昨晩遅く実家から電話あり 以下、話した内容を覚書代わりに書いておく
1.以前から足が悪いのに、家を空けられないといって頑なに手術を拒んでいた母親が、ようやく手術を受ける決心をした
2.この前帰国した時点では確か2か3だった父親の要介護度が、母情報によると最高の5に上がっていた(「障害区分」と言われる指標も別にあって、そっちも5なのだそうで)。。。って、かなり、寝耳に水なんですが。 第一、受けられる介護サービスの月額限度も上がってるわけなのに、サービス内容自体(看護師が一日一時間半訪問、週一で入浴介助サービス)が前と変わっていないのはなぜか?
3.実家の資産状況を把握しておく必要あり(これはつい最近、高齢の親と引きこもりの子のライフプランに関するファイナンシャルプランナーの人が書いた文章を読んで思ったこと)→たとえば父親が亡くなったあと自分にどれくらいの遺産が、といったことはもはやどうでもいいのだが、将来的にまともに社会復帰できない可能性がある弟(あと、今の職を失った場合の兄)は、最悪働けない場合のサバイバルプランを今から立てておいたほうがいいだろうと思う
電話が寝入り端にかかってきたせいもあったのか、気がついたら母親と弟に向かってえらい剣幕で怒鳴っていた ここ最近ずっと、家族のことで心配がある→夢見が悪い→介護のことその他で実家の状況がうまく掴めず、フラストレーションが溜まりキレる→自己嫌悪→振り出しに戻る の無限ループをやっていて、電話を切った後にはああ次からはこんなことはしないぞ、と毎回思うのだが、止められた例がない そして昨晩のキレ方は、我ながら尋常ではなかった えっわたし、何をこんなに怒ってるの?と思いながらも止められず、喋っていても怒りで舌がもつれていた
この無限ループを脱するには、現在の実家の状況を自分がどうにかできる、みたいな幻想を完全に捨てなくてはいけないのだろう わたしには少し、いやかなりコントロールフリークの気があるので、こーんな遠くにいながら、自分がしっかりして何とかしないと、とか勝手に思い込みがちなのだが、家族と言っても人格の独立した他人なので、自分の都合通りに動いてくれるわけがない 落ち着いて話して、よくなりそうなことがあればやんわりと提言するくらいの立ち位置でいないと、怒りすぎて人格が崩壊する また家族のためにいつか日本に帰らなくては、みたいな縛りを自分に課すのもやめようと思う これ、自分だけに向けて書いているのだが、本当に、お前が仕切ってできることは何もありません、もうやめなさい 笑
実はanger controlの本も少し前に買ってみたのだけど、時間があるときだけ、寝る前に10分とか飛びとびに読んでいるだけだし、あまり効果も出ていない 理性的思考でとことん怒りをコントロールするというやり方で、古い本だが後のCBTにも影響を与えた考え方らしい 妙に理屈っぽいところのある自分にはあっているといえばあっているのだろうけど、何かものっすごい理性中心主義なので、文学をやっている人間としてはちょっと引いてしまう 笑 それにやっぱりCBTと同じで、頭では自分の怒りが非理性的な思考に基づいていることはわかっても、もっと感情的なレベルでの落としどころはなかなか見えてこない 究極的には、こういった訓練を一人だけでやること自体が不可能なのだと思う CBTにしても、自分では決して見えてこない思考の盲点を他人に指摘されてハッとする、という社会的やりとりの過程そのものがセラピーの根幹を成しているわけで、自分だけで自分の鬱思考をこねくり回したところで、自己分析としてはうまくいっても次同じ状況になった場合につながるものが何もない ああ、またやっちゃったなあ、自分、みたいな認識が毎度あるだけ
あとはまあ、特に仕事やめてから社会生活というものがないままに論文ばかり書いているのもよくないのだと思う 向かう場が自分だけしかないという状況だと、よからぬこともいろいろ考える 生まれてくる子どものことに集中できたらもっと気持ちも上向きになるのだろうけど、今月本当に正念場なので、なかなかそういう余裕もなく。。。しかし、余裕のない親ほどいやなもんはないし、もっと他人のことを考えてハッとする瞬間を多く持たないと、と、そう思って、腹をなでてみる今日この頃。
