナに飛ぶ そもそもフレンチクォーターをはじめとする観光地は、ハリケーンの被害を受けなかった 一方で、町の中心部を少し離れれば、沈み行く家に留まり 続けた人たちがいた 逃げたところで、どこにも行き場はないと知っていた人たちがいた

上と下を分かつものはなんなのか?
わたしはこの町のカーニバレスク的エネルギーには敬服しているけれど、「復興」後の町にいてすら、そんなことに思考が及ばざるを得なかった

それが数日後の出来事に対する予見であったなどとは、けっして言いたくないけどね

てか自分自身が名物カクテル、ハリケーンで泥酔して道で吐いたぐらいだから、ずっとこんな真剣なこと考えていたわけでも、ないのだ
おかげさまで酒をやめるいいきっかけになりましたとさ

3/26/2011

谷川俊太郎、「蝶と蟻」

故あって、地震や天災と何かしら関係のある日本の小説や詩を探している
といっても思い浮かんだめぼしいものは村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」ぐらい―どなたか何か知りませんか

とにかく、ネットでいろいろと検索していたら、谷川俊太郎が四川大地震の時に書いた「蝶と蟻」という詩(『現代詩手帖』2008年8月号掲載)が、けっこうな数、ツイッターで引用されていることがわかった 引用部分は以下の通り―

蟻たちはその小ささによって生き残った
蝶たちはその軽さによって傷つかなかった
しなやかな言葉もまた大地震に耐えるだろう

しかし、さらに検索していくうちわかったことには、元々の詩はどうもここでは終わっておらず、さらに二行続くのである(原本が手元にないのでさらに続いている可能性もはっきりいってあるが、ネットに転がっていたのを見つけた中で、これが一番長いバージョン)


だが今は言葉を慎んで私たちのうちなる沈黙の金を
四大に伏した者たちに捧げよう

全日本漢詩連盟のウェブサイトより引用)

この二行があるとないとで、読後感はかなり違うのではないだろうか 少なくともこの二行では、詩人は、いたずらに語ることよりも、沈黙し死者を悼もう、と言っているように思える

一方、ツイッターでこの詩が広まっていく過程でこの二行はいわばカットされ、改変されたバージョンが出回っていった 
最初にこの詩についてツイートした人が、最後の二行を意図的にカットしたかどうか、ということはもはやわからない この二行を削ってしまうと、詩人がもと言っていたこととははっきり言って正反対の詩になっているようにも思える 
にもかかわらず、詩人には失礼ながら、わたしにはなんとなくこの汎用版(?)の方が、いまこの地震について、黙して喪に服するには、どうしてもまだ早いような気がして、とりあえずなにかを語りたいと感じている人たちのニーズに、どことなく合っているような気がする  実際、詩をリツイートしたあとに、「しなやかな言葉」というフレーズについてコメントを書き加えている人も多かった 



しつこく言うとわたし自身はめんどくさいのでツイッターやっていないのだが、この件についてはなんだか、オリジナルを凌駕して新しい詩が生成していくのを目撃したようで、ちょっと面白かった





3/23/2011

洪水のあとに

ニューオーリンズから帰ってマルディグラ体験をアップしようと思っていた矢先、地震と津波が起きた

11日の朝、夫に起こされて、日本の東北で地震があり、かなり大きな被害があるらしいと聞かされた のそのそと起き出してCNNのbreaking newsをつけると、そこには津波に飲み込まれていく海辺の集落と、炎に包まれる気仙沼の黙示録的映像があった 
そのとき感じたことは、ことが起きてから10日以上経った今でも消化しきれていない こういう言い方するのもどうかと思いつつ書くが、何か大きな集合的トラウマの核に触れているような感覚とでもいうんだろうか
多くの人々がそうであったように、わたしもWWIIに連想が飛ぶのをやめられなかった 「焼け野原」にしか見えない、津波が去ったあとの市街地の風景、原子力、それに加えて、「疎開」という言葉すら使われ始めていた
そして、海外にいるからこそかもしれないが、ことが起きたときそこにいられなかったという罪悪感、のようなもの、ustreamを一日中眺めているほかなく、疲れているけど、眠ってしまえばその間にまた何かが起きてしまうからもしれないという恐怖感で、結局はコンピュータの前に張り付いている状態が、数日間続いた(身の回りでもそういう人がかなりの数いた)

