気がつけば全く書いてなかったが、年明けを機にまた始めることにする
そういえば海外生活と何にも関係ないことばっかり書いているが、海外にいるからって、海外にいることだけ考えて暮らしているのではないので、仕方がないのだ
年末年始は、父親の具合が悪くなったので急遽一時帰国することになった
おととしの11月に脊髄損傷して手術し、春には歩行器を使えば何とか歩けるまでに回復したのだが、結局寝たきりになってしまって、褥瘡(いわゆる床ずれ)もでき、体もだいぶ衰弱しているとのことだった
急だったので変なフライトしか取れず、3日がかりで実家に着くと、父はもう入院した後だった
帰省中は毎日母と弟と3人で見舞いに行った なるべく感情的にならないように努めて接していたが、安易に励ましの言葉をかけることもできなかった
日本に帰るといつも井上雄彦の「リアル」(たまたま脊損の人が出てくる)の続きを買って読むことにしているんだが、その中に出てくる車椅子の登場人物が、オリンピック選手か何かが100mで世界記録を更新するのを見て、こんなことを言う――「この人だって空飛べるわけじゃない。鳥から見たら9秒でも15秒でも同じ、『飛べない』世界の出来事だわな。そう思わんか兄ちゃん。ということはだ、『歩けない世界』にもきっと、『9秒台』はあるんだ」
この台詞、読むたびに感動するんだけど、同時にこんなことを父に向かっては言えないだろうなとも思う 80近く(うちの父は平成天皇と同い年だ)になって急に動けなくなるということは、はっきりいいって自分の想像を超えている 若い時のように筋力があるわけでもない 頑張ればまた歩けるようになる、とは本人も思っていないし、リハビリに対するモチベーションがゼロでも、なかなか発破をかけることもできない
だからわたしは、あんまり父の顔を見ないで、窓の外を見ては今日は大雪だとかいい天気だとか言っていたような気がする 弟や母も、そうだったのかもしれない 1月2日だったか、病院前の大通りを、天狗やらお囃子やらなんやらが通り過ぎていったが、母はそれを覚えていて、あとでこっそり俳句にしていた(母は俳句教室に通ってるのである) 転んでもタダでは起きない表現とは、こんなことを言うのだな わたしも母を見習って、新年の誓いはやはり、「転んでもタダでは起きない」としたい
あとは、怒らない、早とちりで激怒して、見知らぬ人にケンカ売ったりしないことかな ニンニン
そんなわけで、あけましておめでとう
お久しぶりです。映研の小金丸です。元気ですか。
返信削除僕が高校生の頃、祖父が転んで、せき髄損傷し、首から下が動かなくなりました。
まさに想像を絶する苦痛だったと思います。ほんと、下手な慰めなんてできないですね。
月に一回ぐらいお見舞いに行っていたのですが、毎回すごく重い気持ちになったのを覚えています。
じいちゃんもだんだんネガティブな発言が増えてゆき、運命を呪っていたのか、なぜ自分が…的なことを言っていました。「虫がいる」、「取り除いてくれ」など、幻覚に基づく発言もするようになりました。
じいちゃんには結構かわいがってもらっていたので、ほんと、じいちゃんがかわいそうで、人生の不条理さ、自分の無力さを感じたのを覚えています。
じいちゃんは事故から4年後に亡くなりました。1996年、僕が2浪している時かな。なんもしてやれんかったなー。
しょーじさんの日記見て、思い出しました。
そうそう、1月29日、映研OB会があって、参加しようと思ってます。何人か同世代も来るらしいですよ。しょーじさんも機会があったら、参加してくださいね。
まるひさしぶりー
返信削除おじいちゃん、かわいそうだったね
わたしも親が年なのは前々からわかってたんだけど、足腰が丈夫な人なのでこういう展開は予想してなかったよ
OB会って最近はこんな時期にやってんのね
さすがにアメリカから飛んでいけそうにはないけど、同期周辺の人たちが来るのだったら、よろしくいっといてねん