6/05/2011
調子如何に振り回されないには
(重い内容ですので、苦手な方はスルーしてください)
↑これは他人のブログでよく見る表現だが、自分が使うとは思わなかった 笑
仕事をやめて五月はバリバリ博論書くぞ~、と思っていたのが、盗作の件の事後処理(学生側がわたしの処分を不服とする申し立てをし―どういう面の皮かと思うが以下略―全てを投げたつもりでいた学部長も夏休みに入ったため、結局わたしの側で詳細な証拠書類を作成することになった)に追われたり、夫の甥っ子の洗礼式のためにミシシッピデルタに行ったり、その他いろいろ懸案事項が出てきたので、一行も書けないうちに六月になってしまった
やはり、こう目まぐるしくいろいろあると精神状態も不安定になりがちなもので、最近はもうCBTはやってないけれど、自分の状態についていやでも考えさせられる
単刀直入に言うと、今まで何度かうつ病が再発しており、治療を経て今は投薬なしでやっているのだけれど、はっきり言ってもう自分の場合、もう二度と再発しないぞ!などと息巻いてやるのは無理があるというか、たぶん逆に調子が悪くなるのではないか つまり、「先天的」な問題が自分にはあると思うので、「完治」を目指すのはおそらくあんまりいい考えではない
精神疾患の先天性は議論の余地があることなのかもしれないが、自分としては別に後ろ向きになっているのではなくむしろ前向きで、自分の状態をよく知って、調子如何に振り回されるのではなく自分自身で調子をコントロールしていたいからこそ、こう思うのだ(全ての人に当てはまるわけではもちろんない) まあ今現在は事情があり投薬はNGだし、なくても大丈夫だな~というのはやせ我慢でも何でもなく、実感としてあるので日々くよくよしているわけでもない
なぜ「先天的」ということに思い至ったというと、我が家は精神科医もびっくりの華麗なるファミリーヒストリーがあり、家族ほぼ全員がメンタルヘルスに問題を抱えているからだ
えーまず、母親は精神疾患で二度の入院歴がある(診断結果は「神経症=ノイローゼ」だったそうであるが、これは昔のことで田舎のことなので、今なら別の診断がつくかもしれない)
父親はいつも自称躁鬱とか鬱とか言っていて、なんだかわたしにはよくわからないが、結局きちんとした医者に診てもらったことは、たぶんない ただ、十代の頃から睡眠薬依存があり(これは実は心理的なものだが)、自分同様情緒不安定になりやすい人である
兄は、自閉症(か、別の発達障害の)疑い例である 振り返ってみると昔は親もわたし自身も、いつも彼のことを知的障害と健常のボーダーラインのようにみなしていたが(というのは見るからに学習障害があったので)、世間体を気にしたのか、どこに話を持っていくべきなのかわからなかったのか知らないが、親はついぞ専門家に相談しなかったし、今も結局よくわからないまま放置している 兄は今は仕事がありぎりぎり社会生活が営めているが、常に首になるか、本人が周りとやっていくことにストレスを感じてやめるかの瀬戸際である
弟は、3年ほど前に統合失調症を発症し、予後はいいのだが自宅療養中で、母親とふたりで父親の介護をしている
やっぱりこれだけ病歴が出揃うと、自分の病気も単に「ストレスが原因です」とは到底思えない
思い出してみると、わたしがうつ病だと診断されたのは高校の時だったが、はじめて本格的に調子を崩したのは、13歳で中学一年生の時のことだ 知人の中には、どこからそんな話が出てきたのか、わたしのことを元暴走族とか思ってる人もいるのだが、自分にとって13歳の頃は親に反抗して不良の真似事みたいなことをしていた時期ではあったのだけど、もう全然そんな華々しい?ものではなかった
冬休み前の終業式の日だったか、何かしら学校でいやなことがあり(今となってははっきりとは覚えてないのだが友人にいやなことを言われたとかだと思う)、いや、これはもう死ぬしかない、と思い詰め、学校の帰り、近所の造船所の脇の空き地に行って、おもむろに雪の中に横たわった(たぶん凍死するのが一番気持ちよくて楽だとかマンガに出てきたのを真似したのだと思う) まあ結局日暮れには、寒いなあ、とか言ってふつうに家に帰ったのだが、わたしのコートの背が濡れているのを見た母が、造船所のおっさんにレイプされたのかと勘違いして逆上したので、わざわざ母親を連れて寝ていた場所に戻って、はい、ここで一人で寝ていただけですとか言って納得させねばならず、非常にめんどくさかったのだがそれは余談である