しかしまあ、わたしがNHKを見続けているというそのこと自体が被災地の人々の助けになる可能性はまさにゼロであったから、かなり無理をして仕事に向かい、募金や折鶴折り、Facebookを通じて(Twitterやっていないので)この災害についての各種情報と、これまでつぶやかれ報告された数々の言葉をシェアし、あとは粛々と日常を生きるしかないんじゃないかという結論に達したのだった

原発に関しては、、、それは言いたいことはたくさんある わたしの生まれ育った町に隣接する珠洲市というところは、北陸電力の原発計画の候補地であり、紆余曲折の末に2003年に計画が凍結されるまで父親が反対運動にかかわっていたこともあって、いろいろと考えることは多かった そんな父親もこないだ電話したら、いやー原発ゼロは無理でしょ、とあっさり言っておったので、お父さんザッツ現金、なのだが、それはさておき。。。たしかに父がいうように、いきなりゼロにはできないでしょと思うし、洞穴でコミューンみたいの作って蝋燭の明かりで暮らしたいかと言われれば、ぜーんぜんそんなことはしたくない(むしろそういう考え方にはかなり懐疑的) しかし過疎地にばかり原発が建てられるのは、現都知事が能登半島地震のときに既にして空気を読まずに発言していたように、要は田舎だから別にいい、首都圏が機能停止しなければ別にいい、と言ってるのと同じだ 雇用創出のためと言われて原発が過疎地に建ち、電力消費量が膨大な大都市にせっせと電力を送るといういびつな構造、国と地方のヒエラルキー、東京一極集中型の国のあり方。。。は、やはり考え直されるべきだと思う

日本は生き延びるだろうと思う 引き続き戦後の比喩を使い続けるなら、いつか必ず「復興」するだろうと思う
でも、戦後の復興の単なる反復であっては意味がないわけだし、今の子どもたちが大きくなったときに生きやすい世の中であるためにしてほしいこと―たくさんあるけどとりあえず、研究機関のインフラ整備して、日本の優秀な才能結集して、これからのエネルギー政策考えてほしいんだけど 

もちろんそれはまだこれから先のこと、今はとにかく、たくさんの人の命が救われ、彼らが食べ物と水と身の安全と光のある場所にいられるようになることを切望している

超余談――友人がから回ってきたNYタイムス掲載の東浩紀のエッセイがなかなかよかったのだけど、先日弟が報告してきたことには、この人中途半端に東京から伊豆まで逃げたのでそうで、もちろん避難した人を非難する気はないのだけれど、その距離のなんともいえない半端さと、こういうことすると2chに叩かれるんじゃと本人がかなり気にしていた様子とで、なんだかカクっとなった 笑 同じ号に掲載された村上龍のエッセイの方が、実はストレートに元気が出るかもしれない

不思議な偶然というべきか、マルディグラ以降、カトリーナとハーストンのTheir Eyes Were Watching Godについて少し思いを巡らせていたので、これもおいおい書いていこうかと思う てかむしろ博論書かなきゃいけないんだ俺。。。

3/04/2011

春休みが来る

やっぱりわたし、ストレスを解消するのが下手らしくて、仕事やり出すとそれにかかりきり、授業の後は頭の中で一人反省会を繰り広げるので、学期の半分を過ぎた今週は、疲れのピークでいい加減へろへろだった
今日ようやくあらかたやっておくべきことは片付けて、一週間あまりの春休みに入った

