アラバマの夫の両親の家を引き払ってフロリダに戻ってきた
再びstudent housingという名のボロアパートに舞い戻ったのだが、以前は2BRだったのが今回は、比較的新しいとされるエリアの1BRに乗り換えた 手狭ではあるが、前の部屋みたいに他人の髪の毛がくっついたまま床にワックスかけたりしてなくて、まあまあ清潔だし、バスタブも広いし、けっこう気に入っている
そう思っていた矢先、マネージメントオフィスから配布された冊子を見ていたら、われわれの住むエリアの住む建物には、人体に有毒な鉛を配合した塗料が使われている場合があるという 上から何度も塗りなおされているため実際には影響ないのだが、剥がれてきたのを口に入れてしまったりするといけないそうだ うちはバスルームのドアの塗料が剥がれてきていたので、メンテナンスの人に来てもらってサンプルをテストしてもらった 結果はシロで、ドア以外にも壁やプラスティックの玩具などいろいろテストしてもらったが、いずれも問題なく、胸をなでおろした
この一件で気づいたんだが、今の部屋が建てられたのは、1964年 前の部屋は、1960年 何だ、新しいと思ってたのにほとんど変わらないじゃん と同時に、ちょっと時代を下るととんでもなく危ないものがふつうに生活空間の中で使われていたのだということを思って、何だかおそろしい
育児の仕方ひとつにしても、親世代と自分らとではだいぶ情報に差があり、話を聞くととんでもないことをしていたりする たとえば夫はどうも赤ちゃんのころお母さんに蜂蜜を与えられていたらしい(蜂蜜にはボツリヌス菌が含まれていることがあり、抵抗力のない乳児には危険なので1歳までは厳禁 そして、離乳食すら始めていない段階で母乳やミルク以外のものを与えることにそもそも栄養学的なメリットがない) よく死ななかったな!
お母さんが娘にべったりで、という話を以前に書いたが、どうも彼女は夫の姉Rにも同じことをしてたようだ Rが完全母乳育児をしていたところ、お母さんは(ミルク礼賛世代なのと、おそらく自分が哺乳瓶でミルクあげられなくてつまらないので)それをやめさせようとしたという 道理で娘が生後2週間くらいで、わたしが母乳の出が悪く悩んでいたときも、今すぐ断乳したほうがいいといつになく強い口調で言ってきたことがあったっけ。。。しかもRの場合は悪いことにお父さんまで「いつまでも母乳なんかやってると弱虫になる」と(いつまでもってそのころ生後一ヶ月ぐらいだったらしいが)加勢し、その間お母さんはRに隠れて哺乳瓶で水をあげ続けていたという 見咎めて叱ると、「水飲ませないと脳に穴が開く」と言ったとか
最近までうちの両親に比べると、夫の両親はだいぶまともと思っていたのだが、夫や姉たちの話を聞くに、めちゃくちゃなところもけっこうあるとわかってきた 2ヶ月ほど前にも、いきなり養子を取ると言い出したことがあった オハイオかどこかの11歳と12歳の兄弟で、18歳まで両親が後見人になる契約らしいが、彼らにもしものことがあった場合に別の人間が後見人になるようサインしなければならないらしくて、それをわたしたち夫婦に頼んできた 子ども3人、孫7人いてこの上養子?というのもまずあるし、本当に何かあった場合に問題含みの(養子縁組される子どもたちには過去のトラウマなどで心理的問題があるケースも少なくなく、養子先の家庭で問題が起きることもけっこうあるそうだ)プリティーン二人を大学に入れるまで育てるなんて、未だに学生やってるわたしらにできるわけないだろ、というわけで丁重にお断りした
結局Rや叔母さんにも断られて、養子話は流れたが、そのときのRの話によると、両親が養子を取ろうとしたのはこれが初めてではなく、自分らだけでも十分貧しいのに、縁もゆかりもないアカの他人を連れてきて家に住ませる(そして大抵うまくいかない)ことも何度もあったという たとえば80年代のある時期には、ベトナムのボートピープル(!)のウィーとウェイの兄弟が家にいたことがあった ウィーとウェイは本当は18、9歳ぐらいだったらしいが、その歳で移民してきても学もないしできることは高が知れているということで、大幅に歳をごまかして小学校に通っていたらしい 家の誰もそのことに気づかなかったが、ある日ウィーだかウェイだかが、自分のことをからかってくる同学年の子どもらをボコボコにする(本当は19歳だから強くて当たり前)という事件があって、年齢詐称がバレたという
両親のめちゃくちゃぶりは、養子の件にとどまらない 引き続きRの体験談――
(1)ある日海外旅行から帰ってみると、家族が引っ越して家を引き払ってしまっており、書置きひとつも残していかなかったので、しばらく誰とも連絡がつかなかった
しかも実はこれすら初めてのことではなく、
(2)子どものころ、友だちの家でのスリープオーバーから帰ってみると、家が引っ越してしまっていて、誰もいなかった
というのもあったらしい
こういう話を聞くにつけ、よく夫と姉たちはグレなかったな~と感嘆させられる まあしかし、親と親の子育て法については、自分ちも人のことを言えた義理ではない これは書いたかどうか覚えてないが、うちの母親に離乳食を始めた話をしたとき、「やっぱりうちの兄ちゃんがあんなんになったんは離乳食に失敗したせいかなぁ」とぼやいていた いや、自閉症と離乳食なんてどう考えても無関係だろう(ていうか、失敗って一体何したの)、第一ちゃんとした医者に見せたことあるのか、と返すと、「うん、大学病院の女医さんに診てもらったらな、この子はあんまり頭が良くないですよ~って言っとったわ」と
よってたかって子どもの世界を危険にしているのは、実は大人たちだったのだろうか つくづく、自分たちよく生き延びたものだと思う
4/20/2012
Cおじさん
今わたしが住んでいるのは夫の母方の一族が住む小さな町である 彼らの一族を含めこの町に住む人たちの多くは、スペイン系フランス系を先祖に持つクリオールと呼ばれる人たちである
クリオールと一口にいっても、ここらの人はルイジアナのクリオールやカリビアンのクリオールとはまた違った文化を持っている もともとの先祖はモビールという町に殖民したスペイン系フランス系の人たちらしいが、どのようにしてここに彼らの共同体が作られたのかという過程はあまり明らかではない その容姿から、おそらく共同体を建てる過程でアフリカ系やネイティブアメリカンと混血してきたのだろうということだけは推測される
長年近隣の大きな共同体と隔絶した辺境で近親婚を続けてきたクリオールは、白人でも黒人でもインディアンでもない、「クリオール」としか言いようのない特徴ある容姿を保つようになった 今の世代は非クリオールの人と結婚する人も増えているので、見るからにクリオール、といった感じではない人も増えているが、多くの人はどちらかといえば背が低く肌色は浅黒く、髪の色は暗く、アフリカ系の血を感じさせるカーリーヘアの人と、ネイティブ風の真っ黒な直毛の人とに分かれている 日本人のわたしからしたら、それでも彼らは肌の浅黒い白人という感じなのだが、南部的文脈では混血、非白人ということで差別も受けてきたようだ この前、1949年に出版されたDown in Creole Country という雑誌の記事を読んでいたら、クリオールの学校の写真というのが出てきたが、そこに写っている子どもたちは半分はクリオール、半分はアフリカ系という感じで、要は白人の学校に行くことができない子たちが集められていたのだということがわかる(当然だが当時の南部は人種隔離の時代である)
もともとスペイン系フランス系がルーツだけに、クリオールの多くはカトリック教徒であり、小さな共同体で暮らす彼らの生活の中心は教会である うちの夫の母方の親族も、ここに残って暮らしている人たちは信心深い人たちが多い 夫の母は元尼僧であるし、お母さんの弟の一人、Cおじさんは神父である
Cおじさんは8人きょうだいの末っ子で、年の頃は50代ぐらいではないかと思う 若い頃はバンドマンだったらしいが、奥さんを病で亡くしたときに信仰に再度目覚めて神父になったらしい そのせいか神父と言っても堅苦しいところがなく人を笑わせるのも好きな、陽気で豪快なおっさんである 陽気なのはいいが、しばしばPC的にちょっとアレな発言が多いので、神父みたいに喋ることを生業にしているといろいろ角が立つことが多いのではないかとこちらがヒヤヒヤする
この前ひょっこり家に遊びに来ていったときは、プロテスタントの強い南部ではカトリックは差別されがちであるという話をして、ある日神父の服を来て保守的と言われるある町に出かけたら、赤の他人がいきなり彼のことをぺドファイルと呼んだ、ということをいった これだけ聞けば、神父稼業も楽ではないなあと同情したくもなるが、Cおじさんはその後付け加えて、「それでその後こびと(midget)に会って、腰を下ろして話しかけたら、俺のことを見下ろしたんだよなあ ぺドファイル呼ばわりされるし、こびとに見下ろされるし、ついてない日だったなあガッハッハ」などと言うので、神妙な気持ちもぶっ飛んでしまうのだった
また、皮肉なことに非カトリックであるわたしだけがバチカンに旅行で行ったことがあるという話をしていたときも、 「写真取った?」と聞くので、「取った取った」と答えると、「pagan pictures?ガッハッハ」という もはや笑うところなのかどうなのかよくわからない ちなみにCおじさんはわたしが英語が話せないと思っていて、その先入観のためにわたしが何を言っても9割方聞き取れない(自分の英語にアクセントがないとは言わないが、いくらなんでもそこまでひどくはない) おじさんは憎めない人なので、腹は別に立たないし、わたしはわたしでアクセントの問題とは関係なく、あんまり彼が言っていることの内容がよくわからないため、わたしたちふたりの間ではあまりコミュニケーションが成り立たず、傍から見るとほとんどコントのようになっている
ともあれ、Cおじさんはわたしがカトリックでないということについていろいろと思いを馳せていたようで、今回の来訪では繰り返し、わたしが改宗しようと思えばいつでもできる、ということを言って帰っていった なぜ改宗してもらいたいかと言えば、これだけカトリック信仰が生活の基礎になっている一族と結婚し、今はたまたまここに住んでもいるんだから、というがまずあるのだろうし、娘が生まれたから、娘にも洗礼を受けさせたいのだろう カトリックでないpaganである以上、わたしは地獄に落ちることになっていて、一応家族になった人が地獄に落ちるのはやっぱりまずいのかもしれない