年が明けて始業式が来ても、わたしは学校に戻らなかった そこから遠くの学校に転校するまで、一年余あり、その間親戚に預けられたりなどもあったが、基本的に自宅では何をしてたかというと、文字通り起き上がれなかったので、トイレに行くときと腹が減って台所に行って食べるものを探すとき以外は、床に臥していた 今振り返るとうつ病の始まりはここだったのかなあ、と思うが、自分にも親にももちろん病識がないし、頓珍漢にも大学病院の内科に連れて行かれ、自律神経失調症だとか言われて帰ってきたぐらいのものだった
この時期のことを客観的に振り返ってみると、まあもちろん学校で人間関係のトラブルは多分にあったのだが、たとえば自殺に追い込まれるような「いじめ」を受けていたというのではなかったように思う 大体、中学校というのはもちろん多くの子どもにとって夢のような楽しい場所ではなく、大なり小なりいやな目に遭ってストレスを抱えている子も多いと思うのだが、たとえ学校に行けなくなることがあっても、床から起き上がることができなくなるまでの弱り方をする13歳って、数としては多くないんじゃないだろうか だから、もろもろの出来事は病気のきっかけではあるのだが、原因ではないだろうと思う もともと脳内のセロトニンの量に問題があって、対人ストレスがきっかけで状態が悪くなったということじゃないだろうか
自分は対人ストレスが引き金になって抑うつ状態に陥りやすい、ということはもうこれまでの経験でよくわかったから、気持ちの吹き振りにかき乱されないように自分自身が気をつけ、かつ無理をしているときにはそれに気づいてすばやく対処できるようにしておかないと、今後迎えるいろんなライフイベントを乗り越えていけないだろう ま~もう大人だし もうひと月で36だし、持病があってもやり過ごせるようになりたいんだよね
という話。
↑これは他人のブログでよく見る表現だが、自分が使うとは思わなかった 笑
仕事をやめて五月はバリバリ博論書くぞ~、と思っていたのが、盗作の件の事後処理(学生側がわたしの処分を不服とする申し立てをし―どういう面の皮かと思うが以下略―全てを投げたつもりでいた学部長も夏休みに入ったため、結局わたしの側で詳細な証拠書類を作成することになった)に追われたり、夫の甥っ子の洗礼式のためにミシシッピデルタに行ったり、その他いろいろ懸案事項が出てきたので、一行も書けないうちに六月になってしまった
やはり、こう目まぐるしくいろいろあると精神状態も不安定になりがちなもので、最近はもうCBTはやってないけれど、自分の状態についていやでも考えさせられる
単刀直入に言うと、今まで何度かうつ病が再発しており、治療を経て今は投薬なしでやっているのだけれど、はっきり言ってもう自分の場合、もう二度と再発しないぞ!などと息巻いてやるのは無理があるというか、たぶん逆に調子が悪くなるのではないか つまり、「先天的」な問題が自分にはあると思うので、「完治」を目指すのはおそらくあんまりいい考えではない
精神疾患の先天性は議論の余地があることなのかもしれないが、自分としては別に後ろ向きになっているのではなくむしろ前向きで、自分の状態をよく知って、調子如何に振り回されるのではなく自分自身で調子をコントロールしていたいからこそ、こう思うのだ(全ての人に当てはまるわけではもちろんない) まあ今現在は事情があり投薬はNGだし、なくても大丈夫だな~というのはやせ我慢でも何でもなく、実感としてあるので日々くよくよしているわけでもない
なぜ「先天的」ということに思い至ったというと、我が家は精神科医もびっくりの華麗なるファミリーヒストリーがあり、家族ほぼ全員がメンタルヘルスに問題を抱えているからだ
えーまず、母親は精神疾患で二度の入院歴がある(診断結果は「神経症=ノイローゼ」だったそうであるが、これは昔のことで田舎のことなので、今なら別の診断がつくかもしれない)
父親はいつも自称躁鬱とか鬱とか言っていて、なんだかわたしにはよくわからないが、結局きちんとした医者に診てもらったことは、たぶんない ただ、十代の頃から睡眠薬依存があり(これは実は心理的なものだが)、自分同様情緒不安定になりやすい人である