昨日、映画の授業のスクリーニングを終えた時点でやや祝賀ムードだったので、夫とともに、いつものように友人Aの家に行った
Aはなんだか鬱全開モードでYou Tubeで次々にビデオ検索していて、レッドホットチリペッパーズの歌詞の99%は、「死ぬまでヘロイン、死んでもヘロイン」ということに尽きるとか、90年代初頭の音楽が、ロックにしろヒップホップにしろ(カート・コヴェインなり2パックなり)、いかに死についてばかり語っていたか、ということを話していた 

この話題は、鬼門なのだ 普段90年代って何でしたっけ?という顔して、恥ずかしいこと、後ろ暗いこと何もかも忘れたふりで生きていますからね 精神衛生上それがいいからだけど ちなみに夫はそういう感傷一切受け付けない人なので、かえってバランスが取れているのかなと思う
結局途中から夫がJay-Zが比類なく偉大である件について、多分これで聞くのは千回目ぐらいの演説をはじめ、Aが負けじといかにNASだって偉いかを語り出し(実はこの2人は、会って二回目の飲み会ですでにこの件で壮絶な議論というか傍から見ればただの口論を戦わせた歴史がある)、めんどくさくなってきたので、中断させてうちに帰った 笑

ともあれ、この3人で日曜からニューオーリンズに行くのだ
Aが鬱な90年代初頭ミックステープを作ってきたら、どうしよう 笑
やっぱりそれよりカニエ・ウェスト1枚目から3枚目ぶっ通しでエンドレスで、みたいな方がいいなあ
それか、ザイデコ(アコーディオンを多用した楽しげなニューオーリンズの音楽)!

バラク・オバマからの返事

忘れた頃に来たのだが
な、長え~
そして、こっちが質問したこととあんまり関係ねえ~ 笑

しかし記録のため、以下に貼り付けておくことにする

-----------------------------------------

March 4, 2011

Dear Friend:

Thank you for writing. After a century of striving, after a year of debate, and after a historic vote, health care reform is no longer an unmet promise to the American people. It is the law of the land.

This legislation builds on our current system of private insurance and gives American families greater control over their own health care. It cuts costs for families, gives Americans greater consumer protections and choice, keeps our promises to seniors on Medicare, strengthens small businesses, and cuts the deficit to help secure a brighter future for our children and grandchildren.

Here is what health reform means for you:

KEEPING YOUR COVERAGE: If you like your current insurance, you can keep it. If you like your doctor, there is nothing in this law that interferes with that relationship. In fact, you will have greater control over your own health care, not government or insurance companies.

ENDING ABUSIVE INSURANCE PRACTICES: Because of the Affordable Care Act, insurance companies are prohibited from denying children coverage because of pre-existing conditions, and in 2014, the same will be true for adults. Until 2014, uninsured individuals with pre-existing conditions will have access to affordable insurance through a temporary subsidized high-risk insurance pool. Insurance companies can also no longer place lifetime or restrictive annual limits on the amount of care patients receive, and they can no longer drop people from coverage when they get sick. New offices of health insurance consumer assistance will help individuals in the process of filing complaints or appeals against insurance companies.

STRENGTHENING MEDICARE: Guaranteed Medicare benefits are preserved and expanded. In fact, in 2010, seniors in the "donut hole gap" received $250 rebates to help pay for prescription drugs. In 2011, seniors in this coverage gap will receive a 50 percent discount for brand name drugs, and by 2020, the donut hole will be completely closed. In addition, beginning in 2011, Medicare beneficiaries will receive free preventive-care services.

HELPING SMALL BUSINESSES: On the day I signed the new law, small businesses became immediately eligible for tax credits of up to 35 percent of their premium contributions for employee coverage. This makes coverage more affordable so small business owners do not have to choose between hiring and health care. By 2014, small businesses with up to 100 employees will have access to state-based Small Business Health Options Program (SHOP) Exchanges, where they can purchase affordable, quality insurance and may qualify for tax credits up to 50 percent of employer premium contributions.

