7/29/2011

軌道修正

夫が応募していた奨学金、ダメだったとのこと
震災の影響で文科省が予算組み直したのか何なのか事情はよくわからないが、領事館から何人推薦できるかわからないと言われ、ひと月以上待たされたあげくのことなので、正直ふざけるなという感じだ 希望受け入れ先機関は社会科学系のかなりよさそうな実験施設があるところで、そこのディレクターの人からも、奨学金もらえたら来てもいいよという承諾ももらっていたので、ああ~なんだか勿体無い

夫婦ともに、今住んでいるところにややうんざりしているので、まだここに当分いると思うと落胆は大きい
日本でもアメリカでもどっちでもいいから引っ越したかったし、要はふたりとも大学院生という非生産的な身分にもう飽き飽きしていて、さっさと人生の次のステージに移りたいという気持ちが強いのだと思う 
夫はまだ3年目の終わりなのでいいけれど、日本で実験が組めないとなると博論の計画自体練り直さなければいけなくなるので、大変だろう まあ、リサーチグラントとかもらえたら短期で日本に行って実験することは不可能ではないのだろうけどね
自分に関しては、本当にいつまでこんなことやってんだ、という感じだ いい加減フルタイムで働いて学んだことを社会に還元したいし、学生ローンの借金もサクサク返したい

出産から間もなくアラバマに引っ越すことも考えて動いていたので、なんだか予定が狂わされたようだが、これもとっとと博論を書き上げろということなんだと受け取って、粛々と作業するしかないわ
実を言うと、日本に住んだら図書館に本が全然なくて、Interlibrary Loanも機能していなくてイヤだなあ、とは思っていたので、自腹で本買わなくても、資料を好きなだけ使って書くための時間を余分にもらったんだと思って、できることはできるうちに、をモットーに頑張ろう。。。

出産までに、何とか2章分書き上げるのが目標!

6 件のコメント:

  1. 匿名7/31/2011

    度々投稿させていただきます。hsk10さんは、何について、研究をされているのでしょうか。

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  2. 匿名さん、コメントありがとうございます
    わたしの研究分野はアメリカ文学です
    特に南部文学を専門にしています

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  3. 匿名8/03/2011

    コメントバックして頂いて、ありがとうございます。
    南部文学ですか。いや、正直そのようなジャンルが確立されていたなんて、全然知りませんでした。それにカテゴライズされるかどうかは、作家さん達が出生した場所や時代が関係するのですか?だとしたら、私の好きなSalingerとかVonnegutは、全然南部文学ではないですね。詩だと、DickinsonやWhitmanが好きですが、やっぱり全然南部ではないですね。(笑) Faulknerは、じゃぁ、南部文学ですか。彼の作品は、あまり好きではありません。ですので、作品をあまり読んだこともありませんし、第一、Faulknerという名前がすでに気に入らない。気取りやがって。(ひどい言いようですが)
    反対に、私は南部の音楽が大好きです。BluesもCountryもBluegrassもSouthern Rockも大好きです。作者不明の民謡とかも好きです。きっと、アジア人の私なんかは、受け入れてくれないだろうと思いながらも、アメリカの南部が好きです。
    それより気になったのですが、文学の研究とは一体どういうことを研究するのですか?作家になることとはまた違いますよね?前々から気になっていたのですが、文学部に属する友人がおらず(私の通う大学は文学部を持っていないし)、今まで誰にも聞くことができませんでした。ではでは。

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  4. 匿名さん、

    コメントありがとうございます そうですね 南部出身の作家の作品を広く指して南部文学と言ってます サリンジャーやヴォネガットがお好きだと、たしかに南部文学はちょっと毛色が違うかもしれませんね
    フォークナーはお嫌いですか 笑 わたしは特にフォークナー専門ではないですが、ミシシッピで住んでいた町が、フォークナーが生涯暮らしていたところでした そこのわりと近くにはブルースの聖地と言われる小さい町もあって、時々ブルース好きの日本人観光客がひょっこり訪れることもあります 南部に興味がある人なら楽しいエリアなので、旅行先としてお勧めしますよ アジア人云々は心配いらないです わたしアジア人ですけど、どこでも出かけていきますしみんな親切ですよ 

    文学研究は、ストーリーを追いかけてただ読むのを楽しむというところから一歩踏み込んで、歴史的文化的背景に配慮しながら、文学テキストを分析するというのが基本です といってもわかりにくいかな?自分の博論では、フロリダを題材として作品を書いた女性作家二人を取り上げて、南部にとってアウトサイダー的存在の彼女たちが南部をどのように描いているか、というようなことを書いてます 自分自身の境遇に少し重ねているのかもしれませんね

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  5. 匿名8/13/2011

    ミシシッピ。ブルースが大好きなので、いつか旅行してみたいと思っています。アメリカで、勉強したいという気持ちも強くあります(この気持だけで、紆余曲折がたくさんありますが)。数学などを。色々自分の中に課題があるので、まだ、わかりませんが。文学研究も、私には、非常に興味深く見えます。hsk10さんの言うことと、少し違うかもしれませんが、私が、本をオモシロイと思って読む理由は、このような感じです;私が生まれる前のアメリカに生きた人々が、どのように思い、感じながら、どのような世界を見て、生きたのだろう。何が苦しくて、何が幸せだったのだろう。今、私が生きている現在は、彼らの未来。私は、それらの昔のことは、写真と、映像と、本の中ででしか知らない。だから、どこか、今この私が、この瞬間の空間を捉えているような映像のなかで、その昔も、人が生きていたというのが、にわかに信じがたい。でも、彼らの残したものの中に、今生ききている私自身と、そして、同時に何かを残していて、私が、”昔”と勝手にまとめ上げたものは、意識を現在に戻せば、やはり、今私が生きていて、捉えている空間が広がったのだろうと思い(私は、人に憑依できないので自分の意識のことしか語れない)、そして、それらの中にいた人々を分析の構成物としてしまっているように - 未来から見た構成物である私自身。いつの間に人は変わるのだろうか。時代は変わるのだろうか。そういうことが、気になって仕様がない。私の慰めと、攻撃のために。
    昔の音楽が好きな理由も、ほとんど変わらないような気がします。

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  6. 匿名さん、

    数学を勉強されているんですね 理系でかつ文学に興味を持ってくれる方がいるというのは、何となくうれしいです わたしは数学は大の苦手でド文系なので、余計にそう思います

    「私が生まれる前のアメリカに生きた人々が、どのように思い、感じながら、どのような世界を見て、生きたのだろう。何が苦しくて、何が幸せだったのだろう。」という風なことはわたしもこちらに来てからよく考えるようになりました 実際に南部の風景を見たことで、研究の方向性がかなり変わったと思います ミシシッピデルタの綿花畑など見ると、その風景に篭った歴史の濃密さで呆然となりますね そしてそこにまた自分がいるということが、さらに不思議だったりします

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