兄は、自閉症(か、別の発達障害の)疑い例である 振り返ってみると昔は親もわたし自身も、いつも彼のことを知的障害と健常のボーダーラインのようにみなしていたが(というのは見るからに学習障害があったので)、世間体を気にしたのか、どこに話を持っていくべきなのかわからなかったのか知らないが、親はついぞ専門家に相談しなかったし、今も結局よくわからないまま放置している 兄は今は仕事がありぎりぎり社会生活が営めているが、常に首になるか、本人が周りとやっていくことにストレスを感じてやめるかの瀬戸際である
弟は、3年ほど前に統合失調症を発症し、予後はいいのだが自宅療養中で、母親とふたりで父親の介護をしている
やっぱりこれだけ病歴が出揃うと、自分の病気も単に「ストレスが原因です」とは到底思えない
思い出してみると、わたしがうつ病だと診断されたのは高校の時だったが、はじめて本格的に調子を崩したのは、13歳で中学一年生の時のことだ 知人の中には、どこからそんな話が出てきたのか、わたしのことを元暴走族とか思ってる人もいるのだが、自分にとって13歳の頃は親に反抗して不良の真似事みたいなことをしていた時期ではあったのだけど、もう全然そんな華々しい?ものではなかった
冬休み前の終業式の日だったか、何かしら学校でいやなことがあり(今となってははっきりとは覚えてないのだが友人にいやなことを言われたとかだと思う)、いや、これはもう死ぬしかない、と思い詰め、学校の帰り、近所の造船所の脇の空き地に行って、おもむろに雪の中に横たわった(たぶん凍死するのが一番気持ちよくて楽だとかマンガに出てきたのを真似したのだと思う) まあ結局日暮れには、寒いなあ、とか言ってふつうに家に帰ったのだが、わたしのコートの背が濡れているのを見た母が、造船所のおっさんにレイプされたのかと勘違いして逆上したので、わざわざ母親を連れて寝ていた場所に戻って、はい、ここで一人で寝ていただけですとか言って納得させねばならず、非常にめんどくさかったのだがそれは余談である
年が明けて始業式が来ても、わたしは学校に戻らなかった そこから遠くの学校に転校するまで、一年余あり、その間親戚に預けられたりなどもあったが、基本的に自宅では何をしてたかというと、文字通り起き上がれなかったので、トイレに行くときと腹が減って台所に行って食べるものを探すとき以外は、床に臥していた 今振り返るとうつ病の始まりはここだったのかなあ、と思うが、自分にも親にももちろん病識がないし、頓珍漢にも大学病院の内科に連れて行かれ、自律神経失調症だとか言われて帰ってきたぐらいのものだった
この時期のことを客観的に振り返ってみると、まあもちろん学校で人間関係のトラブルは多分にあったのだが、たとえば自殺に追い込まれるような「いじめ」を受けていたというのではなかったように思う 大体、中学校というのはもちろん多くの子どもにとって夢のような楽しい場所ではなく、大なり小なりいやな目に遭ってストレスを抱えている子も多いと思うのだが、たとえ学校に行けなくなることがあっても、床から起き上がることができなくなるまでの弱り方をする13歳って、数としては多くないんじゃないだろうか だから、もろもろの出来事は病気のきっかけではあるのだが、原因ではないだろうと思う もともと脳内のセロトニンの量に問題があって、対人ストレスがきっかけで状態が悪くなったということじゃないだろうか
自分は対人ストレスが引き金になって抑うつ状態に陥りやすい、ということはもうこれまでの経験でよくわかったから、気持ちの吹き振りにかき乱されないように自分自身が気をつけ、かつ無理をしているときにはそれに気づいてすばやく対処できるようにしておかないと、今後迎えるいろんなライフイベントを乗り越えていけないだろう ま~もう大人だし もうひと月で36だし、持病があってもやり過ごせるようになりたいんだよね
という話。
1/18/2011
この医者ぁ。。。
わたし、何だかしらないがこの町に引っ越してきてから病院にかかる機会が多く、病院絡みで嫌な目に遭う確率もなぜか非常に高い