HOLDING INSURANCE COMPANIES ACCOUNTABLE: Beginning in 2011, insurance companies will be required to submit justifications for requested premium increases. Any company with excessive or unjustified premium increases may not be able to participate in the new exchanges. Insurers will also be required to meet new standards that limit overhead costs and provide premium rebates if they fail to satisfy these new standards. To learn more about how the Affordable Care Act helps hold insurance companies accountable, helps make the insurance marketplace more transparent, and helps increase value for consumers, please visit: www.HealthCare.gov/news/factsheets/medical_loss_ratio.html.

EXPANDING ACCESS TO AFFORDABLE COVERAGE THROUGH TAX CREDITS: Middle class and working families now have greater access to quality, affordable health care. The new law provides tax credits to middle-class families who cannot afford insurance on their own, providing the largest middle class tax cuts for health care in history. New plans will have a cap on what insurance companies can require beneficiaries to pay in out-of-pocket expenses, such as co-pays and deductibles. Additionally, because of the Affordable Care Act, young people up to age 26 can stay on their parents' insurance policy. Reform will expand health insurance coverage to 32 million Americans, guaranteeing 94 percent of Americans will be covered.

PROVIDING MORE OPTIONS THROUGH THE NEW HEALTH INSURANCE EXCHANGES: Starting in 2014, small businesses and individuals who are uninsured, self-employed, or have lost or changed jobs will be able to choose insurance coverage in new competitive insurance marketplaces. These state-based exchanges will pool buying power, providing Americans with the same private insurance choices that Members of Congress will have, and fostering choice and competition. In addition, the new law allows States to enter into interstate health care choice compacts, where qualified health plans can be offered in all participating States--allowing families to purchase insurance across state lines and find the plan that works best for them.

ADDRESSING MEDICAL MALPRACTICE: The new law establishes a grant program for States to explore alternative means of resolving disputes over medical treatment, and to find ways to reduce medical errors. The grants give States the flexibility to propose tort reforms that work best for them. My Administration is also funding medical liability demonstration projects through the Department of Health and Human Services.

REDUCING THE DEFICIT: The Congressional Budget Office confirmed that health reform will reduce the deficit by over $100 billion in the next decade, and over $1 trillion in the following decade.

CUTTING WASTE, FRAUD, AND ABUSE: Health reform implements unprecedented measures to fight waste, fraud, and abuse and to improve the quality and outcomes of care for Medicare and Medicaid beneficiaries. The law ends unwarranted subsidies to private insurance companies and takes important steps to reduce unnecessary hospital admissions, improve patient safety, coordinate care, modernize payment systems, and streamline record-keeping. It also realigns incentives to reward medical providers for the value, not the volume, of their care. The law includes virtually all of the main ideas recommended by health policy experts to slow the growth of health care costs over time. For resources and information on how to prevent, report, and stop Medicare fraud, visit: www.StopMedicareFraud.gov.

While some of these reforms will be put in place later, a host of desperately needed reforms have already gone into effect. American workers and families can feel more secure knowing that neither illness nor accident should endanger their pursuit of the American dream.

To learn more about the content of this legislation and how it affects you, visit www.HealthCare.gov or www.WhiteHouse.gov/HealthReform.

Thank you, again, for writing.