しかし、これはCおじさんには言わなかったが、正直にいって、わたしは地獄に落ちようが何しようが別にどうでも構わないのだ わたしは夫の母方の文化的伝統には敬意を払っているが、それだけが理由で形式的に改宗することに意味を見出せない また、もし夫が娘に洗礼を受けさせたいと言えば、それはもちろんそうしてもらってよいのだが、夫自身毎週教会に行くわけでもなく、多くの教理を時代錯誤に過ぎないと思っているわけで、それなのに形式だけ洗礼を済ませる(そしてその後二度と教会に戻らない)のはアホらしいと言う
この問題何がややこしいかというと、わたしたち夫婦は法的には結婚しているが、カトリックの教義ではカトリック教徒と非カトリックは結婚できないため、教会の元ではわたしたちは結婚していないことになっている もし結婚しようとすれば、わたしは何ヶ月もかけて教理を学んだり、さまざまな複雑な手続きを得なければならない Cおじさん曰く、これもすっ飛ばして紙ペラ一枚提出すればどうにかなるという 神父がそういうのだからできるのかもしれないが、果たしてそうすることがいいことなのだろうか また娘の洗礼に関しても、夫によれば正式には、子どもを洗礼するためには少なくとも両親のうちは片方がカトリックでなくてはいけないし、少なくともふたりともクリスチャンでなくてはいけない これもCおじさんは、大丈夫大丈夫と言うが、どうなのだろうか
カトリックにはそれはそれはたくさんのルールがある そしてルールのあるところには例外がある 現代に生きていると複雑怪奇な宗教上のルールを遵守することはもちろん難しい そのため何か制度上の矛盾が生じるところにはほとんどと言っていいほど例外事項が存在する たとえばカトリックで一番特徴的なのは離婚ができないことだが、離婚はできなくても結婚を無効化すること(annulmentという)は可能なのである 実際夫の一族でも、教会の元で結婚したけれど、その後離婚した(法的に離婚して教会ではannulmentの手続きを経たということだろう)人は山ほどいる
夫にしたら、これら一連の例外事項がご都合主義にしか見えず、できないことは始めからしなければいいのに、なぜ例外を設けてまでルールを守っている振りをするのかよくわからないらしい paganたるわたしはどっちにしろ蚊帳の外なので、なんだかなんというか、どっちでもよい どっちでもよいが、もし仮に娘が洗礼を受けた場合(おそらくしないだろうが)、家族の中でお母さんだけ地獄に行くということを、彼女がどのように受け止めるのだろうかとは、ぼんやり思うのだった
クリオールと一口にいっても、ここらの人はルイジアナのクリオールやカリビアンのクリオールとはまた違った文化を持っている もともとの先祖はモビールという町に殖民したスペイン系フランス系の人たちらしいが、どのようにしてここに彼らの共同体が作られたのかという過程はあまり明らかではない その容姿から、おそらく共同体を建てる過程でアフリカ系やネイティブアメリカンと混血してきたのだろうということだけは推測される
長年近隣の大きな共同体と隔絶した辺境で近親婚を続けてきたクリオールは、白人でも黒人でもインディアンでもない、「クリオール」としか言いようのない特徴ある容姿を保つようになった 今の世代は非クリオールの人と結婚する人も増えているので、見るからにクリオール、といった感じではない人も増えているが、多くの人はどちらかといえば背が低く肌色は浅黒く、髪の色は暗く、アフリカ系の血を感じさせるカーリーヘアの人と、ネイティブ風の真っ黒な直毛の人とに分かれている 日本人のわたしからしたら、それでも彼らは肌の浅黒い白人という感じなのだが、南部的文脈では混血、非白人ということで差別も受けてきたようだ この前、1949年に出版されたDown in Creole Country という雑誌の記事を読んでいたら、クリオールの学校の写真というのが出てきたが、そこに写っている子どもたちは半分はクリオール、半分はアフリカ系という感じで、要は白人の学校に行くことができない子たちが集められていたのだということがわかる(当然だが当時の南部は人種隔離の時代である)
もともとスペイン系フランス系がルーツだけに、クリオールの多くはカトリック教徒であり、小さな共同体で暮らす彼らの生活の中心は教会である うちの夫の母方の親族も、ここに残って暮らしている人たちは信心深い人たちが多い 夫の母は元尼僧であるし、お母さんの弟の一人、Cおじさんは神父である
Cおじさんは8人きょうだいの末っ子で、年の頃は50代ぐらいではないかと思う 若い頃はバンドマンだったらしいが、奥さんを病で亡くしたときに信仰に再度目覚めて神父になったらしい そのせいか神父と言っても堅苦しいところがなく人を笑わせるのも好きな、陽気で豪快なおっさんである 陽気なのはいいが、しばしばPC的にちょっとアレな発言が多いので、神父みたいに喋ることを生業にしているといろいろ角が立つことが多いのではないかとこちらがヒヤヒヤする
この前ひょっこり家に遊びに来ていったときは、プロテスタントの強い南部ではカトリックは差別されがちであるという話をして、ある日神父の服を来て保守的と言われるある町に出かけたら、赤の他人がいきなり彼のことをぺドファイルと呼んだ、ということをいった これだけ聞けば、神父稼業も楽ではないなあと同情したくもなるが、Cおじさんはその後付け加えて、「それでその後こびと(midget)に会って、腰を下ろして話しかけたら、俺のことを見下ろしたんだよなあ ぺドファイル呼ばわりされるし、こびとに見下ろされるし、ついてない日だったなあガッハッハ」などと言うので、神妙な気持ちもぶっ飛んでしまうのだった
また、皮肉なことに非カトリックであるわたしだけがバチカンに旅行で行ったことがあるという話をしていたときも、 「写真取った?」と聞くので、「取った取った」と答えると、「pagan pictures?ガッハッハ」という もはや笑うところなのかどうなのかよくわからない ちなみにCおじさんはわたしが英語が話せないと思っていて、その先入観のためにわたしが何を言っても9割方聞き取れない(自分の英語にアクセントがないとは言わないが、いくらなんでもそこまでひどくはない) おじさんは憎めない人なので、腹は別に立たないし、わたしはわたしでアクセントの問題とは関係なく、あんまり彼が言っていることの内容がよくわからないため、わたしたちふたりの間ではあまりコミュニケーションが成り立たず、傍から見るとほとんどコントのようになっている
ともあれ、Cおじさんはわたしがカトリックでないということについていろいろと思いを馳せていたようで、今回の来訪では繰り返し、わたしが改宗しようと思えばいつでもできる、ということを言って帰っていった なぜ改宗してもらいたいかと言えば、これだけカトリック信仰が生活の基礎になっている一族と結婚し、今はたまたまここに住んでもいるんだから、というがまずあるのだろうし、娘が生まれたから、娘にも洗礼を受けさせたいのだろう カトリックでないpaganである以上、わたしは地獄に落ちることになっていて、一応家族になった人が地獄に落ちるのはやっぱりまずいのかもしれない
しかし、これはCおじさんには言わなかったが、正直にいって、わたしは地獄に落ちようが何しようが別にどうでも構わないのだ わたしは夫の母方の文化的伝統には敬意を払っているが、それだけが理由で形式的に改宗することに意味を見出せない また、もし夫が娘に洗礼を受けさせたいと言えば、それはもちろんそうしてもらってよいのだが、夫自身毎週教会に行くわけでもなく、多くの教理を時代錯誤に過ぎないと思っているわけで、それなのに形式だけ洗礼を済ませる(そしてその後二度と教会に戻らない)のはアホらしいと言う
この問題何がややこしいかというと、わたしたち夫婦は法的には結婚しているが、カトリックの教義ではカトリック教徒と非カトリックは結婚できないため、教会の元ではわたしたちは結婚していないことになっている もし結婚しようとすれば、わたしは何ヶ月もかけて教理を学んだり、さまざまな複雑な手続きを得なければならない Cおじさん曰く、これもすっ飛ばして紙ペラ一枚提出すればどうにかなるという 神父がそういうのだからできるのかもしれないが、果たしてそうすることがいいことなのだろうか また娘の洗礼に関しても、夫によれば正式には、子どもを洗礼するためには少なくとも両親のうちは片方がカトリックでなくてはいけないし、少なくともふたりともクリスチャンでなくてはいけない これもCおじさんは、大丈夫大丈夫と言うが、どうなのだろうか
カトリックにはそれはそれはたくさんのルールがある そしてルールのあるところには例外がある 現代に生きていると複雑怪奇な宗教上のルールを遵守することはもちろん難しい そのため何か制度上の矛盾が生じるところにはほとんどと言っていいほど例外事項が存在する たとえばカトリックで一番特徴的なのは離婚ができないことだが、離婚はできなくても結婚を無効化すること(annulmentという)は可能なのである 実際夫の一族でも、教会の元で結婚したけれど、その後離婚した(法的に離婚して教会ではannulmentの手続きを経たということだろう)人は山ほどいる
夫にしたら、これら一連の例外事項がご都合主義にしか見えず、できないことは始めからしなければいいのに、なぜ例外を設けてまでルールを守っている振りをするのかよくわからないらしい paganたるわたしはどっちにしろ蚊帳の外なので、なんだかなんというか、どっちでもよい どっちでもよいが、もし仮に娘が洗礼を受けた場合(おそらくしないだろうが)、家族の中でお母さんだけ地獄に行くということを、彼女がどのように受け止めるのだろうかとは、ぼんやり思うのだった
4/08/2012
時が止まった家
一ヶ月ほど家族で日本に一時帰国していた 帰国中は家事手伝いと育児に明け暮れて完全に他のことを何一つできないうちに時間が過ぎてしまい、ブログをアップするどころか一日五分間のメールチェック以上の用途でパソコンを使うこと自体がなかった
実家に帰ったのは母が足の手術を終え退院し、それに合わせて病院に入っていた寝たきりの父も家に戻ったばかりというタイミングだったが、久しぶりに戻ってみると家もそこに住む人々もかなりとっちらかった状態になっていた