年末に婦人科系の検査をして薬を飲むことになったんだけど、あいにくと診断結果が出たときわたしは日本だったので、夫が医者から電話で話を聞いた そのとき、薬をどう飲むとかいう指示がいっさいなかったので、ネットで調べたら、生理周期によって止めたり始めたりしなきゃならない時期がある薬だと出てきた
不安になって電話したら、ネットで得た情報と全く同じことを今更のように言われる
ていうか、何でわたしから電話してそんなこと確認しなきゃならないのか。。。
ていうか、わたしから電話しなかったらそのまま間違った飲み方しとったやん。。。
かかりつけの病院からリファーされたときは、この先生は名医で予約がすぐ取れたのはラッキーとか散々言われたというのに、この医者ぁ、説明義務すら果たしてないじゃないか。。。
近頃キレやすい大人となったわたしは、もう、喉の辺りでこう、怒号泡立つ感じになったけれど
新年の誓いに従って、ぐっとこらえてキレませんでしたよ
でも、医者と話すのって、どうやら自分には鬼門らしい
帰省中も、父の主治医(この男は主治医らしいことなど何にもしてなくて、父が救急車で担ぎこまれた晩にたまたまそこにいたというだけで、主治医になっているのだが)があまりに高圧的な物言いをするので、本気でケンカを売りそうになったのだった
イヤだねえ、権威を笠に着て仕事しない奴は
しかし、短気は損気
あわてないあわてない、一休み一休み(©一休さん)
年末に婦人科系の検査をして薬を飲むことになったんだけど、あいにくと診断結果が出たときわたしは日本だったので、夫が医者から電話で話を聞いた そのとき、薬をどう飲むとかいう指示がいっさいなかったので、ネットで調べたら、生理周期によって止めたり始めたりしなきゃならない時期がある薬だと出てきた
不安になって電話したら、ネットで得た情報と全く同じことを今更のように言われる
ていうか、何でわたしから電話してそんなこと確認しなきゃならないのか。。。
ていうか、わたしから電話しなかったらそのまま間違った飲み方しとったやん。。。
かかりつけの病院からリファーされたときは、この先生は名医で予約がすぐ取れたのはラッキーとか散々言われたというのに、この医者ぁ、説明義務すら果たしてないじゃないか。。。
近頃キレやすい大人となったわたしは、もう、喉の辺りでこう、怒号泡立つ感じになったけれど
新年の誓いに従って、ぐっとこらえてキレませんでしたよ
でも、医者と話すのって、どうやら自分には鬼門らしい
帰省中も、父の主治医(この男は主治医らしいことなど何にもしてなくて、父が救急車で担ぎこまれた晩にたまたまそこにいたというだけで、主治医になっているのだが)があまりに高圧的な物言いをするので、本気でケンカを売りそうになったのだった
イヤだねえ、権威を笠に着て仕事しない奴は
しかし、短気は損気
あわてないあわてない、一休み一休み(©一休さん)
8/27/2010
怒りとつきあう
きのうの晩から今日の昼前にかけては随分ひどかった
仕事を再開して最初の週を乗り切って緊張が解けたせいなのか、わけもなく突然に感情的になり、涙が止まらなくなった と思えば次の朝には、常軌を逸した怒りがこみあげてきて、悪態をつきまくった
わたしを知るたいていの人は、わたしが時々このような状態になるということを知らない なんとなく鬱っぽいとか、なんとなく幸薄そうとか、なんとなく頭がおかしそうとか、なんとなく家庭環境が悪そうだとか、そのようなイメージはいくらでもついて回ってきたのだろうが、こう見えてわたしは、日本にいた頃は外面がいいときもあったから、人の悩みを聞いたり助言したりなど、今となっては考えられないような偉そうなこともしていた
まあもちろん、誰かれ構わず爆発しているようでは、まともな社会生活が営めないのだから、外面を持つのは当たり前のことなのだ しかし家での爆発に常時付き合っている家族、今の場合は夫だが、彼らにしたら、そんなのはとんでもないとばっちりでしかないだろう
怒りのわけはわかっている
どうしても好きになれない人間(隣人の元彼女だか元鞘に戻っただか)がいて、彼女がフェイスブックで夫に話しかけてきたのが耐えられなかったのだ それを見た日は夫の誕生日だったので、大事な日をぶち壊しにしてはならんと思って、そのことは口に出さなかった、でも結局後になって、ふつふつと怒りが沸いてきてぶちまけてしまった 思い返せば去年調子を崩しかけていたときも、実は彼女のことを考えてはブチ切れるということが、何度となくあった これは確実に、トリガーのようなものになっている
