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4/20/2012

Cおじさん

今わたしが住んでいるのは夫の母方の一族が住む小さな町である 彼らの一族を含めこの町に住む人たちの多くは、スペイン系フランス系を先祖に持つクリオールと呼ばれる人たちである 

クリオールと一口にいっても、ここらの人はルイジアナのクリオールやカリビアンのクリオールとはまた違った文化を持っている もともとの先祖はモビールという町に殖民したスペイン系フランス系の人たちらしいが、どのようにしてここに彼らの共同体が作られたのかという過程はあまり明らかではない その容姿から、おそらく共同体を建てる過程でアフリカ系やネイティブアメリカンと混血してきたのだろうということだけは推測される 

長年近隣の大きな共同体と隔絶した辺境で近親婚を続けてきたクリオールは、白人でも黒人でもインディアンでもない、「クリオール」としか言いようのない特徴ある容姿を保つようになった 今の世代は非クリオールの人と結婚する人も増えているので、見るからにクリオール、といった感じではない人も増えているが、多くの人はどちらかといえば背が低く肌色は浅黒く、髪の色は暗く、アフリカ系の血を感じさせるカーリーヘアの人と、ネイティブ風の真っ黒な直毛の人とに分かれている 日本人のわたしからしたら、それでも彼らは肌の浅黒い白人という感じなのだが、南部的文脈では混血、非白人ということで差別も受けてきたようだ この前、1949年に出版されたDown in Creole Country という雑誌の記事を読んでいたら、クリオールの学校の写真というのが出てきたが、そこに写っている子どもたちは半分はクリオール、半分はアフリカ系という感じで、要は白人の学校に行くことができない子たちが集められていたのだということがわかる(当然だが当時の南部は人種隔離の時代である)

もともとスペイン系フランス系がルーツだけに、クリオールの多くはカトリック教徒であり、小さな共同体で暮らす彼らの生活の中心は教会である うちの夫の母方の親族も、ここに残って暮らしている人たちは信心深い人たちが多い 夫の母は元尼僧であるし、お母さんの弟の一人、Cおじさんは神父である

Cおじさんは8人きょうだいの末っ子で、年の頃は50代ぐらいではないかと思う 若い頃はバンドマンだったらしいが、奥さんを病で亡くしたときに信仰に再度目覚めて神父になったらしい そのせいか神父と言っても堅苦しいところがなく人を笑わせるのも好きな、陽気で豪快なおっさんである 陽気なのはいいが、しばしばPC的にちょっとアレな発言が多いので、神父みたいに喋ることを生業にしているといろいろ角が立つことが多いのではないかとこちらがヒヤヒヤする

この前ひょっこり家に遊びに来ていったときは、プロテスタントの強い南部ではカトリックは差別されがちであるという話をして、ある日神父の服を来て保守的と言われるある町に出かけたら、赤の他人がいきなり彼のことをぺドファイルと呼んだ、ということをいった これだけ聞けば、神父稼業も楽ではないなあと同情したくもなるが、Cおじさんはその後付け加えて、「それでその後こびと(midget)に会って、腰を下ろして話しかけたら、俺のことを見下ろしたんだよなあ ぺドファイル呼ばわりされるし、こびとに見下ろされるし、ついてない日だったなあガッハッハ」などと言うので、神妙な気持ちもぶっ飛んでしまうのだった 

また、皮肉なことに非カトリックであるわたしだけがバチカンに旅行で行ったことがあるという話をしていたときも、 「写真取った?」と聞くので、「取った取った」と答えると、「pagan pictures?ガッハッハ」という もはや笑うところなのかどうなのかよくわからない ちなみにCおじさんはわたしが英語が話せないと思っていて、その先入観のためにわたしが何を言っても9割方聞き取れない(自分の英語にアクセントがないとは言わないが、いくらなんでもそこまでひどくはない) おじさんは憎めない人なので、腹は別に立たないし、わたしはわたしでアクセントの問題とは関係なく、あんまり彼が言っていることの内容がよくわからないため、わたしたちふたりの間ではあまりコミュニケーションが成り立たず、傍から見るとほとんどコントのようになっている

ともあれ、Cおじさんはわたしがカトリックでないということについていろいろと思いを馳せていたようで、今回の来訪では繰り返し、わたしが改宗しようと思えばいつでもできる、ということを言って帰っていった なぜ改宗してもらいたいかと言えば、これだけカトリック信仰が生活の基礎になっている一族と結婚し、今はたまたまここに住んでもいるんだから、というがまずあるのだろうし、娘が生まれたから、娘にも洗礼を受けさせたいのだろう カトリックでないpaganである以上、わたしは地獄に落ちることになっていて、一応家族になった人が地獄に落ちるのはやっぱりまずいのかもしれない

しかし、これはCおじさんには言わなかったが、正直にいって、わたしは地獄に落ちようが何しようが別にどうでも構わないのだ わたしは夫の母方の文化的伝統には敬意を払っているが、それだけが理由で形式的に改宗することに意味を見出せない また、もし夫が娘に洗礼を受けさせたいと言えば、それはもちろんそうしてもらってよいのだが、夫自身毎週教会に行くわけでもなく、多くの教理を時代錯誤に過ぎないと思っているわけで、それなのに形式だけ洗礼を済ませる(そしてその後二度と教会に戻らない)のはアホらしいと言う 