実家はわたしが生まれる前に建てられ、たしか7歳くらいの頃に一部建て増しされたのだったと思うが、近年そこここがもはやどうしようもないまでに老朽化し、またそこに住む人間たちが、もう家をきれいに保つということ自体どうでもよくなっていることもあって、古いだけでなくありていにいって汚い 埃がふりつもっているなんていうのはまだいい方で、破れた襖や障子は猫がいるからという理由で替えられることなく、台所や浴室など最低限清潔であってほしい部分すら不潔としかいいようのない状態だった 使われていない部屋という部屋には、収集癖のある父が買い集めたまま放ってある本、ビデオ、DVDが山と積まれ、戸棚という戸棚は旅行の土産物やらもらい物であろうどうでもいい感じの置物や人形といった、昭和の香り芬芬たる不用品で溢れかえっている わたしは十代半ばでこの家を出たが、ほかの家族全員は変わることなく住み続けているので、彼らの中では時間はそのころからすっかり止まってしまっていて、家がどんなに古く汚くなっても、気づかないかのようだ 時たま導入される最新型の電化製品(薄型テレビやらWiiやら)だけがかろうじて時間の経過を物語っているが、それらの新しすぎるモノたちがボロボロの家の中に鎮座している姿は、たまに外国から帰ってくる自分の目には異様に映る
現在の母と弟の生活は、寝たきりの父の介護を中心に回っている 父が寝ている部屋から昼夜かまわずおおいと呼ぶたびに、ふたりはそれまでしていたことを放り出して駆けつける 夜中など、わたしたちは彼の部屋の真上に寝ていたので、普通のトーンのおおいという呼びかけに始まり、弟と母が起きないとさらに声が大きくなり、5分10分経つころには30秒間隔のスヌーズでどうなっとるんやあと絶叫が始まるのを聞き、こんなことに耐える必要があるのか、これでは母と弟の負担が大きすぎるのではないかと思っていた しかし―実際に彼らが起きられないほど疲れているときに代わって父の部屋に行ってみて気づいたことだが―父が彼らを呼びつける用事の大半は、ベッドやエアコンの操作など手元にリモコン類があれば自分でもできること、もしくは猫の出入りする扉を開けておけなど、悪いがくだらないとしかいいようのないことである だから自分を犠牲にして寝たきりの人間のために立ち働く家族、という図式とはちょっと違うようだ
見たところ父の健康状態は去年よりすこぶるよく、車椅子で食堂まで来て食事することもできるようになっているくらいだ だから、あれこれと世話を焼かせるのは身体的な問題というより、父がもともと我侭な性格で他人に至れりつくせりしてもらうことに慣れているのが災いしているように思える 第一毎日1時間は看護士も来ているし、24時間体制で何も自分のことをできずに父を看ている必要は、そもそもない にもかかわらず生活のフォーカスを父の世話だけにおいている母と弟は、どちらもストレスをため調子が悪そうで、皮肉なことに、父のいる部屋を覗くことは一日のうち一瞬たりともなく、彼が寝たきりであるということ自体認識に上らないらしい兄は、日々黙々と仕事をし休みの日にはせっせと遊びに出かけ、家族のうちで一人だけ生活をエンジョイしているように見える
家の中がしっちゃかめっちゃかになっているのは、母の家事のありえないほどの非効率性にもよっている もっとこうしたら楽になるのにと教えても、頑として今まで何十年もそうしてきた、わたしの目には時間と労力の無駄にしか見えないやり方をやめない 例を挙げればきりがないが、雪がちらつく日に外に洗濯物を干そうとしたり、朝5時に起きて兄の弁当を作ってから、2時間後にまたまったく別の献立で他の全員の食事を作ろうとするなどだ
しかしそこには、単に効率が悪い以上の何かがあるようだ ふだん離れて暮らしていて、電話で話すたびにこちらが話しているのにいきなり切られたりして、どうしてこの人にはこんなに話が通じないんだろう、耳が遠いせいだろうかと思っていたが、いざ実家に帰って面と向かって話してみたら、やっぱりまともな会話というものがほぼ成立しない 何か質問しても、まったく関係のない答えが帰ってきたり、人に言われたことを勝手に曲解してわけのわからないストーリーを組み立てたりする たとえば、叔母がりんごをくれて、「このりんごは固めなので甘く煮て食べるとおいしい。甘煮は電子レンジを使ってもやることができる」と言ったところ、彼女の頭の中でそれは「このりんごは固いので電子レンジで加熱しないと食べられない」に変換され、朝台所に行くと一生懸命カットしたりんごを電子レンジにかけようとしていた(しかも三十年ほど前に我が家に導入された電子レンジの使い方が今でもわからないため、アルミホイルでりんごを包んだ上でなぜか「酒のかん」モードで温めようとしていた) また、弟の誕生日の朝、食卓で「今日は○○の誕生日だよ」というと、「あ、うん」と一言 弟も目の前にいるのだが、おめでとうとかそれに類した言葉は一切出てこない この手のことは昔から多い人ではあったが、近頃は輪をかけてひどくなっている 落ち着きがなく、何かしている最中で別のことを思い出してはそちらに没頭しはじめ、食事の最中などにもそれをするので、永遠に食べ終わることができない 身なりや行動にもまったく構わなくなってしまって、ひどいときはトイレを汚しても気づかずにそのままにして出てきてしまったりなどということもあった そんなこんなで、母とやり取りしようとするとあまりにもフラストレーションがたまるので、ほとんど叱りつけるようになってしまうこともしばしばだった
今になって言うのも何だが、母もどうも兄と同じように何らかの発達障害がある人なのではないかと思う 症状としては認知症の入り口のように見えなくもないが、どちらかといえばもともと持っていた何かが、高齢と今の生活のあり方のために悪化しているような感じだ 弟にしてもそうだが、社会的つながりもほとんどなく父の面倒だけ見て暮らしていることが、母の精神状態にも明らかに悪影響を与えているように思える 以前に精神疾患で入院したというのも、周りが障害に気づいていないことで事態が悪化してしまったのかもしれない
そんなわけで実家に帰ったものの、育児の手伝いなどは母からは何一つ期待できる状況ではなかった 夫のお母さんがやりすぎるくらいに世話をしてくれたのの反動で、何でも自分でできるという気持ちは持って実家に帰ったけれど、その状況と正反対に、実の母親がまるで子どもの面倒を見られず、同じ女性としての経験を共有できる瞬間がまずないのは、悲しいとしかいいようがない
母は孫娘のことは非常にかわいがってくれ、部屋にいるとあやしたり遊んだりしようとはしてくれるが、父に呼ばれたりするとそちらにかかりきりになってしまうし、少しでもぐずり出すとお手上げ状態になってしまうのだった お腹が空いているかもしれないとかオムツが濡れているかもしれないとかいったことには、まず想像が及ばないらしい 実際、オムツについては、自分の子じゃないから換えられないと言い放った(実際のところは、何かへまをしてわたしに叱られるのが怖いからやりたくなかったのだろう) 抱っこをさせれば、赤ん坊の抱き方などまるで忘れてしまったかのように、頭をきちんと支えずに今にも落っことしそうな姿勢でするので、見ている側が気が気でない 結局、娘を母に1、2時間預けて外に出るなどは夢のまた夢だった 一応母は曲がりなりにも3人の子どもを育てたことになっているはずだが、どうだろう、もしかしたら祖母や父が多くのことをしていたのかもしれない 考えてみると小さい頃母親と何かした記憶がほとんどないのは、実はそういうわけだったのだろうか
それでも、孫をかわいがってくれる親がいるという事実はありがたく受け止めなくてはならないのだろう 母が娘をあやそうとして、小学1年生の音楽の教科書(元教師だったので)を開いては、調子外れの童女のような声で、歌詞を読みながらにも関わらず軽く1、2小節はすっ飛ばしながら繰り返し繰り返し「アイアイ」を歌ったり、娘の気をを引こうとしてどうしたらいいかわからずに手にたまたま持っていたビニールの巾着をブンブン振り回したりしているさまを見ていると、何だか狂気の沙汰のようでもあるが、こんな時間が止まったような家にいた自分が新しい家族を作り、孫の顔を親に見せることができたこと自体、奇跡みたいなもんであるということは心に留めておかなくてはいけない
そういえば家が散らかりすぎていたのと忙しすぎたので、帰ったら飾ろうと思っていた、むかし祖父が買ってくれた雛壇を出すことはついにできなかった 次に帰るときには、飾ることができるだろうか
実家に帰ったのは母が足の手術を終え退院し、それに合わせて病院に入っていた寝たきりの父も家に戻ったばかりというタイミングだったが、久しぶりに戻ってみると家もそこに住む人々もかなりとっちらかった状態になっていた
実家はわたしが生まれる前に建てられ、たしか7歳くらいの頃に一部建て増しされたのだったと思うが、近年そこここがもはやどうしようもないまでに老朽化し、またそこに住む人間たちが、もう家をきれいに保つということ自体どうでもよくなっていることもあって、古いだけでなくありていにいって汚い 埃がふりつもっているなんていうのはまだいい方で、破れた襖や障子は猫がいるからという理由で替えられることなく、台所や浴室など最低限清潔であってほしい部分すら不潔としかいいようのない状態だった 使われていない部屋という部屋には、収集癖のある父が買い集めたまま放ってある本、ビデオ、DVDが山と積まれ、戸棚という戸棚は旅行の土産物やらもらい物であろうどうでもいい感じの置物や人形といった、昭和の香り芬芬たる不用品で溢れかえっている わたしは十代半ばでこの家を出たが、ほかの家族全員は変わることなく住み続けているので、彼らの中では時間はそのころからすっかり止まってしまっていて、家がどんなに古く汚くなっても、気づかないかのようだ 時たま導入される最新型の電化製品(薄型テレビやらWiiやら)だけがかろうじて時間の経過を物語っているが、それらの新しすぎるモノたちがボロボロの家の中に鎮座している姿は、たまに外国から帰ってくる自分の目には異様に映る
現在の母と弟の生活は、寝たきりの父の介護を中心に回っている 父が寝ている部屋から昼夜かまわずおおいと呼ぶたびに、ふたりはそれまでしていたことを放り出して駆けつける 夜中など、わたしたちは彼の部屋の真上に寝ていたので、普通のトーンのおおいという呼びかけに始まり、弟と母が起きないとさらに声が大きくなり、5分10分経つころには30秒間隔のスヌーズでどうなっとるんやあと絶叫が始まるのを聞き、こんなことに耐える必要があるのか、これでは母と弟の負担が大きすぎるのではないかと思っていた しかし―実際に彼らが起きられないほど疲れているときに代わって父の部屋に行ってみて気づいたことだが―父が彼らを呼びつける用事の大半は、ベッドやエアコンの操作など手元にリモコン類があれば自分でもできること、もしくは猫の出入りする扉を開けておけなど、悪いがくだらないとしかいいようのないことである だから自分を犠牲にして寝たきりの人間のために立ち働く家族、という図式とはちょっと違うようだ