Sincerely,

Barack Obama

Visit WhiteHouse.gov

2/14/2011

カムジャタンとか角煮とか

海外生活に役立ちそうな実用的なことを書くの嫌いなのだが、人に何回聞いても忘れるので、覚書がてら:

いわゆる角煮に適したような、たとえばラフテーの三枚肉みたいのは、肉のカットの仕方が違うのでこちらには売ってないのだが、shoulder butt roast(もしくはBoston shoulder buttとか)という名前で売ってるのが一番それに近い、、、というのをもう何回となく聞きつつ、実際には間違ってポットロースト用の肉を買ってしまったりしていて、今回やっと正しいのが買えた

2ポンドほど塊で買ってみたので、まず半分をスロークッカーでカムジャタン(えーと、じゃがいもと豚肉をコチュジャンベースの煮汁で煮たもの)を作ってみたら、大成功だった 脂肪の層も一応あるので、触感的にもいいと思う
 今度は、ただの角煮も作ってみよう 煮玉子も入れて

最近料理をサボりぎみだったので、今週はがんばっている(スロークッカーの時点で手抜きという噂もある)

My Fanny Valentine

わたしは心の冷たい人間なのか、夫の誕生日とか何かイベントの時に、ちゃんと準備をしてあげなかったりプレゼントが間に合わなかったりとかしがちなのだが、今年のバレンタインはちゃんと早めにプレゼントを買った

The Big Lebowski Kit

これはThe Big Lebowski(コーエン兄弟の映画)でジェフ・ブリッジズ演じる主人公デュードになりきれる、という触れ込みのキットで、The Dudeというワッペンと、マグネットと、カーペット型マウスパッドと、マグカップと、切断された親指(笑)がついている 映画を見た人なら、なるほどと思える内容だ
事前に、「何かになれるキットあげるよ」と言ったら、「何?スーパーヒーローとか?」と聞くので、「ああ~、まあ、そのようなものだよ」と適当にお茶を濁していたが、結果的にはウケたのでよしとする

今夜は外でバレンタインディナーでも、と言っていたが、行こうと思っていたシーフードレストランが予約はいっぱいだったし、他の店もたぶん混んでいるので、予定変更してステーキでも焼くことにしようかな

2/09/2011

ミシシッピは雪

写真もなんもないけど
ひさしぶりに帰ったら激寒だった
土曜に着いて月曜にとんぼ返りしたのであまり時間もなかったけど、発つ直前なんて、昼間なのに気温は30Fぐらい(摂氏でいう零下)で粉雪が舞っており、はて、ここは本当にミシシッピか?と
まあ州の北の方でテネシーよりだし、今年は何せフロリダ以外のどの州でも雪が降ってるわけだけれど、自分が住んでいたときには降ることはなかったから

ともあれプロスペクタスディフェンスを終えて、やっとABD(All But Dissertation)になった
めでたしめでたし
ってこれからが本番だけれども

それにつけても今住んでいる町にはろくなBBQ屋がないことを再確認した由
(近隣の町まで車を飛ばせば、いいところがあるにはあるのだが)
ミシシッピでは、そのへんのガスステーションでもおいしいのが食べられるのに

2/02/2011

映画のクラス

今学期は、何の因果か日本映画のクラスを教えている
学生の人数は60人と、わたしにしてはかなりの大所帯、しかも映画を見やすいようにと、キャパ100人のauditoriumでやってるので、毎回声張っています

先学期はほとんど日本語メジャー対象に文学の授業を教えたけど、今学期はメジャーじゃない学生もたくさん混じっているからか、映画オタクはただの日本オタクよりちょっとだけ賢いのか、学生のレベルは上がった気がする やっていて返ってくるものが違うという実感がある フィルムスクールの子もいるから、技術的な話をしてもついてきてくれるし
あとはまあ週一回は映画見て、一回はディスカッションで基本学生に喋らせる授業なので、 はっきりいって先学期より楽 ていうか、正直本当の専門でないだけに、文学教えるよりプレッシャーが少ない 昔の貯金(元映研)でやってける面も、あるからかね

しかしまあ、4週目に入ってちょっとダレてきたのか、先週のスクリーニング(溝口健二の「山椒大夫」だった)の時は、どうも一部の学生がざわついてて、笑うところじゃないのに笑ったり(古い映画だから、もちろん今の視点で見たら突っ込みたくなる気持ちはわからないでもないが)、ほかの真面目な子たちからも苦情が出るくらいだった

