6/28/2011

お知らせ

博論が忙しくてなかなかブログに当たる暇がなかったんですが、Facebookにも書いたのでここを読んでくださっている方々にもお知らせしておきます


この度子どもができまして、11月に生まれる予定です 性別は女の子です
現在はちょうど18週あたりです(たぶん日米どちらの数え方でも五ヶ月)
もう少し早くご報告できるとよかったのですが、わたしは流産経験が2度あり、初期の頃は流産防止のためにホルモン剤を服用していて妊娠継続できるかやや不安があったのと、13週の超音波検査で胎児にNTと言われる首の後ろの浮腫が見つかり、染色体異常(ダウン症など)のリスクがあると言われたので、prenatal diagnostic test これは日本語では出生前診断テストというのか?を受けたりして、なかなか安心してみなさんにご報告、というところまで行きませんでした 


わたしが受けたのは、日本ではたぶんまだあまりメジャーでない絨毛検査(Chorionic Villus Sampling [CVS])というのと、あとアメリカですらメジャーでない(ということは保険が下りないかもしれない)panel arrayとかいうDNAがどうしたこうしたみたいな難しい検査でしたが、CVSの結果メジャーな異常は見つかりませんでした 後者の方は、NTの原因を念のため詳しく調べるためのもので、まだ結果が出ていません

結果として重大な障害などは見つからなかったけど、この検査を受けている時期は何かとストレスフルで、博論も手につかなかったです わたしたち夫婦としては、胎児に重篤な染色体異常が見つかれば精神的にも経済的にも育てていくことは無理なので、妊娠は継続しないということで意見が一致していて、もし運良く再度妊娠できて、さらに同じような結果となっても、結論は変わらない、その後もう子どもができなくなれば、夫婦二人でやっていこう、というところまで話し合いました かなり濃密な話し合いでお互いの意見がクリアになったのはよかったけど、こういったすべてのことを本当に2日ぐらい(CVSは13週までしか受けられなくて、時間がなかった)で詰めなくてはいけないというのは、しんどかった 
あと、こういう決断を迫られるのは確率的にやっぱり高齢の人が多い 35歳を過ぎるとダウン症のリスクは一年毎にうなぎ上り、というのは昔から情報としては知っていたけど、自分の身に突きつけられるとやはり、きついです それに高齢妊婦さんの中には不妊や不育治療を経て妊娠に至った人も多いわけで、そういう人にとって出生前診断は必要だけれど、検査後の選択は、どうすることを選ぶにしろ大変なものに違いないと思います

高齢出産って、大変なのね 無事妊娠して継続できるという段階に行くだけでも、けっこう時間かかったので、身にしみて感じます

 とりあえず今は、元気にやっています というか、毎日博論漬けです 子どもが産まれた直後は、やっぱり時間が取れなくなるだろうから、今が勝負です

で、旅行の話の続きはどこに行ったんだという話ですが、追ってすぐ書きます もう記憶が薄れつつあるが。。。

6/21/2011

フロリダ州内旅行1

というわけでフロリダ州内旅行に行ってきたのだが

実は初日に車のトラブルに見舞われて大変な幕開けとなった
うちの車(Chevyのインパラ 通称モンキー車)は計器類が全部壊れているのと時々エンジンがかからないことがあるのと時々ガス臭かったりなど満身創痍なので、旅行前にアラバマに行って、夫のお父さんの車(ヒュンダイのジェネシスというファンシーな車)を借りてきたのだが、朝4時半に家を出てまだ暗い町を走っていると、まだインターステートの合流にも差し掛からないうちに右後輪がパンクする そこで真っ暗な中、夫がスペアタイヤと取り替える 他の車もちらほら通り過ぎていくが、誰も止まって助けようとはしない これがミシシッピだったら、最初に出会うレッドネックのピックアップトラックが止まってくれるだろうに、と夫言う ほんとに都会は冷たい

苦労してタイヤを付け替えた末、とにかくこのまま走り続け、めぼしい町でタイヤ屋を見つけて交換するか、家に戻ってこの町の店が開くのを待つかで迷ったが、結局家に戻ることにする タイヤはブリヂストンのだったのだが、ネットで調べて電話するとどのタイヤ屋もうちの車の型に合うタイヤを置いていないみたいだし、ワランティが利くというのもあって、ヒュンダイのディーラーでタイヤ交換してもらうことにする