見たところ父の健康状態は去年よりすこぶるよく、車椅子で食堂まで来て食事することもできるようになっているくらいだ だから、あれこれと世話を焼かせるのは身体的な問題というより、父がもともと我侭な性格で他人に至れりつくせりしてもらうことに慣れているのが災いしているように思える 第一毎日1時間は看護士も来ているし、24時間体制で何も自分のことをできずに父を看ている必要は、そもそもない にもかかわらず生活のフォーカスを父の世話だけにおいている母と弟は、どちらもストレスをため調子が悪そうで、皮肉なことに、父のいる部屋を覗くことは一日のうち一瞬たりともなく、彼が寝たきりであるということ自体認識に上らないらしい兄は、日々黙々と仕事をし休みの日にはせっせと遊びに出かけ、家族のうちで一人だけ生活をエンジョイしているように見える
家の中がしっちゃかめっちゃかになっているのは、母の家事のありえないほどの非効率性にもよっている もっとこうしたら楽になるのにと教えても、頑として今まで何十年もそうしてきた、わたしの目には時間と労力の無駄にしか見えないやり方をやめない 例を挙げればきりがないが、雪がちらつく日に外に洗濯物を干そうとしたり、朝5時に起きて兄の弁当を作ってから、2時間後にまたまったく別の献立で他の全員の食事を作ろうとするなどだ
しかしそこには、単に効率が悪い以上の何かがあるようだ ふだん離れて暮らしていて、電話で話すたびにこちらが話しているのにいきなり切られたりして、どうしてこの人にはこんなに話が通じないんだろう、耳が遠いせいだろうかと思っていたが、いざ実家に帰って面と向かって話してみたら、やっぱりまともな会話というものがほぼ成立しない 何か質問しても、まったく関係のない答えが帰ってきたり、人に言われたことを勝手に曲解してわけのわからないストーリーを組み立てたりする たとえば、叔母がりんごをくれて、「このりんごは固めなので甘く煮て食べるとおいしい。甘煮は電子レンジを使ってもやることができる」と言ったところ、彼女の頭の中でそれは「このりんごは固いので電子レンジで加熱しないと食べられない」に変換され、朝台所に行くと一生懸命カットしたりんごを電子レンジにかけようとしていた(しかも三十年ほど前に我が家に導入された電子レンジの使い方が今でもわからないため、アルミホイルでりんごを包んだ上でなぜか「酒のかん」モードで温めようとしていた) また、弟の誕生日の朝、食卓で「今日は○○の誕生日だよ」というと、「あ、うん」と一言 弟も目の前にいるのだが、おめでとうとかそれに類した言葉は一切出てこない この手のことは昔から多い人ではあったが、近頃は輪をかけてひどくなっている 落ち着きがなく、何かしている最中で別のことを思い出してはそちらに没頭しはじめ、食事の最中などにもそれをするので、永遠に食べ終わることができない 身なりや行動にもまったく構わなくなってしまって、ひどいときはトイレを汚しても気づかずにそのままにして出てきてしまったりなどということもあった そんなこんなで、母とやり取りしようとするとあまりにもフラストレーションがたまるので、ほとんど叱りつけるようになってしまうこともしばしばだった
今になって言うのも何だが、母もどうも兄と同じように何らかの発達障害がある人なのではないかと思う 症状としては認知症の入り口のように見えなくもないが、どちらかといえばもともと持っていた何かが、高齢と今の生活のあり方のために悪化しているような感じだ 弟にしてもそうだが、社会的つながりもほとんどなく父の面倒だけ見て暮らしていることが、母の精神状態にも明らかに悪影響を与えているように思える 以前に精神疾患で入院したというのも、周りが障害に気づいていないことで事態が悪化してしまったのかもしれない
そんなわけで実家に帰ったものの、育児の手伝いなどは母からは何一つ期待できる状況ではなかった 夫のお母さんがやりすぎるくらいに世話をしてくれたのの反動で、何でも自分でできるという気持ちは持って実家に帰ったけれど、その状況と正反対に、実の母親がまるで子どもの面倒を見られず、同じ女性としての経験を共有できる瞬間がまずないのは、悲しいとしかいいようがない
母は孫娘のことは非常にかわいがってくれ、部屋にいるとあやしたり遊んだりしようとはしてくれるが、父に呼ばれたりするとそちらにかかりきりになってしまうし、少しでもぐずり出すとお手上げ状態になってしまうのだった お腹が空いているかもしれないとかオムツが濡れているかもしれないとかいったことには、まず想像が及ばないらしい 実際、オムツについては、自分の子じゃないから換えられないと言い放った(実際のところは、何かへまをしてわたしに叱られるのが怖いからやりたくなかったのだろう) 抱っこをさせれば、赤ん坊の抱き方などまるで忘れてしまったかのように、頭をきちんと支えずに今にも落っことしそうな姿勢でするので、見ている側が気が気でない 結局、娘を母に1、2時間預けて外に出るなどは夢のまた夢だった 一応母は曲がりなりにも3人の子どもを育てたことになっているはずだが、どうだろう、もしかしたら祖母や父が多くのことをしていたのかもしれない 考えてみると小さい頃母親と何かした記憶がほとんどないのは、実はそういうわけだったのだろうか
それでも、孫をかわいがってくれる親がいるという事実はありがたく受け止めなくてはならないのだろう 母が娘をあやそうとして、小学1年生の音楽の教科書(元教師だったので)を開いては、調子外れの童女のような声で、歌詞を読みながらにも関わらず軽く1、2小節はすっ飛ばしながら繰り返し繰り返し「アイアイ」を歌ったり、娘の気をを引こうとしてどうしたらいいかわからずに手にたまたま持っていたビニールの巾着をブンブン振り回したりしているさまを見ていると、何だか狂気の沙汰のようでもあるが、こんな時間が止まったような家にいた自分が新しい家族を作り、孫の顔を親に見せることができたこと自体、奇跡みたいなもんであるということは心に留めておかなくてはいけない
そういえば家が散らかりすぎていたのと忙しすぎたので、帰ったら飾ろうと思っていた、むかし祖父が買ってくれた雛壇を出すことはついにできなかった 次に帰るときには、飾ることができるだろうか
1/24/2012
恐怖のひき肉
アラバマに越してきてそろそろひと月、娘は毎日よく食べ、ふくふくと育っている 本当なら一日中ずっと娘と遊んでいたいところだが、そろそろ博論再開しないといけないので、涙を飲んで文献読んでいる
娘の世話は夫のお母さんがしてくれるので、それはいいのだが、もう彼女が娘にべったりで逆に困るほどだ 朝自分たちの部屋で授乳して、その後ミルクを取りにキッチンに娘を抱いて行こうものなら、両手広げて待ちかまえている 「忙しそうだから代わりにやろうか?」という聞き方をされるのだが、その実自分が娘といたいのがあまりにも明らかだし、こっちはいやだとは言えない訳だから、少しずるいと思う そんなわけで日中は基本的に、グランマのデイケア状態、一緒にいられるのは授乳中だけで、終わったら両手広げて待たれているのでろくに遊んだりなどできない(一度などは授乳中に部屋の前まで来てどれくらいかかる?って聞くので、あと20分くらい、と答えたら、キッチンタイマーセットして待っていた 笑) 向こうも悪気はなくて、手の込んだ意地悪とかするタイプの人でもないし、純粋に助けようとしてくれている部分も多分にあるのだが、こうやって引いた目で書けるようになるまでには、わたしの中ではそりゃもうさまざまな感情が渦巻いて大変だった まじでPPDかと思ったわ
こんな流れになっている根底には料理問題がある 年末に引っ越してきた当初、お母さんはフロリダでの展開をすべて忘れたかのように、正月気分とか限りなく無視で牛ひき肉料理を連続で用意した(しかも同じ料理のローテーション) 付け合せの野菜はもちろん全部缶詰、しかも缶の中身を鍋にぶちまけて温めただけのが、水気も切らないまま出てくる感じとあって、あ、こりゃやっぱだめだ、となる せめて何かもうちょっとバラエティのある食材を買いたそうと、お金だけもらって買い出しも代行するが、行く前に何か買ってくるものある?と聞くと、
母:「ええと、そうね、牛ひき肉。」
...。 幸いその場では夫が「冗談だろ。」とわたしの気持ちを120%代弁してくれたため買わずに済んだが、結局あとでお母さん、こっそり買い物に行きひき肉買い足していた 笑 なんか彼女は、有り合わせで適当に料理するということができない人で、急にその日になって料理を頼むと、文字通りパニックに陥るのである 自分のよく知っている材料(主にひき肉、たまにポークチョップ、ソーセージ)を事前から準備しておいて半日がかりで料理するっていうのしかできないらしい それだと結局、同じものばかり食べ続けることになる ということでやっぱり、わたしが基本的に料理することになった
そんなある日、アル中のJ叔母からお母さんに電話があり、娘を見たいから、一家で週末パイを持ってやってくるという なんとなく流れ的にこちらが食事を用意するらしい、とお母さんは言うのだが、もちろん自分が料理したくないのは明らかなので、これまたなんとなく流れ的にわたしが料理することになる 「前に作ってくれたあの豚肉の料理(とんかつのこと)はおいしかったからあれ作れば?」と提案されるが、日本料理に慣れてないどころではない叔母一家に、主菜、ごはん、味噌汁、みたいなメニューを出すのは正直ハードル高すぎると思い、かといって、とんかつを始めとした一品料理を6人分とか作るのは負担が大きすぎる というわけで、苦心の末酢豚と炒飯とクラブラングーン(こっちのチャイニーズでよく出てくる、ワンタンの皮にクリームチーズと蟹または蟹かまをつつんで揚げたもの)を作ることにした
