6/05/2011

調子如何に振り回されないには

(重い内容ですので、苦手な方はスルーしてください)
↑これは他人のブログでよく見る表現だが、自分が使うとは思わなかった 笑














仕事をやめて五月はバリバリ博論書くぞ~、と思っていたのが、盗作の件の事後処理(学生側がわたしの処分を不服とする申し立てをし―どういう面の皮かと思うが以下略―全てを投げたつもりでいた学部長も夏休みに入ったため、結局わたしの側で詳細な証拠書類を作成することになった)に追われたり、夫の甥っ子の洗礼式のためにミシシッピデルタに行ったり、その他いろいろ懸案事項が出てきたので、一行も書けないうちに六月になってしまった

やはり、こう目まぐるしくいろいろあると精神状態も不安定になりがちなもので、最近はもうCBTはやってないけれど、自分の状態についていやでも考えさせられる
単刀直入に言うと、今まで何度かうつ病が再発しており、治療を経て今は投薬なしでやっているのだけれど、はっきり言ってもう自分の場合、もう二度と再発しないぞ!などと息巻いてやるのは無理があるというか、たぶん逆に調子が悪くなるのではないか つまり、「先天的」な問題が自分にはあると思うので、「完治」を目指すのはおそらくあんまりいい考えではない

精神疾患の先天性は議論の余地があることなのかもしれないが、自分としては別に後ろ向きになっているのではなくむしろ前向きで、自分の状態をよく知って、調子如何に振り回されるのではなく自分自身で調子をコントロールしていたいからこそ、こう思うのだ(全ての人に当てはまるわけではもちろんない) まあ今現在は事情があり投薬はNGだし、なくても大丈夫だな~というのはやせ我慢でも何でもなく、実感としてあるので日々くよくよしているわけでもない

なぜ「先天的」ということに思い至ったというと、我が家は精神科医もびっくりの華麗なるファミリーヒストリーがあり、家族ほぼ全員がメンタルヘルスに問題を抱えているからだ
えーまず、母親は精神疾患で二度の入院歴がある(診断結果は「神経症=ノイローゼ」だったそうであるが、これは昔のことで田舎のことなので、今なら別の診断がつくかもしれない)
父親はいつも自称躁鬱とか鬱とか言っていて、なんだかわたしにはよくわからないが、結局きちんとした医者に診てもらったことは、たぶんない ただ、十代の頃から睡眠薬依存があり(これは実は心理的なものだが)、自分同様情緒不安定になりやすい人である
兄は、自閉症(か、別の発達障害の)疑い例である 振り返ってみると昔は親もわたし自身も、いつも彼のことを知的障害と健常のボーダーラインのようにみなしていたが(というのは見るからに学習障害があったので)、世間体を気にしたのか、どこに話を持っていくべきなのかわからなかったのか知らないが、親はついぞ専門家に相談しなかったし、今も結局よくわからないまま放置している  兄は今は仕事がありぎりぎり社会生活が営めているが、常に首になるか、本人が周りとやっていくことにストレスを感じてやめるかの瀬戸際である
弟は、3年ほど前に統合失調症を発症し、予後はいいのだが自宅療養中で、母親とふたりで父親の介護をしている
やっぱりこれだけ病歴が出揃うと、自分の病気も単に「ストレスが原因です」とは到底思えない

思い出してみると、わたしがうつ病だと診断されたのは高校の時だったが、はじめて本格的に調子を崩したのは、13歳で中学一年生の時のことだ 知人の中には、どこからそんな話が出てきたのか、わたしのことを元暴走族とか思ってる人もいるのだが、自分にとって13歳の頃は親に反抗して不良の真似事みたいなことをしていた時期ではあったのだけど、もう全然そんな華々しい?ものではなかった

