10/03/2011

anger control、介護、その他覚書

昨晩遅く実家から電話あり 以下、話した内容を覚書代わりに書いておく
1.以前から足が悪いのに、家を空けられないといって頑なに手術を拒んでいた母親が、ようやく手術を受ける決心をした

2.この前帰国した時点では確か2か3だった父親の要介護度が、母情報によると最高の5に上がっていた(「障害区分」と言われる指標も別にあって、そっちも5なのだそうで)。。。って、かなり、寝耳に水なんですが。 第一、受けられる介護サービスの月額限度も上がってるわけなのに、サービス内容自体(看護師が一日一時間半訪問、週一で入浴介助サービス)が前と変わっていないのはなぜか? 

3.実家の資産状況を把握しておく必要あり(これはつい最近、高齢の親と引きこもりの子のライフプランに関するファイナンシャルプランナーの人が書いた文章を読んで思ったこと)→たとえば父親が亡くなったあと自分にどれくらいの遺産が、といったことはもはやどうでもいいのだが、将来的にまともに社会復帰できない可能性がある弟(あと、今の職を失った場合の兄)は、最悪働けない場合のサバイバルプランを今から立てておいたほうがいいだろうと思う

電話が寝入り端にかかってきたせいもあったのか、気がついたら母親と弟に向かってえらい剣幕で怒鳴っていた ここ最近ずっと、家族のことで心配がある→夢見が悪い→介護のことその他で実家の状況がうまく掴めず、フラストレーションが溜まりキレる→自己嫌悪→振り出しに戻る の無限ループをやっていて、電話を切った後にはああ次からはこんなことはしないぞ、と毎回思うのだが、止められた例がない そして昨晩のキレ方は、我ながら尋常ではなかった えっわたし、何をこんなに怒ってるの?と思いながらも止められず、喋っていても怒りで舌がもつれていた

この無限ループを脱するには、現在の実家の状況を自分がどうにかできる、みたいな幻想を完全に捨てなくてはいけないのだろう わたしには少し、いやかなりコントロールフリークの気があるので、こーんな遠くにいながら、自分がしっかりして何とかしないと、とか勝手に思い込みがちなのだが、家族と言っても人格の独立した他人なので、自分の都合通りに動いてくれるわけがない 落ち着いて話して、よくなりそうなことがあればやんわりと提言するくらいの立ち位置でいないと、怒りすぎて人格が崩壊する また家族のためにいつか日本に帰らなくては、みたいな縛りを自分に課すのもやめようと思う これ、自分だけに向けて書いているのだが、本当に、お前が仕切ってできることは何もありません、もうやめなさい 笑

実はanger controlの本も少し前に買ってみたのだけど、時間があるときだけ、寝る前に10分とか飛びとびに読んでいるだけだし、あまり効果も出ていない 理性的思考でとことん怒りをコントロールするというやり方で、古い本だが後のCBTにも影響を与えた考え方らしい 妙に理屈っぽいところのある自分にはあっているといえばあっているのだろうけど、何かものっすごい理性中心主義なので、文学をやっている人間としてはちょっと引いてしまう 笑 それにやっぱりCBTと同じで、頭では自分の怒りが非理性的な思考に基づいていることはわかっても、もっと感情的なレベルでの落としどころはなかなか見えてこない 究極的には、こういった訓練を一人だけでやること自体が不可能なのだと思う CBTにしても、自分では決して見えてこない思考の盲点を他人に指摘されてハッとする、という社会的やりとりの過程そのものがセラピーの根幹を成しているわけで、自分だけで自分の鬱思考をこねくり回したところで、自己分析としてはうまくいっても次同じ状況になった場合につながるものが何もない ああ、またやっちゃったなあ、自分、みたいな認識が毎度あるだけ

あとはまあ、特に仕事やめてから社会生活というものがないままに論文ばかり書いているのもよくないのだと思う 向かう場が自分だけしかないという状況だと、よからぬこともいろいろ考える 生まれてくる子どものことに集中できたらもっと気持ちも上向きになるのだろうけど、今月本当に正念場なので、なかなかそういう余裕もなく。。。しかし、余裕のない親ほどいやなもんはないし、もっと他人のことを考えてハッとする瞬間を多く持たないと、と、そう思って、腹をなでてみる今日この頃。