ディーラーに車を入れて待っていると、担当の兄ちゃんが「ちょっと。。。」と言って夫を呼びに来た もうできたのかと思ったら、どうやらただのパンクではなく、中心の金属部分を太いボルトのようなものが貫通しているという そんなことってありえるのかという感じだが、実際に見てみたら金属にばっちり穴が空いていた この部分もろとも交換できるかと聞くと、どうもタイヤ自体珍しい型のもののようで、店中のジェネシスを探し回ったが同じ部品を使ってるものはなく、カリフォルニアまで注文しなければならず、それには早くても2日かかるという

この旅行は単に遊びではなく、夫がマイアミの日本領事館で奨学金の面接を受けるという目的があり、面接は明日午前なのでどうしても今日中にマイアミ(車で8~9時間)までたどり着かなくては行けないことを伝えると、兄ちゃんは話のわかる人で、偉い人に掛け合ってくれて、ディーラー側が車を直している間の分のレンタカー代を負担することで、すぐに出発できることになった 修理期間を超えての追加料金はこちら持ちになるので、予定していたHurstonとRawlingsに関する土地巡りはあきらめることになったが、行けないよりはずっとましだ

気をよくしてディーラーの隣のエンタープライズ(レンタカー屋)に行くと、すごく混んでいてカオス状態になっている
従業員は5人くらいいるから人手が足りていないのではないのだが、仕事ができる若い兄ちゃん1人とあと無能4人、という構成で、しかも客が、事故ったけど別の車に代えて借り続けたいのだが保険が下りないとか、21歳未満だから特別な車しか貸せない(?)とかちょっとめんどくさい感じの人が多く、無能のうち1名がうまく仕事を裁けないでいると、有能な兄ちゃんがそれまでやっていることを放り出して助けに行く、ということをしているので、なかなか人が捌けない わたしたちは書類関連はさっさと済ませて車が上がってくるのを待っているだけだったが、待てど暮らせど車がこない 結局このレンタカー屋に来てから、4、50分はかかった気がする

ようやく用意された車を見ると、しけたダッジのハッチバックで、工場に入れた車のクオリティーに合わせて用意してくれるんじゃないか、レクサスとはいかなくてもせめて日産のアルティマとかが来るんじゃないかなどと勝手に期待していたわたしは、かなりがっくり来た(たぶん一番安いプランしかディーラーは負担できないのだと思うので、仕方がないが) わたしは全然運転しなかったのだが、ハンドルは軽くてくるくる回ってしまうし、ハッチバックで後ろの窓が小さいから車線変更の時全然よく見えないし、旅行中はずっとI hate this carと言っていた

何だかんだでようやく出発できたのが11時半、この朝最初に家を出てから、実に7時間経っていた

(もうここまで書いただけで疲れたので次に続く)

6/05/2011

ところで

今週前半から、マイアミ、キーウェスト方面に旅行に行くことになった
楽しみだ~
たくさん写真を取って、ここにも載せようと思います

調子如何に振り回されないには

(重い内容ですので、苦手な方はスルーしてください)
↑これは他人のブログでよく見る表現だが、自分が使うとは思わなかった 笑














仕事をやめて五月はバリバリ博論書くぞ~、と思っていたのが、盗作の件の事後処理(学生側がわたしの処分を不服とする申し立てをし―どういう面の皮かと思うが以下略―全てを投げたつもりでいた学部長も夏休みに入ったため、結局わたしの側で詳細な証拠書類を作成することになった)に追われたり、夫の甥っ子の洗礼式のためにミシシッピデルタに行ったり、その他いろいろ懸案事項が出てきたので、一行も書けないうちに六月になってしまった

やはり、こう目まぐるしくいろいろあると精神状態も不安定になりがちなもので、最近はもうCBTはやってないけれど、自分の状態についていやでも考えさせられる
単刀直入に言うと、今まで何度かうつ病が再発しており、治療を経て今は投薬なしでやっているのだけれど、はっきり言ってもう自分の場合、もう二度と再発しないぞ!などと息巻いてやるのは無理があるというか、たぶん逆に調子が悪くなるのではないか つまり、「先天的」な問題が自分にはあると思うので、「完治」を目指すのはおそらくあんまりいい考えではない

精神疾患の先天性は議論の余地があることなのかもしれないが、自分としては別に後ろ向きになっているのではなくむしろ前向きで、自分の状態をよく知って、調子如何に振り回されるのではなく自分自身で調子をコントロールしていたいからこそ、こう思うのだ(全ての人に当てはまるわけではもちろんない) まあ今現在は事情があり投薬はNGだし、なくても大丈夫だな~というのはやせ我慢でも何でもなく、実感としてあるので日々くよくよしているわけでもない