冬休み前の終業式の日だったか、何かしら学校でいやなことがあり(今となってははっきりとは覚えてないのだが友人にいやなことを言われたとかだと思う)、いや、これはもう死ぬしかない、と思い詰め、学校の帰り、近所の造船所の脇の空き地に行って、おもむろに雪の中に横たわった(たぶん凍死するのが一番気持ちよくて楽だとかマンガに出てきたのを真似したのだと思う) まあ結局日暮れには、寒いなあ、とか言ってふつうに家に帰ったのだが、わたしのコートの背が濡れているのを見た母が、造船所のおっさんにレイプされたのかと勘違いして逆上したので、わざわざ母親を連れて寝ていた場所に戻って、はい、ここで一人で寝ていただけですとか言って納得させねばならず、非常にめんどくさかったのだがそれは余談である 
年が明けて始業式が来ても、わたしは学校に戻らなかった そこから遠くの学校に転校するまで、一年余あり、その間親戚に預けられたりなどもあったが、基本的に自宅では何をしてたかというと、文字通り起き上がれなかったので、トイレに行くときと腹が減って台所に行って食べるものを探すとき以外は、床に臥していた 今振り返るとうつ病の始まりはここだったのかなあ、と思うが、自分にも親にももちろん病識がないし、頓珍漢にも大学病院の内科に連れて行かれ、自律神経失調症だとか言われて帰ってきたぐらいのものだった

この時期のことを客観的に振り返ってみると、まあもちろん学校で人間関係のトラブルは多分にあったのだが、たとえば自殺に追い込まれるような「いじめ」を受けていたというのではなかったように思う 大体、中学校というのはもちろん多くの子どもにとって夢のような楽しい場所ではなく、大なり小なりいやな目に遭ってストレスを抱えている子も多いと思うのだが、たとえ学校に行けなくなることがあっても、床から起き上がることができなくなるまでの弱り方をする13歳って、数としては多くないんじゃないだろうか だから、もろもろの出来事は病気のきっかけではあるのだが、原因ではないだろうと思う もともと脳内のセロトニンの量に問題があって、対人ストレスがきっかけで状態が悪くなったということじゃないだろうか

自分は対人ストレスが引き金になって抑うつ状態に陥りやすい、ということはもうこれまでの経験でよくわかったから、気持ちの吹き振りにかき乱されないように自分自身が気をつけ、かつ無理をしているときにはそれに気づいてすばやく対処できるようにしておかないと、今後迎えるいろんなライフイベントを乗り越えていけないだろう ま~もう大人だし もうひと月で36だし、持病があってもやり過ごせるようになりたいんだよね

という話。

5/09/2011

フライドオクラとアメリカンフラッグと

南部は北米では一番オクラがよく食べられる地域のはずだ
しかし南部におけるオクラの調理法は大きく分けて3つしかない
すなわち
1)フライドオクラ
2)オクラのシチュー(これは、ジョージア南部でBrunswick Stewと呼ばれてるものとたぶん同じものを指していると思われる オクラとトマト、たまねぎ、コーン、何かしらの肉(ベーコンなど)などを煮て作る)
3)オクラのガンボ(これはルイジアナミシシッピアラバマにおけるメキシコ湾岸周辺の、いわゆるクリオール文化圏で食べられる)

しかし、アマゾンに注文して届いたばかりの料理本Janis Owens, The Cracker Kitchen によれば、
4)オクラのピクルス(Pickled Okra) というのもあるらしい よかった、バリエーションが増えた

今晩はこの前夫が作ったレッドビーンズアンドライスが冷凍庫に残っていたので、おかずにとフライドオクラを作った 食べながら、ビンラディンが死んでから町でUSAコールをする学生たちのニュースが日本でずいぶん流れたのか、何だかもうアメリカ人全員狂ってると思ってる人もいるようだが、みたいな話をした ああいうのはやはり、何かにつけ酔っ払って騒ぐ機会を手薬煉引いて待っているアホ学生のすることであるから、特に心配もしてないのだが、そこから話が飛んで、そういえば南部のレッドネックはいつの間にかずいぶんナショナリスティックになった気がする、と夫が言った