ともあれ、前日になって夫がおばさん明日何時に来るの、とお母さんに聞くと、「え?わからない たぶん午後じゃない?」と ディナーを準備すると思っていた夫はわからないって何だ、とキレるが、わたしは実はこの展開予想していたので、黙々と酢豚の材料を切り刻み、豚肉に下味をつけて次の日に備えた(3時間に一回授乳なので、準備はできるうちにしておかないと時間がまるでない) で、当日、起きて、授乳して、あとはもう黙々と料理し、あとはクラブラングーンを揚げるだけ、というところで、叔母から電話 「えっもうご飯食べちゃったよ!何も作らなくていいって言ったのに」って、まーじーでー! 結局、ほぼわたしの面目を保つためだけにクラブラングーンをスナックがわりに出したら受けたようで、叔母は酢豚にも興味を示して豚肉だけ全部食べて帰った 笑 しかし丸く収まったとはいえ、この一件にはさすがにげんなりきた
ずっと料理しているのもそれはそれはストレスなのだ 料理して食べたら一時間半はロスするし、授乳の合間を縫って他のこともしなきゃいけない 大体料理している間、お母さんは娘と遊んでるわけで、なんやら割に合わない 遊ぶのならわたしにだってできるっていうか、むしろそっちをやりたいよ的な 結局彼女は料理ができないので、ますます自分の使命は孫と遊ぶこと、とばかりにそっちに邁進してしまう
で、試行錯誤の末、一日置きに交代で料理しようと今朝提案してみた お母さんの料理も、わたしらがけっこううるさいので徐々に改善されてきている(気はする)し、これがいろんな意味での妥協点だと思う
この一件でかなりわたしも疲弊したのだが、何か学んだことがあるとすれば、どうやら自分は料理がうまいらしい、ということだ(単に比較の問題かもしれないが。。。) あと、ホームステイ先の料理がまずくてしんどいって言う留学生の気持ちが、ちょっとわかったような気がする 笑 まあ諸々のこともあと一ヶ月の辛抱(3月にはわたしらが日本に行き、お母さんは韓国に帰るため)だから、耐えるしかないかな
娘の世話は夫のお母さんがしてくれるので、それはいいのだが、もう彼女が娘にべったりで逆に困るほどだ 朝自分たちの部屋で授乳して、その後ミルクを取りにキッチンに娘を抱いて行こうものなら、両手広げて待ちかまえている 「忙しそうだから代わりにやろうか?」という聞き方をされるのだが、その実自分が娘といたいのがあまりにも明らかだし、こっちはいやだとは言えない訳だから、少しずるいと思う そんなわけで日中は基本的に、グランマのデイケア状態、一緒にいられるのは授乳中だけで、終わったら両手広げて待たれているのでろくに遊んだりなどできない(一度などは授乳中に部屋の前まで来てどれくらいかかる?って聞くので、あと20分くらい、と答えたら、キッチンタイマーセットして待っていた 笑) 向こうも悪気はなくて、手の込んだ意地悪とかするタイプの人でもないし、純粋に助けようとしてくれている部分も多分にあるのだが、こうやって引いた目で書けるようになるまでには、わたしの中ではそりゃもうさまざまな感情が渦巻いて大変だった まじでPPDかと思ったわ
こんな流れになっている根底には料理問題がある 年末に引っ越してきた当初、お母さんはフロリダでの展開をすべて忘れたかのように、正月気分とか限りなく無視で牛ひき肉料理を連続で用意した(しかも同じ料理のローテーション) 付け合せの野菜はもちろん全部缶詰、しかも缶の中身を鍋にぶちまけて温めただけのが、水気も切らないまま出てくる感じとあって、あ、こりゃやっぱだめだ、となる せめて何かもうちょっとバラエティのある食材を買いたそうと、お金だけもらって買い出しも代行するが、行く前に何か買ってくるものある?と聞くと、
母:「ええと、そうね、牛ひき肉。」
...。 幸いその場では夫が「冗談だろ。」とわたしの気持ちを120%代弁してくれたため買わずに済んだが、結局あとでお母さん、こっそり買い物に行きひき肉買い足していた 笑 なんか彼女は、有り合わせで適当に料理するということができない人で、急にその日になって料理を頼むと、文字通りパニックに陥るのである 自分のよく知っている材料(主にひき肉、たまにポークチョップ、ソーセージ)を事前から準備しておいて半日がかりで料理するっていうのしかできないらしい それだと結局、同じものばかり食べ続けることになる ということでやっぱり、わたしが基本的に料理することになった
そんなある日、アル中のJ叔母からお母さんに電話があり、娘を見たいから、一家で週末パイを持ってやってくるという なんとなく流れ的にこちらが食事を用意するらしい、とお母さんは言うのだが、もちろん自分が料理したくないのは明らかなので、これまたなんとなく流れ的にわたしが料理することになる 「前に作ってくれたあの豚肉の料理(とんかつのこと)はおいしかったからあれ作れば?」と提案されるが、日本料理に慣れてないどころではない叔母一家に、主菜、ごはん、味噌汁、みたいなメニューを出すのは正直ハードル高すぎると思い、かといって、とんかつを始めとした一品料理を6人分とか作るのは負担が大きすぎる というわけで、苦心の末酢豚と炒飯とクラブラングーン(こっちのチャイニーズでよく出てくる、ワンタンの皮にクリームチーズと蟹または蟹かまをつつんで揚げたもの)を作ることにした
ともあれ、前日になって夫がおばさん明日何時に来るの、とお母さんに聞くと、「え?わからない たぶん午後じゃない?」と ディナーを準備すると思っていた夫はわからないって何だ、とキレるが、わたしは実はこの展開予想していたので、黙々と酢豚の材料を切り刻み、豚肉に下味をつけて次の日に備えた(3時間に一回授乳なので、準備はできるうちにしておかないと時間がまるでない) で、当日、起きて、授乳して、あとはもう黙々と料理し、あとはクラブラングーンを揚げるだけ、というところで、叔母から電話 「えっもうご飯食べちゃったよ!何も作らなくていいって言ったのに」って、まーじーでー! 結局、ほぼわたしの面目を保つためだけにクラブラングーンをスナックがわりに出したら受けたようで、叔母は酢豚にも興味を示して豚肉だけ全部食べて帰った 笑 しかし丸く収まったとはいえ、この一件にはさすがにげんなりきた
ずっと料理しているのもそれはそれはストレスなのだ 料理して食べたら一時間半はロスするし、授乳の合間を縫って他のこともしなきゃいけない 大体料理している間、お母さんは娘と遊んでるわけで、なんやら割に合わない 遊ぶのならわたしにだってできるっていうか、むしろそっちをやりたいよ的な 結局彼女は料理ができないので、ますます自分の使命は孫と遊ぶこと、とばかりにそっちに邁進してしまう
で、試行錯誤の末、一日置きに交代で料理しようと今朝提案してみた お母さんの料理も、わたしらがけっこううるさいので徐々に改善されてきている(気はする)し、これがいろんな意味での妥協点だと思う
この一件でかなりわたしも疲弊したのだが、何か学んだことがあるとすれば、どうやら自分は料理がうまいらしい、ということだ(単に比較の問題かもしれないが。。。) あと、ホームステイ先の料理がまずくてしんどいって言う留学生の気持ちが、ちょっとわかったような気がする 笑 まあ諸々のこともあと一ヶ月の辛抱(3月にはわたしらが日本に行き、お母さんは韓国に帰るため)だから、耐えるしかないかな
1/18/2012
ある日、南アラバマにて
自嘲気味に気に入っているシンプソンズのエピソードに、大学院生についてのものがある
カートが大学院生をバカにしているのをマージがたしなめて、"Don't make fun of grad students--they just made a terrible life choice" というのだ(下記参照)
この前唇がひどく荒れてガサガサになり、ふつうのリップバームでは全然効果なくてかぶれたようになったので、(またしても)ウォークインクリニックに行くことにした ネットで調べたら、ドクター・グプタと言ってなんやらインド系のお医者さんらしい この医者にはおばあさんが一回かかったことがあり、何にもしてくれなかった!と文句たらたらだったが、まあ他に選択肢もないし、と娘を夫のお母さんに預け、授乳時間の合間を縫って出かけることにした
道すがらマージの台詞を思い出しつつ、確かに自分たちは大学院なんか行っちゃって人生の選択を誤ったよな~と、冗談まじりに話しているうちにクリニックに着く 12時半くらいだったが、窓口に行くと、「ドクター・グプタは2時まで戻りません」と オフィスアワー9時から5時までって書いてあるのにいないんかい、とさっそくイラッとして、もう今日は諦めようかなあと車に戻ると、エンジンがかからない
うちの車は電気系統がいかれていて、時々セキュリティロックがかかってエンジンがかからないことがあったのだが、去年だったかこの件で修理に出したので、もうすっかり直ったと思っていたのに、また壊れたみたいだ 修理に出す前はよく、夫がエンジンの蓋を開けて、誰かにアクセルを踏ませつつスクリュードライバーをどこやらに差し込み火花を散らせてエンジンをかける、という原始的すぎる方法を取っていたのだが、さすがにもう直ったと思っていたので今日はスクリュードライバー用意してないと言う 笑
しかし、夫曰く、この症状はしばらく待っていると直ることがあるらしい 以前夫とAがモールに行ったときにも動かなくなったけど、ペットショップで暇つぶしてまったく予定外に熱帯魚とか買ってる間に直ったという というわけで、他にどうしようもないので、近くで何か食べて2時まで待ってドクター・グプタに会うことした 授乳時間までに帰れないので、娘にはミルクをあげるように夫のお母さんに電話で頼む
クリニックが入っているストリップモールには飲食店らしきものはないので、なんかこのイベント自体が貧乏院生生活のパロディみたいだよな~、とか言いながら、とぼとぼと道を歩いていくと、Chick & Sea Restaurantの文字と、間の抜けたグーグーガンモみたいな鶏と魚の躍る看板が視界に入ってくる そのローファイ加減に、思わずへらへらと力の抜けた笑いが漏れる 見るからに鄙びた感じのレストランで、フライドチキンやシーフードを使った家庭料理の店のようである 周りにはほかにサブウェイしか見当たらないし、これも何かの縁だからというわけで、吸い寄せられるようにして入っていってみると、中はお年寄りで超満員であった 老人の群れに混じり、夫はシュリンプポーボーイ、わたしはオイスターポーボーイを食べ、デザートにぺカンパイも頼んだ それなりにいける味だ ゆっくりと食事して1時を過ぎたころあたりを見回すと、店一杯にいたじーさんばーさんたちが忽然と消えている お年寄りは実に規則正しい生活を送っているようだ