この問題何がややこしいかというと、わたしたち夫婦は法的には結婚しているが、カトリックの教義ではカトリック教徒と非カトリックは結婚できないため、教会の元ではわたしたちは結婚していないことになっている もし結婚しようとすれば、わたしは何ヶ月もかけて教理を学んだり、さまざまな複雑な手続きを得なければならない Cおじさん曰く、これもすっ飛ばして紙ペラ一枚提出すればどうにかなるという 神父がそういうのだからできるのかもしれないが、果たしてそうすることがいいことなのだろうか また娘の洗礼に関しても、夫によれば正式には、子どもを洗礼するためには少なくとも両親のうちは片方がカトリックでなくてはいけないし、少なくともふたりともクリスチャンでなくてはいけない これもCおじさんは、大丈夫大丈夫と言うが、どうなのだろうか 

カトリックにはそれはそれはたくさんのルールがある そしてルールのあるところには例外がある 現代に生きていると複雑怪奇な宗教上のルールを遵守することはもちろん難しい そのため何か制度上の矛盾が生じるところにはほとんどと言っていいほど例外事項が存在する たとえばカトリックで一番特徴的なのは離婚ができないことだが、離婚はできなくても結婚を無効化すること(annulmentという)は可能なのである 実際夫の一族でも、教会の元で結婚したけれど、その後離婚した(法的に離婚して教会ではannulmentの手続きを経たということだろう)人は山ほどいる

夫にしたら、これら一連の例外事項がご都合主義にしか見えず、できないことは始めからしなければいいのに、なぜ例外を設けてまでルールを守っている振りをするのかよくわからないらしい paganたるわたしはどっちにしろ蚊帳の外なので、なんだかなんというか、どっちでもよい どっちでもよいが、もし仮に娘が洗礼を受けた場合(おそらくしないだろうが)、家族の中でお母さんだけ地獄に行くということを、彼女がどのように受け止めるのだろうかとは、ぼんやり思うのだった

1/18/2012

ある日、南アラバマにて

自嘲気味に気に入っているシンプソンズのエピソードに、大学院生についてのものがある
カートが大学院生をバカにしているのをマージがたしなめて、"Don't make fun of grad students--they just made a terrible life choice" というのだ(下記参照)



この前唇がひどく荒れてガサガサになり、ふつうのリップバームでは全然効果なくてかぶれたようになったので、(またしても)ウォークインクリニックに行くことにした ネットで調べたら、ドクター・グプタと言ってなんやらインド系のお医者さんらしい この医者にはおばあさんが一回かかったことがあり、何にもしてくれなかった!と文句たらたらだったが、まあ他に選択肢もないし、と娘を夫のお母さんに預け、授乳時間の合間を縫って出かけることにした

道すがらマージの台詞を思い出しつつ、確かに自分たちは大学院なんか行っちゃって人生の選択を誤ったよな~と、冗談まじりに話しているうちにクリニックに着く 12時半くらいだったが、窓口に行くと、「ドクター・グプタは2時まで戻りません」と オフィスアワー9時から5時までって書いてあるのにいないんかい、とさっそくイラッとして、もう今日は諦めようかなあと車に戻ると、エンジンがかからない 

うちの車は電気系統がいかれていて、時々セキュリティロックがかかってエンジンがかからないことがあったのだが、去年だったかこの件で修理に出したので、もうすっかり直ったと思っていたのに、また壊れたみたいだ 修理に出す前はよく、夫がエンジンの蓋を開けて、誰かにアクセルを踏ませつつスクリュードライバーをどこやらに差し込み火花を散らせてエンジンをかける、という原始的すぎる方法を取っていたのだが、さすがにもう直ったと思っていたので今日はスクリュードライバー用意してないと言う 笑

しかし、夫曰く、この症状はしばらく待っていると直ることがあるらしい 以前夫とAがモールに行ったときにも動かなくなったけど、ペットショップで暇つぶしてまったく予定外に熱帯魚とか買ってる間に直ったという というわけで、他にどうしようもないので、近くで何か食べて2時まで待ってドクター・グプタに会うことした 授乳時間までに帰れないので、娘にはミルクをあげるように夫のお母さんに電話で頼む 

クリニックが入っているストリップモールには飲食店らしきものはないので、なんかこのイベント自体が貧乏院生生活のパロディみたいだよな~、とか言いながら、とぼとぼと道を歩いていくと、Chick & Sea Restaurantの文字と、間の抜けたグーグーガンモみたいな鶏と魚の躍る看板が視界に入ってくる そのローファイ加減に、思わずへらへらと力の抜けた笑いが漏れる 見るからに鄙びた感じのレストランで、フライドチキンやシーフードを使った家庭料理の店のようである 周りにはほかにサブウェイしか見当たらないし、これも何かの縁だからというわけで、吸い寄せられるようにして入っていってみると、中はお年寄りで超満員であった 老人の群れに混じり、夫はシュリンプポーボーイ、わたしはオイスターポーボーイを食べ、デザートにぺカンパイも頼んだ それなりにいける味だ ゆっくりと食事して1時を過ぎたころあたりを見回すと、店一杯にいたじーさんばーさんたちが忽然と消えている お年寄りは実に規則正しい生活を送っているようだ