これはわたしも確かに気づいていた たとえば自分が研究している30年代の南部のワーキングクラスというのは、(当然南北戦争時代の名残でもあり、また禁酒法下の酒の密造とか大恐慌後のニューディールとか同時代的な問題も絡んでいるが)とにかくアンチ連邦政府の介入、アンチ法律一般、アンチエスタブリッシュメント、権力と名のつくものは大嫌いなアウトロー度満点な人たちなのであって、当時のカントリーソングの歌詞にしてもそうしたアウトロー性を歌ったものが多かった

それが、これは前にどこかにもう書いたことがある気がするが、気がつけば今ではカントリーはアメリカ万歳、家族の価値万歳みたいな保守層の価値観を代表するような音楽ジャンルとなっている(というか今のカントリーなんて、音の作り自体はありふれたポップソングでしかなく、よくよく歌詞を聴いてみると、俺がクォーターバックで彼女がチアリーダー、ピックアップトラックがどうしたこうしたでイェ~イ♪とか言ってるので、その時点で漸くああこれはカントリーなのねとわかる程度のものに成り下がっているが) それに呼応してか、アウトローとしてのレッドネックも、今この時のような機会をここぞとばかりに捉えては、やれアメリカ万歳、外国人と非キリスト教徒は出ていけだのという保守的な愛国主義の代表者になったということだろうか

夫はこの流れはやはり911以降でないだろうかと言っていたが、実はこれはもっと昔から始まっていたのじゃないだろうか 自分の感じとしてはやはり80年代のレーガン政権下のある時点、テレビを通じて米国民の経験が均質化していった頃が分岐点かなあという気がする 『ロッキー4』的なアメリカが、南部を捉えてしまったのだろうか そのうちレッドネックも南軍の旗を飾るのをやめて、アメリカンフラッグだけになったりして…

そんなことを考えながらもりもり食べきったフライドオクラのレシピ:

1.オクラの輪切り適量(冷凍オクラの場合、電子レンジで解凍しておく)を、少量のミルクに浸しておいて粘り気を出す
2.コーンミールと小麦粉を2:1の割合で合わせる(夫はもっとコーンミールの割合が多いほうが好きと言ったので、次はもっと増やしてみる)
3.粉のミックスに、塩こしょう、カイエンペッパー、ガーリックパウダーなどを適量足し、味をつける(ケイジャンシーズニングで代用してもよい)
4.オクラを3.にしっかりつけて、油で揚げる
おいしいよ!

5/04/2011

隣人その後

前のブログの時から何回か書いてきている隣人の女性問題(プッ)だが
最近はどうも今の彼女(美人で巨乳で美脚のセクシー・プエルトリカン)と別れたがっているらしい
理由は、ついこの前卒業した彼女が、結婚をちらつかせているかららしい 隣人は以前は結婚ベースのGC取得に興味深々でわたしにいろいろ手続きを聞いてくるくらいだったのに、要は自分が卒業したあとは国(NZ)に帰りたくなったのだ 彼女がいないところでは、みんなにアメリカにはいいピアニストいっぱいいるし、仕事見つからないからNZに帰る帰ると言いまくっている

わたしはもうずいぶん前から彼の女性関係のだらしなさにはもう呆れきっていて(だって、現彼女のアトランタの実家に寄って親に会ってから直後に飛行機で韓国に飛んでクリスマスを元カノと過ごすという、しかもそれは単にアトランタ発の安いチケットが取れたからそうしたに違いないという、ちょっと常識では考えられない離れ業をやってのけているので)、今回の話にはもう驚かなかった

ただムカついたのは、彼がこの件、逐一父親に報告して同意を得ようとしていることだ
隣人は白人とサモア系のハーフで、白人のお父さんは会社社長かなんかしているお金持ちで、暇をもてあましているので、しょっちゅうここに遊びに来る(実は今も来ていて、今日から親子でディズニーワールドにお出かけ中) お父さんは悪い人じゃないが、一人よがりで典型的なヘリコプター・ペアレント(過保護な親の意)だ 元カノのことも大嫌いで、別れてせいせいしたと私たちにまで言ってくるような人だ(まあそれはわからんでもないが。。。) で、お父さん、どうも今の彼女のことも好きじゃないらしい だから別れたいという息子の相談に乗りまくりらしい