レストランを出て車に戻ると、エンジンがかかった!この機を逃してはならんと、夫には家に帰って別の車を持ってきてもらい、わたしはドクター・グプタに会う たしかにインド系のおっちゃんだったが、診察が30秒で終了したため特筆すべきこともなく、処方箋をもらって帰る 帰りはおばあさん(クリスマスで帰国した夫のお父さんにくっついて韓国に行ってしまいいないのだが、それはまた別の話)の車に乗ったが、走ってる間中ずっとただならぬ異音を立てていたので、どっちかっていうとこの車のほうがやばいんじゃないのという感じだった トラブルのない車には、どうやら縁がないらしい
カートが大学院生をバカにしているのをマージがたしなめて、"Don't make fun of grad students--they just made a terrible life choice" というのだ(下記参照)
この前唇がひどく荒れてガサガサになり、ふつうのリップバームでは全然効果なくてかぶれたようになったので、(またしても)ウォークインクリニックに行くことにした ネットで調べたら、ドクター・グプタと言ってなんやらインド系のお医者さんらしい この医者にはおばあさんが一回かかったことがあり、何にもしてくれなかった!と文句たらたらだったが、まあ他に選択肢もないし、と娘を夫のお母さんに預け、授乳時間の合間を縫って出かけることにした
道すがらマージの台詞を思い出しつつ、確かに自分たちは大学院なんか行っちゃって人生の選択を誤ったよな~と、冗談まじりに話しているうちにクリニックに着く 12時半くらいだったが、窓口に行くと、「ドクター・グプタは2時まで戻りません」と オフィスアワー9時から5時までって書いてあるのにいないんかい、とさっそくイラッとして、もう今日は諦めようかなあと車に戻ると、エンジンがかからない
うちの車は電気系統がいかれていて、時々セキュリティロックがかかってエンジンがかからないことがあったのだが、去年だったかこの件で修理に出したので、もうすっかり直ったと思っていたのに、また壊れたみたいだ 修理に出す前はよく、夫がエンジンの蓋を開けて、誰かにアクセルを踏ませつつスクリュードライバーをどこやらに差し込み火花を散らせてエンジンをかける、という原始的すぎる方法を取っていたのだが、さすがにもう直ったと思っていたので今日はスクリュードライバー用意してないと言う 笑
しかし、夫曰く、この症状はしばらく待っていると直ることがあるらしい 以前夫とAがモールに行ったときにも動かなくなったけど、ペットショップで暇つぶしてまったく予定外に熱帯魚とか買ってる間に直ったという というわけで、他にどうしようもないので、近くで何か食べて2時まで待ってドクター・グプタに会うことした 授乳時間までに帰れないので、娘にはミルクをあげるように夫のお母さんに電話で頼む
クリニックが入っているストリップモールには飲食店らしきものはないので、なんかこのイベント自体が貧乏院生生活のパロディみたいだよな~、とか言いながら、とぼとぼと道を歩いていくと、Chick & Sea Restaurantの文字と、間の抜けたグーグーガンモみたいな鶏と魚の躍る看板が視界に入ってくる そのローファイ加減に、思わずへらへらと力の抜けた笑いが漏れる 見るからに鄙びた感じのレストランで、フライドチキンやシーフードを使った家庭料理の店のようである 周りにはほかにサブウェイしか見当たらないし、これも何かの縁だからというわけで、吸い寄せられるようにして入っていってみると、中はお年寄りで超満員であった 老人の群れに混じり、夫はシュリンプポーボーイ、わたしはオイスターポーボーイを食べ、デザートにぺカンパイも頼んだ それなりにいける味だ ゆっくりと食事して1時を過ぎたころあたりを見回すと、店一杯にいたじーさんばーさんたちが忽然と消えている お年寄りは実に規則正しい生活を送っているようだ
レストランを出て車に戻ると、エンジンがかかった!この機を逃してはならんと、夫には家に帰って別の車を持ってきてもらい、わたしはドクター・グプタに会う たしかにインド系のおっちゃんだったが、診察が30秒で終了したため特筆すべきこともなく、処方箋をもらって帰る 帰りはおばあさん(クリスマスで帰国した夫のお父さんにくっついて韓国に行ってしまいいないのだが、それはまた別の話)の車に乗ったが、走ってる間中ずっとただならぬ異音を立てていたので、どっちかっていうとこの車のほうがやばいんじゃないのという感じだった トラブルのない車には、どうやら縁がないらしい
12/18/2011
母帰る
で、そうこうしているうちに夫のお母さんは予定より早くアラバマに一人で戻っていったんですが
まあ彼女は来たのが臨月前とかなり早くて、運転が苦手なのとあんまり行動的な人でもないのでここではあんまりすることもなかったのもあるし、料理問題が解決を見なかったり(というか悪化した 笑)、狭い家で三人顔つき合わせていればまあ雰囲気が悪くなることもあるよね、ということで、ここらが潮時、だったのかと思う
わたしはわたしで、退院以降も娘の体重が増えないのでめちゃくちゃストレスをためていた 振り返ってみると単純に母乳が足りてない、ということだったのだが、これも自分的にはショックで、実際に子どもを生む前は母乳神話とかかなり懐疑的だったのに、気がつけば母乳育児に異常な執念を燃やしている自分がおり、搾乳したりマッサージしたり、可能なことはすべてやったのだが、結局ミルクとの混合にせざるを得なくなり、今にして思うとそれで全然よかったのだが、当初はなぜだか感情的に受け入れがたいものがあった
母乳のことだけでなく、大変でも自分でちゃんとすべてやりたい、という性格が災いして、いっぱいっぱいなのに人に頼るのはイヤ、という悪循環にもなっていた気がする 夜中に娘が泣き出して、あやしても泣き止まないときなど(今思うと単にお腹が空いてたんだろうが)、お母さんが部屋に入ってきて娘を抱いて連れて行ってしまったりすると、好意でやってくれてるのはわかるがもうどうにもムカーッときてしまい、彼女が赤ちゃん言葉とか自作子守唄(笑)などで娘をあやしているのを聞いただけでイラッときたりとか 独占欲、なのだろうか、こんな感情が自分の中にあったことにとりあえず驚くというか。。。あとは帝王切開になったせいでbondingがいまいちできてない、という気持ちがどうしてもぬぐえなかったのもある 絵に描いたような産後うつの前駆症状じゃん、ということで、はたと気づいて軌道修正したからよかったけど
まあ一月にはまたお母さんたちの家に越してしばらく一緒に住むことになるので、めんどくさいことにならないといいな~と思っているんだけど、今のところは、家族三人の暮らしをようやく落ち着いて楽しんでいる
まあ彼女は来たのが臨月前とかなり早くて、運転が苦手なのとあんまり行動的な人でもないのでここではあんまりすることもなかったのもあるし、料理問題が解決を見なかったり(というか悪化した 笑)、狭い家で三人顔つき合わせていればまあ雰囲気が悪くなることもあるよね、ということで、ここらが潮時、だったのかと思う
わたしはわたしで、退院以降も娘の体重が増えないのでめちゃくちゃストレスをためていた 振り返ってみると単純に母乳が足りてない、ということだったのだが、これも自分的にはショックで、実際に子どもを生む前は母乳神話とかかなり懐疑的だったのに、気がつけば母乳育児に異常な執念を燃やしている自分がおり、搾乳したりマッサージしたり、可能なことはすべてやったのだが、結局ミルクとの混合にせざるを得なくなり、今にして思うとそれで全然よかったのだが、当初はなぜだか感情的に受け入れがたいものがあった
母乳のことだけでなく、大変でも自分でちゃんとすべてやりたい、という性格が災いして、いっぱいっぱいなのに人に頼るのはイヤ、という悪循環にもなっていた気がする 夜中に娘が泣き出して、あやしても泣き止まないときなど(今思うと単にお腹が空いてたんだろうが)、お母さんが部屋に入ってきて娘を抱いて連れて行ってしまったりすると、好意でやってくれてるのはわかるがもうどうにもムカーッときてしまい、彼女が赤ちゃん言葉とか自作子守唄(笑)などで娘をあやしているのを聞いただけでイラッときたりとか 独占欲、なのだろうか、こんな感情が自分の中にあったことにとりあえず驚くというか。。。あとは帝王切開になったせいでbondingがいまいちできてない、という気持ちがどうしてもぬぐえなかったのもある 絵に描いたような産後うつの前駆症状じゃん、ということで、はたと気づいて軌道修正したからよかったけど
まあ一月にはまたお母さんたちの家に越してしばらく一緒に住むことになるので、めんどくさいことにならないといいな~と思っているんだけど、今のところは、家族三人の暮らしをようやく落ち着いて楽しんでいる
生まれました
11月27日に無事女児を出産しました
気がつけば今日で娘が生まれて3週間 最初の2週間はもう何だかわけがわからないうちに過ぎていって、ようやく最近いろんなことが落ち着いてきた気がする
まず出産が予定外に帝王切開になってしまって、もうその時点で計算が狂ったのだった ふつうに陣痛が始まって病院に行って、無痛希望なのでエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらって順調に破水して、あとは子宮口が完全に開くのを待つだけ、だったのだけど、これが待っても待っても全開にならず そうこうしているうちに胎児の心拍数が下がるし自分自身は発熱してガタガタ震え出すし、一応ミッドワイフの指示でいきむのもやってみたけど、どうも胎児の頭の向きが悪くて、子宮口に引っかかって出てこられないらしい というわけで、急遽ドクターが来て、位置を手で直そうとするがうまくいかず、結局自分としてはかなり嫌々な感じで、帝王切開となった(回復に時間がかかるのと、高額なので避けたかった) 手術中は寒くて寒くて震えが止まらず、術後すぐ娘と並んで撮った写真があって、いい写真だといろんな人に言ってもらったけど、あのときのコンディションは実はもう最悪だったのだった
生まれたら生まれたで、術後は体が思うように動かない状態で、自分ではよく覚えていないがいろんな管が体から出ていて、胃が何も受け付けなくて水飲んでも吐くし、突然震えが止まらなくなって、これが傷口に響いて痛いの何の、我ながら一体どうやってこんな状態で授乳とかしてたんだろうか
体が少しましになってからもトラブル続きで、産後72時間で(アメリカは入院期間が短く、帝王切開でもこれくらいがふつう)予後がまあまあいいからもうドクターの許可さえあれば帰宅していい、と言われていたのに、その日に限って主治医がなぜか病室に現れず、帰れない羽目に しかもその無駄な一日の間に、今度は娘の体重が規定以下に減ってしまい、小児科医に娘の帰宅を禁止される始末で、結局母子ともに退院していい状態になるまでに4泊とか?したのだったか