レストランを出て車に戻ると、エンジンがかかった!この機を逃してはならんと、夫には家に帰って別の車を持ってきてもらい、わたしはドクター・グプタに会う たしかにインド系のおっちゃんだったが、診察が30秒で終了したため特筆すべきこともなく、処方箋をもらって帰る 帰りはおばあさん(クリスマスで帰国した夫のお父さんにくっついて韓国に行ってしまいいないのだが、それはまた別の話)の車に乗ったが、走ってる間中ずっとただならぬ異音を立てていたので、どっちかっていうとこの車のほうがやばいんじゃないのという感じだった トラブルのない車には、どうやら縁がないらしい

8/26/2011

バナナプディング

昨日は夫の誕生日だったので、車で2時間ほどのSt George Islandという小さな島に泳ぎに行った
ここはわたしたち夫婦の行きつけで、いつもは島についてすぐのところにあるパブリックビーチに行くのだが、今回は特別に6ドル払って外れにあるステートパークに行ったら、きれいで、人もほとんどいなくてすごく良かった いつもビーチには盗られたらいやだからカメラは持っていかないのだが、この日は平日で学校が始まる時期ということもあってか人出がほぼないような状態だったので、持っていって写真を撮ればよかったと思う 帰ってきたあとは、夫のリクエストにより、から揚げとマカロニサラダ、味噌汁の晩御飯 それから、昨日から下準備しておいたバナナプディングをバースデーケーキの代わりに出した

バナナプディングというのもたぶん南部のデザートだと思う 夫が子どもの頃、誕生日にはおばあさんに何でも好きなデザートを作ってもらうことができたそうで、いつもバナナプディングをリクエストしたという そういう話はいつもしてもらっていて、ひょっとして作れというプレッシャーがかかっているのかとも思いつつ、もともとお菓子作りあまりしないわたしは放置していたのだった 笑 今回は、いつも誕生日にあまり大したことをしてあげなくて不憫に思っていたので、作ってあげることにした
といっても、見かけがどういうものかというところからわからなかったのだが、この前アラバマのバイユーラバトリーで入ったレストランでちょっとだけ食べたので、その記憶を元に見よう見真似で、最終的にはこのレシピを使って作ってみた  プディングというよりは、カスタードクリームにバナナと、バニラウェハースと呼ばれるクッキー(下の写真に写っている真ん丸いもの)を崩して入れたお菓子、という感じだ
夫はお愛想か今まで食べたバナナプディングでおいしいと言ってくれた(いや、たぶんおばあさんのやつの方がうまいだろう)が、これが何しろ甘い 脳が損傷を受けるんじゃないかというぐらいの強烈な甘さだ 
もちろん南部のデザートは甘くてなんぼ バタークリームたっぷりのバースデーケーキなどは全然好きでないわたしだが、ケーキでないこの手のデザートなら、何となく食べてしまえるほうだ とは言え、作りすぎて大量に残ってしまった

糖尿の検査を再来週に控えているので、本当なら甘いものは控えたいところだが、あと3、4日は夫婦ふたりでこれを食べ続けることになりそうだ ジャンクフードと甘いものが好きな隣人にも密かに処理班になってもらおうと期待していたが、昨夜食べさせたら、「実はフルーツ全部にアレルギーがある」と言って、あまり食べなかった えっ、フルーツ全部?それアレルギーとかじゃなくて偏食なだけだろ、とも思ったが、食べられないもんは仕方がない

まあ夫に喜んでもらえたのでよしとして、黙々と残りを食べよう

8/21/2011

ジョージアピーチをなめてはいけない

ジョージアといえばピーチ、ピーチといえばジョージアというくらい、桃はこの州でも一番の特産物である 黄桃で、この辺のスーパーではフレッシュなものも安く手に入る
わたしは今まで、この桃は大したことなくて、日本の白桃の方がおいしいんじゃないかね、などと言っては、夫(この人はジョージア州の高校を出たので桃には一家言ある)にジョージアピーチをなめるんじゃないと言われていた
ところが最近、行きつけのウォルマートの商品管理のひどさとレジ前のカオスっぷり(人の配置の仕方がめちゃくちゃなので、いつもレジ前に人が足りなくて行列になっている)に耐えかねて、行くのをやめた それで、近所のWinn Dixieという別のスーパーに行って、たまたまジョージアピーチが出ていたので買ってみたら、これがもう何じゃこりゃあと叫んでしまうぐらいうまかった
つまり、ジョージアピーチがおいしくないのではなくて、わたしがおいしいジョージアピーチを食べたことがないだけだったのだ ウォルマートにはあっても硬くて小ぶりのものしかおいてないし、そもそもカリフォルニア産が多くてジョージアピーチ自体なかなか見つからないことが多かったからだ 勝手な思い込みで決め付けてはいけないと、桃に誓って書いておく