なぜ「先天的」ということに思い至ったというと、我が家は精神科医もびっくりの華麗なるファミリーヒストリーがあり、家族ほぼ全員がメンタルヘルスに問題を抱えているからだ
えーまず、母親は精神疾患で二度の入院歴がある(診断結果は「神経症=ノイローゼ」だったそうであるが、これは昔のことで田舎のことなので、今なら別の診断がつくかもしれない)
父親はいつも自称躁鬱とか鬱とか言っていて、なんだかわたしにはよくわからないが、結局きちんとした医者に診てもらったことは、たぶんない ただ、十代の頃から睡眠薬依存があり(これは実は心理的なものだが)、自分同様情緒不安定になりやすい人である
兄は、自閉症(か、別の発達障害の)疑い例である 振り返ってみると昔は親もわたし自身も、いつも彼のことを知的障害と健常のボーダーラインのようにみなしていたが(というのは見るからに学習障害があったので)、世間体を気にしたのか、どこに話を持っていくべきなのかわからなかったのか知らないが、親はついぞ専門家に相談しなかったし、今も結局よくわからないまま放置している  兄は今は仕事がありぎりぎり社会生活が営めているが、常に首になるか、本人が周りとやっていくことにストレスを感じてやめるかの瀬戸際である
弟は、3年ほど前に統合失調症を発症し、予後はいいのだが自宅療養中で、母親とふたりで父親の介護をしている
やっぱりこれだけ病歴が出揃うと、自分の病気も単に「ストレスが原因です」とは到底思えない

思い出してみると、わたしがうつ病だと診断されたのは高校の時だったが、はじめて本格的に調子を崩したのは、13歳で中学一年生の時のことだ 知人の中には、どこからそんな話が出てきたのか、わたしのことを元暴走族とか思ってる人もいるのだが、自分にとって13歳の頃は親に反抗して不良の真似事みたいなことをしていた時期ではあったのだけど、もう全然そんな華々しい?ものではなかった

冬休み前の終業式の日だったか、何かしら学校でいやなことがあり(今となってははっきりとは覚えてないのだが友人にいやなことを言われたとかだと思う)、いや、これはもう死ぬしかない、と思い詰め、学校の帰り、近所の造船所の脇の空き地に行って、おもむろに雪の中に横たわった(たぶん凍死するのが一番気持ちよくて楽だとかマンガに出てきたのを真似したのだと思う) まあ結局日暮れには、寒いなあ、とか言ってふつうに家に帰ったのだが、わたしのコートの背が濡れているのを見た母が、造船所のおっさんにレイプされたのかと勘違いして逆上したので、わざわざ母親を連れて寝ていた場所に戻って、はい、ここで一人で寝ていただけですとか言って納得させねばならず、非常にめんどくさかったのだがそれは余談である 
年が明けて始業式が来ても、わたしは学校に戻らなかった そこから遠くの学校に転校するまで、一年余あり、その間親戚に預けられたりなどもあったが、基本的に自宅では何をしてたかというと、文字通り起き上がれなかったので、トイレに行くときと腹が減って台所に行って食べるものを探すとき以外は、床に臥していた 今振り返るとうつ病の始まりはここだったのかなあ、と思うが、自分にも親にももちろん病識がないし、頓珍漢にも大学病院の内科に連れて行かれ、自律神経失調症だとか言われて帰ってきたぐらいのものだった

この時期のことを客観的に振り返ってみると、まあもちろん学校で人間関係のトラブルは多分にあったのだが、たとえば自殺に追い込まれるような「いじめ」を受けていたというのではなかったように思う 大体、中学校というのはもちろん多くの子どもにとって夢のような楽しい場所ではなく、大なり小なりいやな目に遭ってストレスを抱えている子も多いと思うのだが、たとえ学校に行けなくなることがあっても、床から起き上がることができなくなるまでの弱り方をする13歳って、数としては多くないんじゃないだろうか だから、もろもろの出来事は病気のきっかけではあるのだが、原因ではないだろうと思う もともと脳内のセロトニンの量に問題があって、対人ストレスがきっかけで状態が悪くなったということじゃないだろうか

自分は対人ストレスが引き金になって抑うつ状態に陥りやすい、ということはもうこれまでの経験でよくわかったから、気持ちの吹き振りにかき乱されないように自分自身が気をつけ、かつ無理をしているときにはそれに気づいてすばやく対処できるようにしておかないと、今後迎えるいろんなライフイベントを乗り越えていけないだろう ま~もう大人だし もうひと月で36だし、持病があってもやり過ごせるようになりたいんだよね

という話。