しかも極めつけは(注意:こっから先完全な下ネタです)、退院後4、5日目のことだったと思うが、かつてないほどの便秘になり、もう絶対行くもんかと思っていたERに(しかもそんな用事で)舞い戻ることに 出産当日から鎮静剤痛み止めの類をガンガン使っていて、その副作用で便秘になったということなのだが、溜まった古い便がカチカチになって肛門に蓋をしているような状態で、ヤケクソになって下剤飲んでみたけど、すでに硬くなったものの状態は変わらないので、便秘にもかかわらずその硬い蓋の隙間から下痢もしてるみたいな、、、ああ、汚くてすいませんね
で、ありていに言うと、ERのロビーで待たされてる間中shitting my pants 状態だったのだ お前が新生児か、みたいな話である 止めたくても止められません的な状態になって生理用ナプキンをもらいにいったりしたので、さすがに不憫に思われたのか、早めに診察してもらえ、その後、もうあえて訳さないけれども、soap suds enemaの処置を受け、一晩かかって、こんなものが自分の体内にあったなんてウソでしょう、というサイズの宿便を無事出産した 本当にもうこれでダメなら死ぬと思ったので、むしろ便秘などという生易しい呼び方で語ってはいけないような気すらする どっちかっていうと臨死体験だね
そんな母の産みの苦しみを知ってから知らずか(?)、新生児もうんこをするときは、これ以上に苦しいことは世の中にない、というような苦悶の表情を浮かべている(赤ちゃんにはよくあることらしい) そうでなくても黒目が大きく、常にちょっと悲しそうな顔なのだ 世界ってさみしいところだなあとでも思っているかのようだ あるいは、ゴッドマザーのSの言葉を借りれば、she already knows life sucks とでも そんな顔を見るにつけ、わが子よ心配するな、世の中の大抵のことは便秘でERに行くよりはましだよ、と語りかける日々である
気がつけば今日で娘が生まれて3週間 最初の2週間はもう何だかわけがわからないうちに過ぎていって、ようやく最近いろんなことが落ち着いてきた気がする
まず出産が予定外に帝王切開になってしまって、もうその時点で計算が狂ったのだった ふつうに陣痛が始まって病院に行って、無痛希望なのでエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらって順調に破水して、あとは子宮口が完全に開くのを待つだけ、だったのだけど、これが待っても待っても全開にならず そうこうしているうちに胎児の心拍数が下がるし自分自身は発熱してガタガタ震え出すし、一応ミッドワイフの指示でいきむのもやってみたけど、どうも胎児の頭の向きが悪くて、子宮口に引っかかって出てこられないらしい というわけで、急遽ドクターが来て、位置を手で直そうとするがうまくいかず、結局自分としてはかなり嫌々な感じで、帝王切開となった(回復に時間がかかるのと、高額なので避けたかった) 手術中は寒くて寒くて震えが止まらず、術後すぐ娘と並んで撮った写真があって、いい写真だといろんな人に言ってもらったけど、あのときのコンディションは実はもう最悪だったのだった
生まれたら生まれたで、術後は体が思うように動かない状態で、自分ではよく覚えていないがいろんな管が体から出ていて、胃が何も受け付けなくて水飲んでも吐くし、突然震えが止まらなくなって、これが傷口に響いて痛いの何の、我ながら一体どうやってこんな状態で授乳とかしてたんだろうか
体が少しましになってからもトラブル続きで、産後72時間で(アメリカは入院期間が短く、帝王切開でもこれくらいがふつう)予後がまあまあいいからもうドクターの許可さえあれば帰宅していい、と言われていたのに、その日に限って主治医がなぜか病室に現れず、帰れない羽目に しかもその無駄な一日の間に、今度は娘の体重が規定以下に減ってしまい、小児科医に娘の帰宅を禁止される始末で、結局母子ともに退院していい状態になるまでに4泊とか?したのだったか
しかも極めつけは(注意:こっから先完全な下ネタです)、退院後4、5日目のことだったと思うが、かつてないほどの便秘になり、もう絶対行くもんかと思っていたERに(しかもそんな用事で)舞い戻ることに 出産当日から鎮静剤痛み止めの類をガンガン使っていて、その副作用で便秘になったということなのだが、溜まった古い便がカチカチになって肛門に蓋をしているような状態で、ヤケクソになって下剤飲んでみたけど、すでに硬くなったものの状態は変わらないので、便秘にもかかわらずその硬い蓋の隙間から下痢もしてるみたいな、、、ああ、汚くてすいませんね
で、ありていに言うと、ERのロビーで待たされてる間中shitting my pants 状態だったのだ お前が新生児か、みたいな話である 止めたくても止められません的な状態になって生理用ナプキンをもらいにいったりしたので、さすがに不憫に思われたのか、早めに診察してもらえ、その後、もうあえて訳さないけれども、soap suds enemaの処置を受け、一晩かかって、こんなものが自分の体内にあったなんてウソでしょう、というサイズの宿便を無事出産した 本当にもうこれでダメなら死ぬと思ったので、むしろ便秘などという生易しい呼び方で語ってはいけないような気すらする どっちかっていうと臨死体験だね
そんな母の産みの苦しみを知ってから知らずか(?)、新生児もうんこをするときは、これ以上に苦しいことは世の中にない、というような苦悶の表情を浮かべている(赤ちゃんにはよくあることらしい) そうでなくても黒目が大きく、常にちょっと悲しそうな顔なのだ 世界ってさみしいところだなあとでも思っているかのようだ あるいは、ゴッドマザーのSの言葉を借りれば、she already knows life sucks とでも そんな顔を見るにつけ、わが子よ心配するな、世の中の大抵のことは便秘でERに行くよりはましだよ、と語りかける日々である
11/21/2011
ベイビーシャワーの顛末など
気がつけば日付変わって今日で39週目に入る 予定日まで10日ぐらいだが、産まれる気配はいまだなし ただ毎日腹が張って痛いのみ これは父が博論のプロスペクタスを書き終え母の博論の目処も着くまでもうちょっと待つのだぞ、とお腹の子に日々言い聞かせているせいなのか、それとも単に、高齢初産によくあると聞く、なかなか子宮口が開かないというパターンなのか、段々よくわからなくなってきたけど、今のところまだ焦ってはいない とりあえず博論の2章の直しがのろのろと最終セクションまで来たから、あと一週間待ってくれるとうれしい。。でも子が待てなければ、そのときはそのときだ
で、ベイビーシャワーだが、主催すると言ったSがアル中の時点で(しかもその話が出たとき彼女は泥酔していたので)、あんまりまともに期待してはいけないとは自分に言い聞かせてはいたんだけど、ふつうに流れました 笑
えーとちなみにベイビーシャワーというのはアメリカの習慣で、日本では子どもが産まれてから出産祝いを贈るのがふつうだけど、こちらでは産む側がほしいものリスト(レジストリという)を作って、そこから適当に買って予定日一月くらい前に贈ってしまうのが一般的である
で、そのベイビーシャワーの幹事をやると言ったSは、9月あたりまではああしたいこうしたい、っていうのをよく言ってきてくれて、なんか日本人も呼んでお茶飲んだり日本食食べたりするんだ!(それはオマエが寿司を食べたいだけでは。。。)とかまで言っていたのだが、それはさすがにわたしの方が、ふだん付き合いがほぼない日本人の主婦の人たちとかが酔っ払いとレズビアンの群れに混じっている阿鼻叫喚なベイビーシャワーの図というのをとても想像できなかったため(笑)、ごめんねうち日本人の人たちとあまり付き合いないんだよねもっと小さい集まりでいいんだよ、と言って丸く収めた
それから一応ベイビーレジストリも作ってフェイスブックでリンクを送ったりもしていたのだが、その後ぱたりと連絡がやみ。。。
10月に入って夫にそれとなく、あれ、どうなってると思う?と聞いたら、絶対忘れてるからあきらめろと 笑 まあSも夫と同じくプロスペクタス書いたりティーチングで忙しいのはわかっていたので、別にしょうがないかとも思ったのだが、それから少し経って夫が会ったら、彼女の目標は「ベイビーシャワーをする」から「子どもが産まれたら料理の差し入れをする」にいつの間にか切り替わっていたらしく、病院に食べ物持って行く!何がいい?と言ってきたそうだ 笑
そんでこないだたまたま電話で話したら、やっぱり差し入れ何がいい?と言われ、しかも、わたしがレジストリのリンクを送ったことすら忘れて、ところでレジストリはある?と聞いてきたので、さすがにをい!と思ったが、まあ仕方ないやね(酔っ払いにはめっぽう寛容なわたくし) 彼女はゲイの人が往々にしてそうであるようにかなりのグルメで、いつもファンシーな食材をふんだんに使って料理をする人なので、もしその差し入れの件も忘れなければ、けっこうおいしいものが食べられるかもしれない 笑
で、ベイビーシャワーだが、主催すると言ったSがアル中の時点で(しかもその話が出たとき彼女は泥酔していたので)、あんまりまともに期待してはいけないとは自分に言い聞かせてはいたんだけど、ふつうに流れました 笑
えーとちなみにベイビーシャワーというのはアメリカの習慣で、日本では子どもが産まれてから出産祝いを贈るのがふつうだけど、こちらでは産む側がほしいものリスト(レジストリという)を作って、そこから適当に買って予定日一月くらい前に贈ってしまうのが一般的である
で、そのベイビーシャワーの幹事をやると言ったSは、9月あたりまではああしたいこうしたい、っていうのをよく言ってきてくれて、なんか日本人も呼んでお茶飲んだり日本食食べたりするんだ!(それはオマエが寿司を食べたいだけでは。。。)とかまで言っていたのだが、それはさすがにわたしの方が、ふだん付き合いがほぼない日本人の主婦の人たちとかが酔っ払いとレズビアンの群れに混じっている阿鼻叫喚なベイビーシャワーの図というのをとても想像できなかったため(笑)、ごめんねうち日本人の人たちとあまり付き合いないんだよねもっと小さい集まりでいいんだよ、と言って丸く収めた