思い込みといえば、わたしが住んでいる地域の日本人の人たちはウォルマートに対するネガティブバイアスが強い 確かにうちの近所のウォルマートは上記のような問題があるのだが、市内にはほかにも新しくてきれいなウォルマートもあるし、わたしがミシシッピに住んでいたときは、ウォルマートは町に二軒しかないスーパーのうちの二軒だったから、誰もが買い物に行くし、経営戦略(店員を最低賃金で酷使するので結局社員教育もへったくれもなくなってしまう、中国のスウェットショップで安物を大量生産しているetc)にまつわるネガティブなイメージは別として、特に店そのものを悪くいうような人はあまりいなかった(実際そこの店舗はいろんな点でこの前までわたしが行っていたところよりしっかりしていた)
ところがここでは、ウォルマートそのものをものすごく馬鹿にしていて、話を聞いていると要は貧乏人(i.e.黒人とメキシカン)が行く店では買い物したくないと言っているようにしか思えない人がいるので、一体何なんだろうと思う 品物がものすごくいいとは言えないし、他にも色々と選択肢があるので別の店(PublixなりWinn Dixieなり)に行くというのなら話はわかるのだが、そこに人種にまつわる余計な一言を無神経に添えてくる人たちがいる これはスーパーのことだけでなくて、何でもそうだ もちろん日本人の人が皆そうだと言っているのではないのだが、ここでわたしが日本人の人たちとほとんど交流がないのは、そういう種類の人たちを避けて通ってきた結果でもある

腹立ちついでに書いてしまうが、一度わたしが日本にいるときから知っている人が、「黒人は働かない」ということを真顔で言ったので、本当に驚いたことがあった というのも、わたしはこの古典的なステレオタイプであるところの文句が、19世紀のプランテーションノベルとかでなく実際に21世紀に生きている人の口から発話されるのを、アメリカに来てから二回しか聞いたことがないからだ 一度目は、ミシシッピの初老の白人男性だった 一緒に車に乗っているとき、"Let me tell you a secret..."というから何事かと思ったら、"Black people are lazy." と彼は言ったのだ この人は日本人留学生であるわたしには終始大変親切で、個人的に向こうに行ってから色々と世話にもなったのだが、二言目にはこの手の発言をする人だったので、わたしは決して心を開く気にはなれなかった

やはり、ジョージアピーチをなめてはいけないと思う

おばあさんにもらったBest of the Best Mississippi Cookbookという本のレシピでピーチコブラーを作ったらおいしかったので、下に記しておく

めんどくさがりのピーチコブラー(Lazy Peach Cobbler)
砂糖 1カップ(アメリカの1カップは240mlぐらい)
セルフライジングフラワー 1カップ
牛乳 1カップ
バニラエッセンス 小さじ1
バター スティック一本分(たぶん日本に売っているバターを縦半分に切ったぐらい)
桃 10個(黄桃がよい 実は10個はちょっと多い気もするので、8個ぐらいでもいいかもしれない)

材料を全部混ぜ、油を引いた耐熱容器に入れ、皮を剥いて細かく切った桃を上に載せ、350 F(176℃)に余熱したオーブンで一時間ぐらい焼く レシピには45分とあるが、やってみたらもう少しかかった
生地が桃の上に上がってきて、焦げ目がついたらできあがり あんまり焼きすぎて普通のケーキみたいになるより、ある程度しっとりとした状態で止めた方がよい
バニラアイスクリームを載せて食べるのがおいしい
熟れすぎた桃でも、こうしてコブラーにするとおいしく食べられる

8/15/2011

アラバマの夏休み

10日ほど、夫の両親の家があるアラバマに行っていた
両親はふだん韓国に住んでいて、夏休みにこちらに戻ってきていたが、お母さんの方は早めにこちらを経って夫の姉が住むカリフォルニアに行き、わたしたちが訪れたときはお父さんひとりだった
夫とお父さんはおもに庭仕事(家が建ったばかりで何もないので、土をならしたり草を刈ったり) をして過ごし、わたしはなんだか洗濯ばかりしていたようだ でも、久しぶりに生産的なことを何もしないで、いい息抜きになった

ある日は、家のある場所からMobile湾を挟んで向かい側にある、Bayou La Batre (バイユーラバトリーと発音する)という小さな漁村まで三人で出かけた(地図参照) 


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ルイジアナだけでなく、メキシコ湾岸のミシシッピとアラバマにもフランス人が建てた町は多く、ここやMobileもそのひとつだ 映画「フォレスト・ガンプ」でババ・ガンプ・シュリンプ株式会社が設立されたのは、このBayou La Batreという設定ということだ(日本で見たときは意識してなかったが、フォレスト・ガンプはアラバマ出身なのである 実際にこの漁村には原作者の一族であるGump家というのがあって、夫の母方の一族と遠い親戚にあたるんだそうだ)
ここは一見、ただの南部の小さな田舎町なのだが、ヴェトナム戦争後は飛躍的にヴェトナム系移民が増えたという それから驚いたことに、統一教会(Unification Churchと英語では言う)の建物があった お父さんによると、70年代ごろアメリカの若者がカルト一般に強い興味を持っていた頃に、信徒を増やしたという
ここに来た目当てはお父さんが30年ほど前に来たことがあるというシーフードレストランだったが、たどり着くとつぶれていた ガスステーションで地元の人に話を聞くと、カトリーナの影響で閉店に追い込まれたという 残念だったが別の店でなんとか昼食を取ることができ、いちおうエビも食べた その後は、少し離れたDauphine Islandという島まで車を走らせ、そこから車ごとフェリーに乗って湾の反対側に戻った