これはわたしにしたら本当にひどい、というか、プエルトリカン美女はこのお父さんに好かれようともう不自然なまでに努力して頑張っているし、卒業してもわざわざこの町に留まるために、聞いてもよく内容がわからないネズミ講みたいな仕事まで見つけてもう働きはじめているのだ  そんな彼女の涙ぐましい努力を尻目に、親子であーだこーだ別れる算段整えてると知って、なんだかこの人たちがいやになってしまった

夫は、これは隣人のせいじゃなくて、過保護な親のせいでなんでもかんでも親に話さないと気が済まなくなってしまったんだろうと言うのだが、わたしの感覚からしたらイヤーなんだか気持ち悪い 親に恋愛の話なんかついぞしたいと思ったことがないもの

隣人は何かとサモアンは家族の絆が強いから、と強調するんだけど、こんなの文化的背景と別に関係ないのではないか 現に彼のサモアンお母さんは、とても物静かで知的な人だが、元カノにも今カノにも平等に優しく、こんなことにしゃしゃり出てこない 大体ここには一回しか来ていないし。。。

とにかく、まだお父さん当分いて、よくうちとも一緒に遊びたがるので、正直歓待し続けるのもちょっと苦痛になってきている ディズニーに出かけて行ってくれて、ちょっとほっとした

余談:わたし自身忌み嫌っていた件の元カノだが、日本の地震のすぐ後、心配してフェイスブックにメッセージをくれた 彼女はその前のクライストチャーチの地震にもひどく心を痛めていたそうなので、日本のことも他人事とは思えなかったのだろう このときはさすがに、自分ってなんて小さい人間なんだろうと、情けなくなった

仕事終わり。。。いや終わったのか

この前のエントリーは、書いたら書いたで胸糞悪くなったので消してしまった
ちなみにこれを読んでくださっているリアル友人の皆さん―ここでわたしが書いているもろもろのことをどうぞ共通の知り合いとの間でネタにしないでいただければ幸いです それだとブログを移転した意味が、なくなってしまうからです

さて学期末
成績つけてつつがなく晴れやかに仕事納めと思っていたら、学生の一人がファイナルペーパーで盗作した こちらでは、教員が自由に使える盗作を見破るためのソフトがブラックボードという授業管理システムに標準装備されており、それを通してペーパーを提出させるため、ふだんは盗作を不注意にしてくる人間は基本的にいないのだが、件の学生のペーパーは、実に66%が複数のインターネットソース(他人のブログだのオンラインレビューだの)と合致するというとんでもない盗作っぷりだった 

さすがにこれに成績をつけることはできないので、そのペーパーには0点をつけた あまりにも明らかなケースだと思っていたら、本人が白を切るようになんで0点なんですかとメールで言ってきたので、あなたが盗作したからですよ これくらいの割合がインターネットソースのパッチワークで、ただのコピペだけではなくところどころ微妙に言葉をドロップしたり入れ替えたりしてあるし、他人がさらに別の他人を引用してるのを丸々コピーしていたりして(これは盗作っていうか孫引きをしたらいけませんという例だけど)、見るからに意図的だから点はあげられません、と伝えた

すると学生は、反省するどころか逆ギレし、「これは全部直接引用で、引用元を示すのを忘れただけだ。確かに引用は多すぎるかもしれないが、盗作の部分は一切ない」と無茶なことを言ってきた
しかし、こちらが詳細に渡って読解した限りでは、盗作とされた箇所で直接引用として意味をなす箇所は、全体のうちわずかに二箇所で、あとは引用符を付けたりブロッククォートしたってまるで意味をなさないのだ だってただのコピーをあたかも自分の意見であるかのように使って、パラフレーズも何もしない、「誰々によれば」の但し書きもない、引用を示したあとに自分の解釈を書いてるわけでもないのだから
学生はたとえば「某有名批評家の議論は自分のペーパーにどうしても必要で、いろんなソースから引用する必要があった」などと詭弁を展開するのだが、その実この学生がやっていることは、その批評家を引いてる他人のブログをコピペしてるだけで、原典に当ってすらいないのだ 
第一、全体の66%が引用で成ってるリサーチペーパーなんて、あるわけないだろう

