4/08/2012

時が止まった家

一ヶ月ほど家族で日本に一時帰国していた 帰国中は家事手伝いと育児に明け暮れて完全に他のことを何一つできないうちに時間が過ぎてしまい、ブログをアップするどころか一日五分間のメールチェック以上の用途でパソコンを使うこと自体がなかった

実家に帰ったのは母が足の手術を終え退院し、それに合わせて病院に入っていた寝たきりの父も家に戻ったばかりというタイミングだったが、久しぶりに戻ってみると家もそこに住む人々もかなりとっちらかった状態になっていた

実家はわたしが生まれる前に建てられ、たしか7歳くらいの頃に一部建て増しされたのだったと思うが、近年そこここがもはやどうしようもないまでに老朽化し、またそこに住む人間たちが、もう家をきれいに保つということ自体どうでもよくなっていることもあって、古いだけでなくありていにいって汚い 埃がふりつもっているなんていうのはまだいい方で、破れた襖や障子は猫がいるからという理由で替えられることなく、台所や浴室など最低限清潔であってほしい部分すら不潔としかいいようのない状態だった 使われていない部屋という部屋には、収集癖のある父が買い集めたまま放ってある本、ビデオ、DVDが山と積まれ、戸棚という戸棚は旅行の土産物やらもらい物であろうどうでもいい感じの置物や人形といった、昭和の香り芬芬たる不用品で溢れかえっている わたしは十代半ばでこの家を出たが、ほかの家族全員は変わることなく住み続けているので、彼らの中では時間はそのころからすっかり止まってしまっていて、家がどんなに古く汚くなっても、気づかないかのようだ 時たま導入される最新型の電化製品(薄型テレビやらWiiやら)だけがかろうじて時間の経過を物語っているが、それらの新しすぎるモノたちがボロボロの家の中に鎮座している姿は、たまに外国から帰ってくる自分の目には異様に映る

現在の母と弟の生活は、寝たきりの父の介護を中心に回っている 父が寝ている部屋から昼夜かまわずおおいと呼ぶたびに、ふたりはそれまでしていたことを放り出して駆けつける 夜中など、わたしたちは彼の部屋の真上に寝ていたので、普通のトーンのおおいという呼びかけに始まり、弟と母が起きないとさらに声が大きくなり、5分10分経つころには30秒間隔のスヌーズでどうなっとるんやあと絶叫が始まるのを聞き、こんなことに耐える必要があるのか、これでは母と弟の負担が大きすぎるのではないかと思っていた しかし―実際に彼らが起きられないほど疲れているときに代わって父の部屋に行ってみて気づいたことだが―父が彼らを呼びつける用事の大半は、ベッドやエアコンの操作など手元にリモコン類があれば自分でもできること、もしくは猫の出入りする扉を開けておけなど、悪いがくだらないとしかいいようのないことである だから自分を犠牲にして寝たきりの人間のために立ち働く家族、という図式とはちょっと違うようだ 
見たところ父の健康状態は去年よりすこぶるよく、車椅子で食堂まで来て食事することもできるようになっているくらいだ だから、あれこれと世話を焼かせるのは身体的な問題というより、父がもともと我侭な性格で他人に至れりつくせりしてもらうことに慣れているのが災いしているように思える 第一毎日1時間は看護士も来ているし、24時間体制で何も自分のことをできずに父を看ている必要は、そもそもない にもかかわらず生活のフォーカスを父の世話だけにおいている母と弟は、どちらもストレスをため調子が悪そうで、皮肉なことに、父のいる部屋を覗くことは一日のうち一瞬たりともなく、彼が寝たきりであるということ自体認識に上らないらしい兄は、日々黙々と仕事をし休みの日にはせっせと遊びに出かけ、家族のうちで一人だけ生活をエンジョイしているように見える

家の中がしっちゃかめっちゃかになっているのは、母の家事のありえないほどの非効率性にもよっている もっとこうしたら楽になるのにと教えても、頑として今まで何十年もそうしてきた、わたしの目には時間と労力の無駄にしか見えないやり方をやめない 例を挙げればきりがないが、雪がちらつく日に外に洗濯物を干そうとしたり、朝5時に起きて兄の弁当を作ってから、2時間後にまたまったく別の献立で他の全員の食事を作ろうとするなどだ 