ふつうは大人になると、誰かのことを死ぬほど嫌いだとか憎いとか、思ったりしなくなるもんではないだろうか 自分自身、こんなに特定の人間のことを忌み嫌うのは子どものとき以来なので、自分が抱える膨大な怒りの感情に面食らってしまう
しかし、CBT的には、怒りなどのネガティブな感情を全否定するのは逆効果である 「怒るのはよくないことだ」として抑圧すると、結局「怒ってしまった駄目なわたし」に向かって怒りがブーメランのように戻ってくる そうではなく、ネガティブになっている自分を一旦丸ごと受容した上で、着地点を見出したいのだ
さしずめ、こういうことか: 怒るのは仕方がない すべての人間とはうまくやれないし、たいていの人間は彼女の態度に多少の怒りは感じるのではないか しかし、そのような人間に自分の感情を振り回されてしまうのは、もったいないことだ 第一彼女は遠くに住んでいて、ネット以外で目にする機会すらない 現実には、自分たちの生活にはまったくかかわりのない人間なのだ
あれっ これは全部夫に一回言われたことばかりだなあ…
やっぱり、言われたことが腑に落ちるためには、自分でもう一回書いて受け止めないといけないということか
仕事を再開して最初の週を乗り切って緊張が解けたせいなのか、わけもなく突然に感情的になり、涙が止まらなくなった と思えば次の朝には、常軌を逸した怒りがこみあげてきて、悪態をつきまくった
わたしを知るたいていの人は、わたしが時々このような状態になるということを知らない なんとなく鬱っぽいとか、なんとなく幸薄そうとか、なんとなく頭がおかしそうとか、なんとなく家庭環境が悪そうだとか、そのようなイメージはいくらでもついて回ってきたのだろうが、こう見えてわたしは、日本にいた頃は外面がいいときもあったから、人の悩みを聞いたり助言したりなど、今となっては考えられないような偉そうなこともしていた
まあもちろん、誰かれ構わず爆発しているようでは、まともな社会生活が営めないのだから、外面を持つのは当たり前のことなのだ しかし家での爆発に常時付き合っている家族、今の場合は夫だが、彼らにしたら、そんなのはとんでもないとばっちりでしかないだろう
怒りのわけはわかっている
どうしても好きになれない人間(隣人の元彼女だか元鞘に戻っただか)がいて、彼女がフェイスブックで夫に話しかけてきたのが耐えられなかったのだ それを見た日は夫の誕生日だったので、大事な日をぶち壊しにしてはならんと思って、そのことは口に出さなかった、でも結局後になって、ふつふつと怒りが沸いてきてぶちまけてしまった 思い返せば去年調子を崩しかけていたときも、実は彼女のことを考えてはブチ切れるということが、何度となくあった これは確実に、トリガーのようなものになっている
ふつうは大人になると、誰かのことを死ぬほど嫌いだとか憎いとか、思ったりしなくなるもんではないだろうか 自分自身、こんなに特定の人間のことを忌み嫌うのは子どものとき以来なので、自分が抱える膨大な怒りの感情に面食らってしまう
しかし、CBT的には、怒りなどのネガティブな感情を全否定するのは逆効果である 「怒るのはよくないことだ」として抑圧すると、結局「怒ってしまった駄目なわたし」に向かって怒りがブーメランのように戻ってくる そうではなく、ネガティブになっている自分を一旦丸ごと受容した上で、着地点を見出したいのだ
さしずめ、こういうことか: 怒るのは仕方がない すべての人間とはうまくやれないし、たいていの人間は彼女の態度に多少の怒りは感じるのではないか しかし、そのような人間に自分の感情を振り回されてしまうのは、もったいないことだ 第一彼女は遠くに住んでいて、ネット以外で目にする機会すらない 現実には、自分たちの生活にはまったくかかわりのない人間なのだ
あれっ これは全部夫に一回言われたことばかりだなあ…
やっぱり、言われたことが腑に落ちるためには、自分でもう一回書いて受け止めないといけないということか
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