この時点で学生が自分がしたことを認めて謝ってきていたら、時間は少しは残っていたから、いちから書き直させて提出させるという措置も正直ありだったと思う(どれほど多くの教員が、めんどくさいというだけで盗作を届け出ずなあなあに済ませていることか) しかし、わたしはこの学生に、自分のしたことの結果を受け止めてほしかったし、言えば何とかなるという風に勘違いしてほしくなかった 学生が盗作の定義をそもそも理解していない可能性もなきにしもあらずだが、学年と本人のメジャーの性質(書くこと自体が仕事であるようなメジャー)からして、盗作の何たるかを知らないでここまで来ているというのはちょっと考えにくい

学生がこうしてゴネてきたことで、もうこれはダメだな、と判断したわたしは、結局学部にこの件を報告した(本来は内々に解決するのでなくて、報告する義務があるので) 学部長はわたしが仕事をやめることを知っているから、すべてこちらに任せなさいといってくれた 学生は学部長と面会して、やったことを認め、今の成績(D)を受け入れますという書面にサインしなくてはならない サインを拒否すれば、もっと大きい組織の元で公聴会が開かれることになり、そこで盗作であったか否か、ペーパー0点であったか否かが判断される(でも別にそれ以上のペナルティーがあるわけではない)

しかし、このことを学生に伝えたところ、さらに逆ギレし、なんで盗作だと思うのか説明もしないくせに(いや、最初の時点でしましたけど)、教員と学生の間で解決できることを大事にしやがって、教師だから何でもできると思ってるのか、もう休みだから町にはいないしそんなクソ書類にはサインしないともう言いたい放題 事態はわたしの手を離れているので、もうこのメールには返事出していないのだが、公聴会に自分が出席する可能性も退職しているとはいえまだゼロではないし、その後学生が学部長に連絡を取ったかどうか聞いていないので、なんとも歯切れの悪い学期末になってしまっている

このことをつらつら考えていると思う―もしかして自分の措置は厳しすぎたのだろうか 実はペーパー提出には別の文脈が少し絡んでおり、この学生とそのガールフレンドは締め切りまでにペーパーを出してこなかったのだ(授業中にペーパーについてアナウンスしたとき彼らは最前列に座って聞いてたのですがね) ガールフレンドの方が、締め切りを2日後と間違えていた、今から出してもいいかというので、今日の午前12時までなら許すけど、それ以降は1日20ポイント減点だよと伝えた 自分としては、ペーパーのアナウンスメントにはそもそもいかなるLate Submissionも受け付けないと書いていた(そう言っとかないといくらでも遅れて出してくるやつがいる)から、それに比べたら甘いくらいだと思っていた そうしたら、ガールフレンドからそれを聞いた学生は、12時までに出そうとしたのか、とんでもないペーパーを送ってきたのだ
学生の立場としては、わたしが締め切り後の提出のペナルティーを出してきたので、急いでたからああなったという言い訳をすることが可能だと思う 実際学生が学部長に話したり公聴会に出る機会があれば、そういうのはこの人の自由だと思っている

しかし、どんなシチュエーションであっても盗作は正当化できないし、書くことを中心に大学で学んでいる人間に、それがOKだとは思ってほしくない あんたが出したのはいかなる点から見てもリサーチペーパーとは言えないんだよ、これを認めたら高等教育自体がジョークになるんだよ、そして、そんなペーパーを出してしまったのは時間がなかったこともあったかもしれないけど、間違いは認めて先に進めばいいじゃん Dひとつ取ったぐらいで人生終わるわけじゃなし わたしだって学部時代にD取ってますけど。。。who cares?