ところでいつもなら、アラバマの家にはおばあさん(夫のお父さんのお母さん)がいるのだが、なんかかんかで機嫌を損ねて、ミシシッピの自分の家に帰ってしまったらしい もう帰ってこないでミシシッピにずっといる、と言っているのだが、どうなるだろうか
夫とお父さんに言わせると、この騒動の陰には、今ミシシッピに滞在している彼女のきょうだいのメアリーおばさんという人がどうも絡んでいるのではないかということだ メアリーおばさんという人はふだん南フロリダに住んでいてわたしは会ったことがないが、トラブルメーカーなのでおばあさんに何か吹き込んだかもしれないという
メアリーおばさんは、おばあさんときょうだいなのだが、ひとつも似ているところはないと夫とお父さんはいう
主な特徴は
1.声がでかい
2.いつも酔っ払っていて鬱陶しい(ちなみにおばあさんは酒を一滴も飲まず、自分の目の前では誰にも飲ませない)
3.たまに酔っ払ってないときも素で鬱陶しい
ということだ 
一度お父さんがミシシッピで彼女をイタリアンレストランに連れて行ったときは、店内の他の客と店員全員に間違いなく聞こえるであろう大声でこう言ったという:"This ain't no Ai-talian restaurant!!!! This place must be run by damn Jews from Miama!!!!" (メアリーおばさんは、MiamiをMiamaと発音するのが洗練された言い方だと思っているらしい) その場に同席した家族全員いたたまれない気持ちになったであろうことは間違いない また別の機会に、お父さんがHolly Springsというミシシッピの田舎町に彼女を連れて行ったときには、通りを歩いている黒人を見て、再びものすごくでかい声で、"Look at her!!!!! She must be from Africa!!!!"と。。。

南部に暮らしていると、たまーにこういう、Flannery O'Connorの小説から飛び出してきたような、存在自体が悪い冗談みたいな老人に出会うものだ ちょっと怖いもの見たさで会ってみたい気もするのだが、夫にそういったら、俺はもう全然会いたくないし、そんな南部研究的に面白い人物でも何でもなくて、単にうざいだけなのでやめとけ、ということだった 笑

7/10/2011

マイアミ州内旅行3

夫の用事が済むと、すぐに車でキーウェストに向けて移動する
事前の計算ではマイアミから5時間ぐらい?かかる予定であったが、実際はそんなにかからなかったと思う
道はUS1の一本だけなので混んでいると悲惨だが、そうでもなかった
キーウェストに向かう途上で有名なのはもちろんセブン・マイル・ブリッジだが、実際に渡ってみると、あれ?もう終わりか?みたいな拍子抜け感があった 南部はけっこう海にかかる橋が多いので、けっこう見慣れた風景だったし、個人的にはニューオーリンズ近郊のポンチャートレイン湖橋(世界一長い橋!)の方がよほど感動が大きかった ちなみにキーウェストに行く場合往復車だとかなり暇だということがわかったので、これから行く人は片方は飛行機でいいかもしれない

キーウェストには二泊して、小さい島なのですることはそんなになかったが、のんびりできてよかった
泊まったホテル(写真参照)がとても鄙びた感じで、雰囲気よかった(しかも安かった)


ビーチに行ければ、と思っていたが、とんでもなくしけた小さい砂浜、、、と言えるものしかなかったので、どうも泳ぐところではないらしい さらに小さな無人島まで行くとシュノーケリングやダイビングにいいところはあるそうだ
ビーチでは、海水に浸食され海藻だらけの砂の上に、どうしても体を焼きたい若い子と、Tバックに、何と言うのだ?角隠し?みたいなものがついた小さな小さな水着を着たおじさんが横たわっていたのみであった そういえばキーウェストは、ゲイの聖地でもある

とにかく泳ぐのはあきらめて、目玉のひとつであるへミングウェイ宅に向かう 昼前で、人でごった返している中、寝室、書斎など見て回る 庭に出ると、話には聞いていたが猫だらけ、猫まみれ ペットソサエティによってきちんと管理されているらしい
へミングウェイが六本指の猫を珍しがって、増やすことにしたのが始まりらしいが、今現在いる猫たちは五本指と、六本指と半々くらいらしい
いそいそと写真を撮って回っていると、木陰に隠れた老巨猫が、六本指の足をいかにもめんどくさそうにこちらに差し出してきた きっと来る日も来る日も人間たちが来ては、指が六本かどうか確認しようとするので、前もって足を出しておくことにしたのだろう


ほかにも夕日がきれいな場所とか、合衆国最南端ポイントとか、US1の基点と終点とか、おいしいシーフードレストランとか、いろいろあったのだが、長いので省略
最後に、キーライムパイが本当においしかったことだけ付け加えておく
キーライムという普通のライムより一回り小さいもののをふんだんに使ったパイで、実は今住んでいるところでも食べられるので、そんなに期待していなかったけど、これがところがどっこいまさに本場の味という感じで、よかった