だから昨日のディスカッションの時、どんな映画にもそれぞれの歴史的瞬間てのがあって、そこでは(たとえわたしたちにとって意味をなさなくても)当時の観客にとってはすべてが意味をなしていたんだから、そういう瞬間に対して敬意を払ってほしい、ということをちらっといったら、その日はなんだかみんな神妙にしていた

60人もいれば全員が真面目に議論に参加して、というわけにはとてもいかないけど、数人でも何か掴んで帰ってくれる子がいれば、基本的にはそれでいいと思っている 喋らなくても宿題のワークシートはみっちり書いてくる子もいるし、それでいい

いろいろ考えた末にここでの仕事は今学期一杯にしようと思っているのだが、最後だから、こっちも楽しまないとね

さて、明日からの二週は日活ヌーベルバーグ、まず中平康の「狂った果実」、次は清順の「殺しの烙印」
学生の反応が、楽しみだ

1/31/2011

バラク・オバマへの手紙

数ヶ月前にERに行ったときの請求書が今日届いた
金額は、、、 $773.96!!!!
保険引かれる前の元の金額は、$3526.32!!!
...嘘でしょう
まったく同じ件で一昨年ERに行ったときの、倍近い金額ですが?
これはつまり、これからこの件でERに行くことがあれば、その度にわたしはこの金額を払うってことだろうか?何にこんなにかかってるのか説明がないので病院に電話しなければならないが、それにしたって、人生最悪ぐらいのクオリティーの医療サービスしか受けてないのに、なぜ?超音波の機械を使ったからだろうか?こんなことになるなら、同じことがまた起こっても、もうあのERには行かずに家で寝てますよ

ブチ切れたわたしたちがまずやったのは、大統領にメールを書くことだった 笑
なんと、ホワイトハウスのウェブページからメールを送れるのだよ
しかも、返事も(誰が書くのか知らないが)来るらしい

とにかくわたしたちは、ディアミスタープレジデント、これこれこうで困ってるんですけど、何とかしてくれませんかプリーズ?と切々と訴えた ついでなので、グリーンカードの更新で580ドルかかるんだけど、何にあんなにかかってるんですか?とも聞いておいた 閣下が今後ヘルスケアと移民政策に関して早急に対策を打たれなければ、合衆国は将来有望な才能のひとつ(うちの夫ね)を失うでありましょう・・・

書いたことでちょっと腹の虫は治まったが、しかし...
返信用のメールアドレスを書き忘れたので、返事が来ないかも知れない 笑
住所と電話番号は書いたので、手紙か電話が来るかな 

1/23/2011

瞬殺@日本食レストラン

昨日の土曜は天気もよかったので、市の外れのマーケットスクエアと呼ばれる小さなお店が集まる区画に行ってみた この町にしてはちゃんとしたケーキ屋さんでカフェオレを飲んでケーキを食べて、そのあとは近くのTJマックスでふとんカバーを買ったり、本屋をぶらぶらしたりして楽しんだ

ふと、先学期日本語を教えた学生がバイトしている日本食レストランが近くにあることを思い出す
学期末に推薦状を3通ほど書いてあげたら、バイト先のクーポンをお礼にくれたのだ
せっかくなので行ってみることにした

わたしたちはふだんここで、日本食レストランに行くことはない
理由は単純、高いだけでおいしくないから
期待するだけ無駄なことが多いので、それだったら他のアジア料理の店に行ったほうが満足度が高い
 今回も、モダンな感じの内装とfusionの文字を見て、すでにいやな予感はしたのだが、何しろ25ドルのクーポンがあるし とりあえず居酒屋形式でいろんなものをちょっとずつ分けて食べることにした