ということを言ってやりたいけど、たぶん学生の心には響かないだろうなあ これから教授評価サイトとかで、あのジャパニーズビッチがとか言って罵詈雑言の限りを書かれて復讐されるかもしれないな でもそれだって、もはやwho cares? だけど

まあ、なんとも気持ち悪い幕切れだよ。

4/02/2011

マルディグラ考

地震のことがあり、書く機会を失ってしまっていたのだが、春休みにはニューオーリンズでマルディグラと言われるカトリックのお祭りを見てきた ニューオーリンズ自体は3回目だが、マルディグラの時期に行くのは初めてでとても楽しみにしていた

マルディグラとは、フランス語で「太った火曜日」 という意味 このシーズン通して行われているカーニバルの、クライマックスの日である 次の日の「灰の水曜日」からは、カトリック教徒は日曜以外は肉食を控え、魚や豆などでプロテインを補給して節制を試みる うちの不真面目なカトリックの夫も、今年は魚ダイエットを可能な限りやるというので、わたしも付き合って、魚を食べてます

祭り自体は、もちろんカトリックといっても一方ならぬバリエーションがあるが、NOのマルディグラはいろんなクルーがフロートと呼ばれる巨大な山車でメインストリートを練り歩き、沿道の観客たちにビーズやらダブルーンと言われるコインやらを投げてくれる 山車に乗るクルーたちは、伝統的には秘密結社のメンバーみたいなもんなので、仮面で顔をかくしている
リオのカーニバルのように露出した衣装のねーちゃんたちはいなくて、マーチングバンドプラス山車という構成が一般的だった わたしは月曜の夜と火曜しかパレードを見ていないけど、相当の数の戦利品を持って帰った

ところで、マルディグラのもうひとつの風物詩といえば、ねーちゃん方が乳を露出することである 町全体でこのようなGirls Gone Wild 的な風景が見られるかといえばそれは誤解で、そういうことするのは、バーボンストリートを中心としたフレンチクォーターの酔っ払いだけである  フレンチクォーターにはよくある、二階部分がバルコニーになってる建物から、ビーズを投げてくるやつらがいるのだが、そいつらが、ストリートにいるねーちゃんたちに向かって、乳見せろ~!でないとビーズはやらないぞ~と煽り立てるので、お約束とばかりに着ている服をまくり上げ、彼女たちは乳を晒すのである

これ、前々から物見遊山で見てみたい気持ちはあったけど、実際に見てみた感想としては、正直いってかなりがっくりくるものがあった
まずもって、乳を出す人々の平均的クオリティーは、かなり低い(男目線ですみませんね) きれいな若いねーちゃんなんてまずいなくて、おばさんか肥満の人ばっかり 50~60代とおぼしき初老の婦人が乳を出して、夫らしき男性が延々それをビデオ撮影していたのを見たが、正直反応できなくて固まってしまった それから、トップレスのままでふらふらと歩いている人までいた(ちなみに警察が巡回しているので、こういうのは即逮捕もありえる 実際全裸の男がパトカーに乗せられてるのを見た) 

翻ってバルコニーからビーズ投げている奴らを見れば、明らかに親が大金持ちという理由だけでこの日にこの場所を貸切できているんだろう、と思わせる、アホさ丸出しのフラタニティーキッズばっかり そんなやつらと、泥酔しているばかりにアホくさいビーズのためになんだってやってしまう女性たちとが織り成すこの構図、はっきりいって微妙です

上にいる彼らと下にいる彼女らを分かつものは、なんなのか?
こういうことを考え出すと、自然と連想はカトリーナに飛ぶ そもそもフレンチクォーターをはじめとする観光地は、ハリケーンの被害を受けなかった 一方で、町の中心部を少し離れれば、沈み行く家に留まり 続けた人たちがいた 逃げたところで、どこにも行き場はないと知っていた人たちがいた

上と下を分かつものはなんなのか?
わたしはこの町のカーニバレスク的エネルギーには敬服しているけれど、「復興」後の町にいてすら、そんなことに思考が及ばざるを得なかった

それが数日後の出来事に対する予見であったなどとは、けっして言いたくないけどね

てか自分自身が名物カクテル、ハリケーンで泥酔して道で吐いたぐらいだから、ずっとこんな真剣なこと考えていたわけでも、ないのだ
おかげさまで酒をやめるいいきっかけになりましたとさ