フロリダ州内旅行2

毎週一定の量の原稿を指導教官のところに送る手筈となってるので、なかなかブログも更新できない
昨日今週分を出したので、今日は時間的に少し余裕がある


でマイアミだが。。。
何かもう記憶が薄れてきたが、とにかく先述の車のトラブルのせいで、観光に使えたのは一日だけだった 夫が朝早くから日本領事館に出かけていったので、わたしもそれに合わせてホテルを出て、電車とバスを乗り継いでマイアミビーチ市(グレーターマイアミと言われる本島部分に面した小さい島で、ビーチだとか人が一般的にマイアミの観光地と言って思い浮かべるような場所はここに集中している)まで出かけていった
電車やバスの中は、スペイン語が飛び交っていて、州内のほかの場所とはやはり違うという印象
ダウンタウンのバスターミナルは、ホームレスがたむろしていておしっこ臭かった 土地勘がないのであれなのだが、雰囲気のよい場所とよくない場所がめちゃくちゃに入り組んでいる気がする(ただし昼間歩く分には特に身の危険を感じたりはしない)

マイアミビーチに着き、サウスビーチの大通り沿いのアールデコ建築を見ながら歩く
パステルカラーで四角い建物のほとんどはホテルである




アールデコ建築群は20年代から40年代初頭にかけて建てられ、装飾性とか流線型が特徴とのこと 今の視点で見るとまあポップでかわいらしいのだが、当時としてはキッチュで俗悪な成金趣味だったのだろうか
今、ちょうど20年代から30年代辺りを博論で扱ってるので、この時代のフロリダに関する歴史書も読んでいるが、20年代のフロリダは空前の土地ブームでマイアミ中心に州が大きく発展した時代 これらの建築群は、その名残でもある

しかし、恐慌の影響もあって観光地としてのマイアミは徐々に寂れていき、80年代初頭辺りには治安も最悪だったとのこと 「スカーフェイス」はこの頃のマイアミでロケしたんだそうだ 確かに、雰囲気の悪さはよく出ている 笑

そこはかとない寂れ感と退廃というのは、実は今のマイアミビーチを歩いてすら感じられる 何かとにかくホームレスと前夜に飲みすぎて行き倒れている人が多く、一見きれいな屋外型ショッピングモールもそこら中おしっこ臭い
全体としては、(寂れ感も含め)何だか熱海みたいだ ホテルが建ち並ぶ海岸通りはあの、お宮の松がある辺りに、どことなく似ていた

本当はマイアミビーチを出てからダウンタウンに戻り、リトルハバナをふらついて見たかったのだか、時間がなく断念
まあおしゃれでも何でもないし特に何があるってわけでもないのだろうが、サンティリア(ヴードゥーのキューバ版のようなもの)グッズの店なんかあるみたいで、ちょっと面白そうだった
実は日本領事館はこのリトルハバナとかなり近くにあるので、あとで夫に言ったら、行ってみたかったみたいで残念がっていた
キューバの料理とか、せめて道端でエンパナーダ(中南米の人がよく食べる具入り揚げパンみたいなもの)でも買って食べられればよかったなと思う

6/21/2011

フロリダ州内旅行1

というわけでフロリダ州内旅行に行ってきたのだが

実は初日に車のトラブルに見舞われて大変な幕開けとなった
うちの車(Chevyのインパラ 通称モンキー車)は計器類が全部壊れているのと時々エンジンがかからないことがあるのと時々ガス臭かったりなど満身創痍なので、旅行前にアラバマに行って、夫のお父さんの車(ヒュンダイのジェネシスというファンシーな車)を借りてきたのだが、朝4時半に家を出てまだ暗い町を走っていると、まだインターステートの合流にも差し掛からないうちに右後輪がパンクする そこで真っ暗な中、夫がスペアタイヤと取り替える 他の車もちらほら通り過ぎていくが、誰も止まって助けようとはしない これがミシシッピだったら、最初に出会うレッドネックのピックアップトラックが止まってくれるだろうに、と夫言う ほんとに都会は冷たい

苦労してタイヤを付け替えた末、とにかくこのまま走り続け、めぼしい町でタイヤ屋を見つけて交換するか、家に戻ってこの町の店が開くのを待つかで迷ったが、結局家に戻ることにする タイヤはブリヂストンのだったのだが、ネットで調べて電話するとどのタイヤ屋もうちの車の型に合うタイヤを置いていないみたいだし、ワランティが利くというのもあって、ヒュンダイのディーラーでタイヤ交換してもらうことにする

ディーラーに車を入れて待っていると、担当の兄ちゃんが「ちょっと。。。」と言って夫を呼びに来た もうできたのかと思ったら、どうやらただのパンクではなく、中心の金属部分を太いボルトのようなものが貫通しているという そんなことってありえるのかという感じだが、実際に見てみたら金属にばっちり穴が空いていた この部分もろとも交換できるかと聞くと、どうもタイヤ自体珍しい型のもののようで、店中のジェネシスを探し回ったが同じ部品を使ってるものはなく、カリフォルニアまで注文しなければならず、それには早くても2日かかるという