料理を頼んでしばらくすると、メインディッシュについてくる味噌汁とサラダが運ばれてくる
味噌汁を一口飲むと、、、まずい 水道水の味 まるでめんどくさいから沸騰する前のぬるま湯に味噌だけ混ぜてしまったみたいな味だ この手のレストランが出汁を取ったりしないのはあらかじめ知っているので、味が薄かろうと別にそんなもんかと思っていられるが、これは何か確実に体に悪い味だ
何かの間違いじゃないだろうかと疑いながら、何とか半分くらいまで飲み続けてみたが、やっぱりまずいままだった 夫はすでに食べきるのをあきらめて、器を脇にのけてしまっている わたしももう少し頑張ってみたけど、やっぱり完食できなかった

続けてアピタイザーの揚げ出し豆腐と焼き鳥が来る
揚げ出し豆腐は、衣がパン粉だ 焼き鳥は、タレが激甘だ
しかし学生が「いかがですか?」とにこにこして聞きに来ると、まずいとも言えないので、「グレート!」と嘘をついてしまう まあ、店の食べ物がまずいのは彼女のせいでもないしなあ


すでにいろんな意味でお腹いっぱいになったところで、メインの刺身盛り合わせが来た
お客さんは日本人だと言ったら、張り切って作ってくれたと学生が言う
たしかに、しめ鯖とか、こちらにいたらなかなか見れない珍しいものも乗ってる

とりあえず、何かはよくわからないピンク色の魚を一切れつまんでみる
うん、おいしい 何かはよくわからないけど、これは新鮮
しかし、ふた切れ、み切れと続けるうちに、うーん、何かが変 次第に口と手が重たくなってくる 夫は自分の分の刺身を「ちょく」に入れたまま、手が止まってしまってる

この盛り合わせ「サシミ・デラックス」は、15切れもの刺身が乗ってる アメリカ風のカットなので一切れが巨大、しかも、どれもけっこうヘビーなのが多い わたしたちは二人で分けてもいっぱいいっぱいなのに、こんなのが一人前用にデザインされているということが信じられない

必死に食べ終わると、学生がデザートは?と聞きに来る クーポンで半額しか払わないでいい流れ的には、そりゃ頼むだろう お腹がはちきれそうなのを我慢して、小豆アイスひとつ取って夫と分け、かなりの苦労の末に完食した

店を出て車に乗ると、早速お腹が痛くなってくる ビールや水も(主に食べ物を流し込むために)がぶがぶ飲んだから、そのせいかな、とも思ったのだが、隣の夫も、「お腹いたい。気持ち悪い」と言う 家に着くなり二人ともトイレ直行 寝る間際まで、ひどい下痢が続いた

結局、何が悪かったのかよくわからないし、証明のしようがないので店に電話して苦情を言うほどのものでもないんだが、、刺身が本当にヤバかったらきっと下痢程度では済まないだろうから、実は味噌汁の時点で瞬殺だったのではないか、などと話している

うーん、やっぱりここではもう、日本食レストランには行かないだろうな

1/19/2011

ワークアウト再開

アドレナリン出る出る

ところで、究極のワークアウトソングといえばこれ
聴きながら笑いながら今日は走った!

Kanye West - The New Workout Plan (Long Version)

1/18/2011

この医者ぁ。。。

わたし、何だかしらないがこの町に引っ越してきてから病院にかかる機会が多く、病院絡みで嫌な目に遭う確率もなぜか非常に高い

年末に婦人科系の検査をして薬を飲むことになったんだけど、あいにくと診断結果が出たときわたしは日本だったので、夫が医者から電話で話を聞いた そのとき、薬をどう飲むとかいう指示がいっさいなかったので、ネットで調べたら、生理周期によって止めたり始めたりしなきゃならない時期がある薬だと出てきた
不安になって電話したら、ネットで得た情報と全く同じことを今更のように言われる

ていうか、何でわたしから電話してそんなこと確認しなきゃならないのか。。。
ていうか、わたしから電話しなかったらそのまま間違った飲み方しとったやん。。。
かかりつけの病院からリファーされたときは、この先生は名医で予約がすぐ取れたのはラッキーとか散々言われたというのに、この医者ぁ、説明義務すら果たしてないじゃないか。。。