しかしそこには、単に効率が悪い以上の何かがあるようだ ふだん離れて暮らしていて、電話で話すたびにこちらが話しているのにいきなり切られたりして、どうしてこの人にはこんなに話が通じないんだろう、耳が遠いせいだろうかと思っていたが、いざ実家に帰って面と向かって話してみたら、やっぱりまともな会話というものがほぼ成立しない 何か質問しても、まったく関係のない答えが帰ってきたり、人に言われたことを勝手に曲解してわけのわからないストーリーを組み立てたりする たとえば、叔母がりんごをくれて、「このりんごは固めなので甘く煮て食べるとおいしい。甘煮は電子レンジを使ってもやることができる」と言ったところ、彼女の頭の中でそれは「このりんごは固いので電子レンジで加熱しないと食べられない」に変換され、朝台所に行くと一生懸命カットしたりんごを電子レンジにかけようとしていた(しかも三十年ほど前に我が家に導入された電子レンジの使い方が今でもわからないため、アルミホイルでりんごを包んだ上でなぜか「酒のかん」モードで温めようとしていた)  また、弟の誕生日の朝、食卓で「今日は○○の誕生日だよ」というと、「あ、うん」と一言 弟も目の前にいるのだが、おめでとうとかそれに類した言葉は一切出てこない この手のことは昔から多い人ではあったが、近頃は輪をかけてひどくなっている 落ち着きがなく、何かしている最中で別のことを思い出してはそちらに没頭しはじめ、食事の最中などにもそれをするので、永遠に食べ終わることができない 身なりや行動にもまったく構わなくなってしまって、ひどいときはトイレを汚しても気づかずにそのままにして出てきてしまったりなどということもあった そんなこんなで、母とやり取りしようとするとあまりにもフラストレーションがたまるので、ほとんど叱りつけるようになってしまうこともしばしばだった

今になって言うのも何だが、母もどうも兄と同じように何らかの発達障害がある人なのではないかと思う  症状としては認知症の入り口のように見えなくもないが、どちらかといえばもともと持っていた何かが、高齢と今の生活のあり方のために悪化しているような感じだ 弟にしてもそうだが、社会的つながりもほとんどなく父の面倒だけ見て暮らしていることが、母の精神状態にも明らかに悪影響を与えているように思える 以前に精神疾患で入院したというのも、周りが障害に気づいていないことで事態が悪化してしまったのかもしれない

そんなわけで実家に帰ったものの、育児の手伝いなどは母からは何一つ期待できる状況ではなかった 夫のお母さんがやりすぎるくらいに世話をしてくれたのの反動で、何でも自分でできるという気持ちは持って実家に帰ったけれど、その状況と正反対に、実の母親がまるで子どもの面倒を見られず、同じ女性としての経験を共有できる瞬間がまずないのは、悲しいとしかいいようがない
母は孫娘のことは非常にかわいがってくれ、部屋にいるとあやしたり遊んだりしようとはしてくれるが、父に呼ばれたりするとそちらにかかりきりになってしまうし、少しでもぐずり出すとお手上げ状態になってしまうのだった お腹が空いているかもしれないとかオムツが濡れているかもしれないとかいったことには、まず想像が及ばないらしい 実際、オムツについては、自分の子じゃないから換えられないと言い放った(実際のところは、何かへまをしてわたしに叱られるのが怖いからやりたくなかったのだろう) 抱っこをさせれば、赤ん坊の抱き方などまるで忘れてしまったかのように、頭をきちんと支えずに今にも落っことしそうな姿勢でするので、見ている側が気が気でない 結局、娘を母に1、2時間預けて外に出るなどは夢のまた夢だった 一応母は曲がりなりにも3人の子どもを育てたことになっているはずだが、どうだろう、もしかしたら祖母や父が多くのことをしていたのかもしれない 考えてみると小さい頃母親と何かした記憶がほとんどないのは、実はそういうわけだったのだろうか

それでも、孫をかわいがってくれる親がいるという事実はありがたく受け止めなくてはならないのだろう 母が娘をあやそうとして、小学1年生の音楽の教科書(元教師だったので)を開いては、調子外れの童女のような声で、歌詞を読みながらにも関わらず軽く1、2小節はすっ飛ばしながら繰り返し繰り返し「アイアイ」を歌ったり、娘の気をを引こうとしてどうしたらいいかわからずに手にたまたま持っていたビニールの巾着をブンブン振り回したりしているさまを見ていると、何だか狂気の沙汰のようでもあるが、こんな時間が止まったような家にいた自分が新しい家族を作り、孫の顔を親に見せることができたこと自体、奇跡みたいなもんであるということは心に留めておかなくてはいけない 

そういえば家が散らかりすぎていたのと忙しすぎたので、帰ったら飾ろうと思っていた、むかし祖父が買ってくれた雛壇を出すことはついにできなかった 次に帰るときには、飾ることができるだろうか

4 件のコメント:

  1. 重たい内容に、失礼かもしれませんが、本当に色々な意味で、おもしろくて仕様がないです。hsk10さんの書く文章が非常に上手なので、情景が鮮明に浮かび、まるで落語でも聞いているかのような気になって、笑ってしまった箇所がいくつかあります。それにしても、家の状況が、私の父方の実家にそっくりすぎて、これもまた面白いのです。

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  2. mikenessさん、コメントありがとうございます
    笑ってもらえるっていうのは実は理想のレスポンスです つうか、笑える状況ですよね(ゴミ屋敷とか) わたしの語り口は落語みたいに洗練されてはいないけど。。。

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  3. 私の父方の実家は私の祖父、祖母、父の兄と父の弟で暮らしています。祖父は、居合、柔道や将棋等で実績を残し、PTAの会長を務め、何十年も前に雑誌に取り上げられるほど行列を作った喫茶店を経営していましたが(このまでの部分は私自身非常に非常に誇らしく思います)、彼の息子たちの証言からすれば、以前は、彼らに非常に厳しく接しており、しかし、歳を取るようになると、何か自分のしてきたことに負い目でも感じているのか、少し嫌味ったらしいことを言う以外は、特に自分の息子たちに何も言わないようになったようです。祖母は、華道の先生をしており、一見非常に穏やかなように見えるのですが、たまに、どこかで一瞬だけ意地悪で軽蔑的な眼差しを見ることがありました。父を含めその兄弟たちは、某有名私立大学に推薦で入学し、その長男に至っては、推薦で大学院進学の道まで開けていたのに、それを蹴り、三男と同じ職場(実際には三男が後から同じ職場に就職)の公務員になりました。この長男ですが、大学の学部生時代のときに、何週間も大学にこないということで、大学から連絡が入った祖父が、長男が一人暮らしをしていたアパートへ向かったところ、部屋はもうゴミ屋敷状態になっており、その中で一人倒れていたそうです。そして、現在の実家の状態。非常にひどいです。長男は、きちんと同じ仕事をやり続けています。しかし、もともと自分の部屋であったところには(しかも広い!)、部屋の手前から奥、床から天井まで、買うだけ買って、一回も読みもしない、漫画、雑誌、小説、同人誌、エッチな同人誌、買うだけ買って一度も見たりプレイしない、DVDやレーザーディスク(懐かしい!)エロげ、買うだけ買って、作らない模型、手に入れるだけ手に入れて、そのごみの中でぐしゃぐしゃになっているアニメポスター等が、びっちり、”敷き詰められ”ています。自分の部屋がそんな状態ですので、次は、和室を自分の住処とし、また、そこに本だの、女の子を模したマネキンだのをたくさん置いて、そこに”砦”を建てています。今年帰省した時は、リビングルームまで雑誌や買うだけ買って食べない食品が占領し始めていました。弟は、何年か前に公務員を辞め、専門学校に通い、派遣社員としてIT会社に就職したのですが、1年もしない間に辞めてしまい、今はフリーターをしています。毎日々々2ちゃんねるを眺め、Amazonで買い物をして、二部屋確保されてる彼のための部屋は、数百はくだらない通販の箱で埋め尽くされています。父は、人一倍独立心と反抗心が強かったので、彼ら三兄弟のうち唯一独立して妻子を持ち、仕事でも特許を取るほど優秀ですが、私を含めた家族を、上手に形成できているようには見えません。私は、精神状態が不安定で、学校を留年し、私を含めた三兄弟の二男は高校を二年も留年し、しかも卒業できそうなめどが立っておらず、三男は中学時代不登校でした。彼らは私の先祖であり、彼らの残している実績は、たまには私を励まして、私にも何かできるはずだと心を奮起させる理由になっていますが、それでも、彼らを見ていたり、父と接していると、人と関係を持つことや、自分がどのような人生を送っていくかということに関して、何がよいことなのか、正しいことなのかが全く見えなくなってしまうのです。これは、私の強さが足りない事にも原因があるのですけれども。
    すいません。長々と、つまらない事を。でも、なぜか書くことをやめられませんでした。コメント欄汚してすいませんでした。

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  4. 「何がよいことなのか、正しいことなのか」は、よく見えなくて当たり前なんではないでしょうか 自分の家族の場合は、いろいろ変だけど今の生活形態をそれなりの自己肯定感を持ってやっているように見えなくもないので、自分目線で彼らを裁きそうになっては、いかんいかん、と思い直しています ま、実際はひと月実家にいただけで発狂するかと思いましたけどネ~
    レーザーディスクはもちろんうちの実家にもありますよ 競合規格のVHDという代物まであたりします 父親がそういったものを買い集めるのが好きで。

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