この旅行は単に遊びではなく、夫がマイアミの日本領事館で奨学金の面接を受けるという目的があり、面接は明日午前なのでどうしても今日中にマイアミ(車で8~9時間)までたどり着かなくては行けないことを伝えると、兄ちゃんは話のわかる人で、偉い人に掛け合ってくれて、ディーラー側が車を直している間の分のレンタカー代を負担することで、すぐに出発できることになった 修理期間を超えての追加料金はこちら持ちになるので、予定していたHurstonとRawlingsに関する土地巡りはあきらめることになったが、行けないよりはずっとましだ

気をよくしてディーラーの隣のエンタープライズ(レンタカー屋)に行くと、すごく混んでいてカオス状態になっている
従業員は5人くらいいるから人手が足りていないのではないのだが、仕事ができる若い兄ちゃん1人とあと無能4人、という構成で、しかも客が、事故ったけど別の車に代えて借り続けたいのだが保険が下りないとか、21歳未満だから特別な車しか貸せない(?)とかちょっとめんどくさい感じの人が多く、無能のうち1名がうまく仕事を裁けないでいると、有能な兄ちゃんがそれまでやっていることを放り出して助けに行く、ということをしているので、なかなか人が捌けない わたしたちは書類関連はさっさと済ませて車が上がってくるのを待っているだけだったが、待てど暮らせど車がこない 結局このレンタカー屋に来てから、4、50分はかかった気がする

ようやく用意された車を見ると、しけたダッジのハッチバックで、工場に入れた車のクオリティーに合わせて用意してくれるんじゃないか、レクサスとはいかなくてもせめて日産のアルティマとかが来るんじゃないかなどと勝手に期待していたわたしは、かなりがっくり来た(たぶん一番安いプランしかディーラーは負担できないのだと思うので、仕方がないが) わたしは全然運転しなかったのだが、ハンドルは軽くてくるくる回ってしまうし、ハッチバックで後ろの窓が小さいから車線変更の時全然よく見えないし、旅行中はずっとI hate this carと言っていた

何だかんだでようやく出発できたのが11時半、この朝最初に家を出てから、実に7時間経っていた

(もうここまで書いただけで疲れたので次に続く)

5/09/2011

フライドオクラとアメリカンフラッグと

南部は北米では一番オクラがよく食べられる地域のはずだ
しかし南部におけるオクラの調理法は大きく分けて3つしかない
すなわち
1)フライドオクラ
2)オクラのシチュー(これは、ジョージア南部でBrunswick Stewと呼ばれてるものとたぶん同じものを指していると思われる オクラとトマト、たまねぎ、コーン、何かしらの肉(ベーコンなど)などを煮て作る)
3)オクラのガンボ(これはルイジアナミシシッピアラバマにおけるメキシコ湾岸周辺の、いわゆるクリオール文化圏で食べられる)

しかし、アマゾンに注文して届いたばかりの料理本Janis Owens, The Cracker Kitchen によれば、
4)オクラのピクルス(Pickled Okra) というのもあるらしい よかった、バリエーションが増えた

今晩はこの前夫が作ったレッドビーンズアンドライスが冷凍庫に残っていたので、おかずにとフライドオクラを作った 食べながら、ビンラディンが死んでから町でUSAコールをする学生たちのニュースが日本でずいぶん流れたのか、何だかもうアメリカ人全員狂ってると思ってる人もいるようだが、みたいな話をした ああいうのはやはり、何かにつけ酔っ払って騒ぐ機会を手薬煉引いて待っているアホ学生のすることであるから、特に心配もしてないのだが、そこから話が飛んで、そういえば南部のレッドネックはいつの間にかずいぶんナショナリスティックになった気がする、と夫が言った

これはわたしも確かに気づいていた たとえば自分が研究している30年代の南部のワーキングクラスというのは、(当然南北戦争時代の名残でもあり、また禁酒法下の酒の密造とか大恐慌後のニューディールとか同時代的な問題も絡んでいるが)とにかくアンチ連邦政府の介入、アンチ法律一般、アンチエスタブリッシュメント、権力と名のつくものは大嫌いなアウトロー度満点な人たちなのであって、当時のカントリーソングの歌詞にしてもそうしたアウトロー性を歌ったものが多かった

それが、これは前にどこかにもう書いたことがある気がするが、気がつけば今ではカントリーはアメリカ万歳、家族の価値万歳みたいな保守層の価値観を代表するような音楽ジャンルとなっている(というか今のカントリーなんて、音の作り自体はありふれたポップソングでしかなく、よくよく歌詞を聴いてみると、俺がクォーターバックで彼女がチアリーダー、ピックアップトラックがどうしたこうしたでイェ~イ♪とか言ってるので、その時点で漸くああこれはカントリーなのねとわかる程度のものに成り下がっているが) それに呼応してか、アウトローとしてのレッドネックも、今この時のような機会をここぞとばかりに捉えては、やれアメリカ万歳、外国人と非キリスト教徒は出ていけだのという保守的な愛国主義の代表者になったということだろうか

夫はこの流れはやはり911以降でないだろうかと言っていたが、実はこれはもっと昔から始まっていたのじゃないだろうか 自分の感じとしてはやはり80年代のレーガン政権下のある時点、テレビを通じて米国民の経験が均質化していった頃が分岐点かなあという気がする 『ロッキー4』的なアメリカが、南部を捉えてしまったのだろうか そのうちレッドネックも南軍の旗を飾るのをやめて、アメリカンフラッグだけになったりして…

そんなことを考えながらもりもり食べきったフライドオクラのレシピ:

1.オクラの輪切り適量(冷凍オクラの場合、電子レンジで解凍しておく)を、少量のミルクに浸しておいて粘り気を出す
2.コーンミールと小麦粉を2:1の割合で合わせる(夫はもっとコーンミールの割合が多いほうが好きと言ったので、次はもっと増やしてみる)
3.粉のミックスに、塩こしょう、カイエンペッパー、ガーリックパウダーなどを適量足し、味をつける(ケイジャンシーズニングで代用してもよい)
4.オクラを3.にしっかりつけて、油で揚げる
おいしいよ!