近頃キレやすい大人となったわたしは、もう、喉の辺りでこう、怒号泡立つ感じになったけれど
新年の誓いに従って、ぐっとこらえてキレませんでしたよ
でも、医者と話すのって、どうやら自分には鬼門らしい
帰省中も、父の主治医(この男は主治医らしいことなど何にもしてなくて、父が救急車で担ぎこまれた晩にたまたまそこにいたというだけで、主治医になっているのだが)があまりに高圧的な物言いをするので、本気でケンカを売りそうになったのだった

イヤだねえ、権威を笠に着て仕事しない奴は
しかし、短気は損気
あわてないあわてない、一休み一休み(©一休さん)

1/17/2011

マルディグラ

ニューオーリンズには二回ほど行ってるけど、マルディグラという祭り(要はカーニバル)はいつも春学期中で、授業と重なったり して行くチャンスがなかった
しかし、今年の春休みの日程をチェックしていたら、祭りのクライマックスに当たるファットチューズデイはラッキーなことに、春休み週間のど真ん中じゃない
ということで、今年こそ行きます、マルディグラ!

しかし、禁酒しようと思ってたけど、期間中に飲めなかったらさぞかしつまらんだろうからやめるのやめよっかな…

1/15/2011

新装開店

気がつけば全く書いてなかったが、年明けを機にまた始めることにする
そういえば海外生活と何にも関係ないことばっかり書いているが、海外にいるからって、海外にいることだけ考えて暮らしているのではないので、仕方がないのだ

年末年始は、父親の具合が悪くなったので急遽一時帰国することになった
おととしの11月に脊髄損傷して手術し、春には歩行器を使えば何とか歩けるまでに回復したのだが、結局寝たきりになってしまって、褥瘡(いわゆる床ずれ)もでき、体もだいぶ衰弱しているとのことだった
急だったので変なフライトしか取れず、3日がかりで実家に着くと、父はもう入院した後だった
帰省中は毎日母と弟と3人で見舞いに行った なるべく感情的にならないように努めて接していたが、安易に励ましの言葉をかけることもできなかった

日本に帰るといつも井上雄彦の「リアル」(たまたま脊損の人が出てくる)の続きを買って読むことにしているんだが、その中に出てくる車椅子の登場人物が、オリンピック選手か何かが100mで世界記録を更新するのを見て、こんなことを言う――「この人だって空飛べるわけじゃない。鳥から見たら9秒でも15秒でも同じ、『飛べない』世界の出来事だわな。そう思わんか兄ちゃん。ということはだ、『歩けない世界』にもきっと、『9秒台』はあるんだ」
この台詞、読むたびに感動するんだけど、同時にこんなことを父に向かっては言えないだろうなとも思う 80近く(うちの父は平成天皇と同い年だ)になって急に動けなくなるということは、はっきりいいって自分の想像を超えている 若い時のように筋力があるわけでもない 頑張ればまた歩けるようになる、とは本人も思っていないし、リハビリに対するモチベーションがゼロでも、なかなか発破をかけることもできない

だからわたしは、あんまり父の顔を見ないで、窓の外を見ては今日は大雪だとかいい天気だとか言っていたような気がする 弟や母も、そうだったのかもしれない 1月2日だったか、病院前の大通りを、天狗やらお囃子やらなんやらが通り過ぎていったが、母はそれを覚えていて、あとでこっそり俳句にしていた(母は俳句教室に通ってるのである) 転んでもタダでは起きない表現とは、こんなことを言うのだな わたしも母を見習って、新年の誓いはやはり、「転んでもタダでは起きない」としたい
あとは、怒らない、早とちりで激怒して、見知らぬ人にケンカ売ったりしないことかな  ニンニン

そんなわけで、あけましておめでとう