4/02/2011

マルディグラ考

地震のことがあり、書く機会を失ってしまっていたのだが、春休みにはニューオーリンズでマルディグラと言われるカトリックのお祭りを見てきた ニューオーリンズ自体は3回目だが、マルディグラの時期に行くのは初めてでとても楽しみにしていた

マルディグラとは、フランス語で「太った火曜日」 という意味 このシーズン通して行われているカーニバルの、クライマックスの日である 次の日の「灰の水曜日」からは、カトリック教徒は日曜以外は肉食を控え、魚や豆などでプロテインを補給して節制を試みる うちの不真面目なカトリックの夫も、今年は魚ダイエットを可能な限りやるというので、わたしも付き合って、魚を食べてます

祭り自体は、もちろんカトリックといっても一方ならぬバリエーションがあるが、NOのマルディグラはいろんなクルーがフロートと呼ばれる巨大な山車でメインストリートを練り歩き、沿道の観客たちにビーズやらダブルーンと言われるコインやらを投げてくれる 山車に乗るクルーたちは、伝統的には秘密結社のメンバーみたいなもんなので、仮面で顔をかくしている
リオのカーニバルのように露出した衣装のねーちゃんたちはいなくて、マーチングバンドプラス山車という構成が一般的だった わたしは月曜の夜と火曜しかパレードを見ていないけど、相当の数の戦利品を持って帰った

ところで、マルディグラのもうひとつの風物詩といえば、ねーちゃん方が乳を露出することである 町全体でこのようなGirls Gone Wild 的な風景が見られるかといえばそれは誤解で、そういうことするのは、バーボンストリートを中心としたフレンチクォーターの酔っ払いだけである  フレンチクォーターにはよくある、二階部分がバルコニーになってる建物から、ビーズを投げてくるやつらがいるのだが、そいつらが、ストリートにいるねーちゃんたちに向かって、乳見せろ~!でないとビーズはやらないぞ~と煽り立てるので、お約束とばかりに着ている服をまくり上げ、彼女たちは乳を晒すのである

これ、前々から物見遊山で見てみたい気持ちはあったけど、実際に見てみた感想としては、正直いってかなりがっくりくるものがあった
まずもって、乳を出す人々の平均的クオリティーは、かなり低い(男目線ですみませんね) きれいな若いねーちゃんなんてまずいなくて、おばさんか肥満の人ばっかり 50~60代とおぼしき初老の婦人が乳を出して、夫らしき男性が延々それをビデオ撮影していたのを見たが、正直反応できなくて固まってしまった それから、トップレスのままでふらふらと歩いている人までいた(ちなみに警察が巡回しているので、こういうのは即逮捕もありえる 実際全裸の男がパトカーに乗せられてるのを見た) 

翻ってバルコニーからビーズ投げている奴らを見れば、明らかに親が大金持ちという理由だけでこの日にこの場所を貸切できているんだろう、と思わせる、アホさ丸出しのフラタニティーキッズばっかり そんなやつらと、泥酔しているばかりにアホくさいビーズのためになんだってやってしまう女性たちとが織り成すこの構図、はっきりいって微妙です

上にいる彼らと下にいる彼女らを分かつものは、なんなのか?
こういうことを考え出すと、自然と連想はカトリーナに飛ぶ そもそもフレンチクォーターをはじめとする観光地は、ハリケーンの被害を受けなかった 一方で、町の中心部を少し離れれば、沈み行く家に留まり 続けた人たちがいた 逃げたところで、どこにも行き場はないと知っていた人たちがいた

上と下を分かつものはなんなのか?
わたしはこの町のカーニバレスク的エネルギーには敬服しているけれど、「復興」後の町にいてすら、そんなことに思考が及ばざるを得なかった

それが数日後の出来事に対する予見であったなどとは、けっして言いたくないけどね

てか自分自身が名物カクテル、ハリケーンで泥酔して道で吐いたぐらいだから、ずっとこんな真剣なこと考えていたわけでも、ないのだ
おかげさまで酒をやめるいいきっかけになりましたとさ

1/17/2011

マルディグラ

ニューオーリンズには二回ほど行ってるけど、マルディグラという祭り(要はカーニバル)はいつも春学期中で、授業と重なったり して行くチャンスがなかった
しかし、今年の春休みの日程をチェックしていたら、祭りのクライマックスに当たるファットチューズデイはラッキーなことに、春休み週間のど真ん中じゃない
ということで、今年こそ行きます、マルディグラ!

しかし、禁酒しようと思ってたけど、期間中に飲めなかったらさぞかしつまらんだろうからやめるのやめよっかな…