それから一応ベイビーレジストリも作ってフェイスブックでリンクを送ったりもしていたのだが、その後ぱたりと連絡がやみ。。。
10月に入って夫にそれとなく、あれ、どうなってると思う?と聞いたら、絶対忘れてるからあきらめろと 笑 まあSも夫と同じくプロスペクタス書いたりティーチングで忙しいのはわかっていたので、別にしょうがないかとも思ったのだが、それから少し経って夫が会ったら、彼女の目標は「ベイビーシャワーをする」から「子どもが産まれたら料理の差し入れをする」にいつの間にか切り替わっていたらしく、病院に食べ物持って行く!何がいい?と言ってきたそうだ 笑
そんでこないだたまたま電話で話したら、やっぱり差し入れ何がいい?と言われ、しかも、わたしがレジストリのリンクを送ったことすら忘れて、ところでレジストリはある?と聞いてきたので、さすがにをい!と思ったが、まあ仕方ないやね(酔っ払いにはめっぽう寛容なわたくし) 彼女はゲイの人が往々にしてそうであるようにかなりのグルメで、いつもファンシーな食材をふんだんに使って料理をする人なので、もしその差し入れの件も忘れなければ、けっこうおいしいものが食べられるかもしれない 笑
11/05/2011
母来る
少し前から夫のお母さんが手伝いのため来てくれている(ふだんは韓国在住)
すごく物腰の柔らかいいい人で、ネイルサロンに連れて行ってくれたり(pamperingといって出産前に身づくろいするのがこちらの習慣らしいので)、結局つぶれたベイビーシャワー(かなり笑える状況なのだが長くなるので省略)の代わりにベビー用品一式買ってくれちゃったり、とても助かっている
が、ひとつだけ問題が。。。それは、お母さん、かなり料理がヘタ(苦笑)
働きながら子育てしてきた女性にありがちなこととは思う わたしの母親だって家事は全部祖母任せだったので、今でも時々かなり珍妙な面妖なものをこさえることがある 夫のお母さんの場合は、レパートリーがすごく少ないのと、あんまりフレッシュな材料を使わないのが主に問題 けっこう年なのでネットでレシピ検索、みたいな発想もないし、あともともと本人が料理好きじゃないのだと思う 来て早々わたしに気を使って毎晩料理してくれたのだが、子ども用のホットドッグに使われるまずいソーセージと、缶詰の野菜と、ハンバーガーヘルパーの味しかしない料理ばかりが連日出てきて、正直かなりグロッキー気味に 笑 わたしはまあお世話になっているし面と向かっておいしくないとかもちろん言えないわけだが、夫が完全にキレた ふだんからお母さんにはかなりやさしい方なのだが、この料理問題はかなり根深いものがあるようだ(子どもの頃のある年、サンクスギビングディナーが豆の缶詰だったのがトラウマらしい) 一日中何するでもなく家にいるのに缶詰ばかり出しやがって、こんなんなら自分で作るわ!と夫は言い出し、お母さんはショボーンとしてしまうし、何だか大変 しかしそれでも、夫がいないときにふたりで買出しに行くと、やっぱり普通の野菜とかは買わないで、息子にばれないうちに、、、と言って、キャンベルスープを山のように大人買いするお母さん 笑 ああどうやら彼女、なぜ責められてるかあまりわかってない様子
これはさすがに何とかしないといかん、と夫とふたりだけの時に協議した結果、みんなで買出しに行き、作れるものは陣痛が来る前にわたしと夫とで手分けして作って冷凍、ふだんの食事でも何となく主導権を握るようにしていくことになった あれ?元々こういうことを自分らでしなくていいためにお母さんが来てくれたんじゃなかったっけ? 笑 ともあれ昨日は大鍋でミネストローネを作り、あくまでついで、というさりげな~い感じで(ここ重要)夕食にチキンアルフレードを作った これからあとまだミートソースとチリとカレーととんかつを作るぞ。。。つか博論。。。
すごく物腰の柔らかいいい人で、ネイルサロンに連れて行ってくれたり(pamperingといって出産前に身づくろいするのがこちらの習慣らしいので)、結局つぶれたベイビーシャワー(かなり笑える状況なのだが長くなるので省略)の代わりにベビー用品一式買ってくれちゃったり、とても助かっている
が、ひとつだけ問題が。。。それは、お母さん、かなり料理がヘタ(苦笑)
働きながら子育てしてきた女性にありがちなこととは思う わたしの母親だって家事は全部祖母任せだったので、今でも時々かなり珍妙な面妖なものをこさえることがある 夫のお母さんの場合は、レパートリーがすごく少ないのと、あんまりフレッシュな材料を使わないのが主に問題 けっこう年なのでネットでレシピ検索、みたいな発想もないし、あともともと本人が料理好きじゃないのだと思う 来て早々わたしに気を使って毎晩料理してくれたのだが、子ども用のホットドッグに使われるまずいソーセージと、缶詰の野菜と、ハンバーガーヘルパーの味しかしない料理ばかりが連日出てきて、正直かなりグロッキー気味に 笑 わたしはまあお世話になっているし面と向かっておいしくないとかもちろん言えないわけだが、夫が完全にキレた ふだんからお母さんにはかなりやさしい方なのだが、この料理問題はかなり根深いものがあるようだ(子どもの頃のある年、サンクスギビングディナーが豆の缶詰だったのがトラウマらしい) 一日中何するでもなく家にいるのに缶詰ばかり出しやがって、こんなんなら自分で作るわ!と夫は言い出し、お母さんはショボーンとしてしまうし、何だか大変 しかしそれでも、夫がいないときにふたりで買出しに行くと、やっぱり普通の野菜とかは買わないで、息子にばれないうちに、、、と言って、キャンベルスープを山のように大人買いするお母さん 笑 ああどうやら彼女、なぜ責められてるかあまりわかってない様子
これはさすがに何とかしないといかん、と夫とふたりだけの時に協議した結果、みんなで買出しに行き、作れるものは陣痛が来る前にわたしと夫とで手分けして作って冷凍、ふだんの食事でも何となく主導権を握るようにしていくことになった あれ?元々こういうことを自分らでしなくていいためにお母さんが来てくれたんじゃなかったっけ? 笑 ともあれ昨日は大鍋でミネストローネを作り、あくまでついで、というさりげな~い感じで(ここ重要)夕食にチキンアルフレードを作った これからあとまだミートソースとチリとカレーととんかつを作るぞ。。。つか博論。。。
10/03/2011
anger control、介護、その他覚書
昨晩遅く実家から電話あり 以下、話した内容を覚書代わりに書いておく
1.以前から足が悪いのに、家を空けられないといって頑なに手術を拒んでいた母親が、ようやく手術を受ける決心をした
2.この前帰国した時点では確か2か3だった父親の要介護度が、母情報によると最高の5に上がっていた(「障害区分」と言われる指標も別にあって、そっちも5なのだそうで)。。。って、かなり、寝耳に水なんですが。 第一、受けられる介護サービスの月額限度も上がってるわけなのに、サービス内容自体(看護師が一日一時間半訪問、週一で入浴介助サービス)が前と変わっていないのはなぜか?
3.実家の資産状況を把握しておく必要あり(これはつい最近、高齢の親と引きこもりの子のライフプランに関するファイナンシャルプランナーの人が書いた文章を読んで思ったこと)→たとえば父親が亡くなったあと自分にどれくらいの遺産が、といったことはもはやどうでもいいのだが、将来的にまともに社会復帰できない可能性がある弟(あと、今の職を失った場合の兄)は、最悪働けない場合のサバイバルプランを今から立てておいたほうがいいだろうと思う
電話が寝入り端にかかってきたせいもあったのか、気がついたら母親と弟に向かってえらい剣幕で怒鳴っていた ここ最近ずっと、家族のことで心配がある→夢見が悪い→介護のことその他で実家の状況がうまく掴めず、フラストレーションが溜まりキレる→自己嫌悪→振り出しに戻る の無限ループをやっていて、電話を切った後にはああ次からはこんなことはしないぞ、と毎回思うのだが、止められた例がない そして昨晩のキレ方は、我ながら尋常ではなかった えっわたし、何をこんなに怒ってるの?と思いながらも止められず、喋っていても怒りで舌がもつれていた
この無限ループを脱するには、現在の実家の状況を自分がどうにかできる、みたいな幻想を完全に捨てなくてはいけないのだろう わたしには少し、いやかなりコントロールフリークの気があるので、こーんな遠くにいながら、自分がしっかりして何とかしないと、とか勝手に思い込みがちなのだが、家族と言っても人格の独立した他人なので、自分の都合通りに動いてくれるわけがない 落ち着いて話して、よくなりそうなことがあればやんわりと提言するくらいの立ち位置でいないと、怒りすぎて人格が崩壊する また家族のためにいつか日本に帰らなくては、みたいな縛りを自分に課すのもやめようと思う これ、自分だけに向けて書いているのだが、本当に、お前が仕切ってできることは何もありません、もうやめなさい 笑
実はanger controlの本も少し前に買ってみたのだけど、時間があるときだけ、寝る前に10分とか飛びとびに読んでいるだけだし、あまり効果も出ていない 理性的思考でとことん怒りをコントロールするというやり方で、古い本だが後のCBTにも影響を与えた考え方らしい 妙に理屈っぽいところのある自分にはあっているといえばあっているのだろうけど、何かものっすごい理性中心主義なので、文学をやっている人間としてはちょっと引いてしまう 笑 それにやっぱりCBTと同じで、頭では自分の怒りが非理性的な思考に基づいていることはわかっても、もっと感情的なレベルでの落としどころはなかなか見えてこない 究極的には、こういった訓練を一人だけでやること自体が不可能なのだと思う CBTにしても、自分では決して見えてこない思考の盲点を他人に指摘されてハッとする、という社会的やりとりの過程そのものがセラピーの根幹を成しているわけで、自分だけで自分の鬱思考をこねくり回したところで、自己分析としてはうまくいっても次同じ状況になった場合につながるものが何もない ああ、またやっちゃったなあ、自分、みたいな認識が毎度あるだけ
あとはまあ、特に仕事やめてから社会生活というものがないままに論文ばかり書いているのもよくないのだと思う 向かう場が自分だけしかないという状況だと、よからぬこともいろいろ考える 生まれてくる子どものことに集中できたらもっと気持ちも上向きになるのだろうけど、今月本当に正念場なので、なかなかそういう余裕もなく。。。しかし、余裕のない親ほどいやなもんはないし、もっと他人のことを考えてハッとする瞬間を多く持たないと、と、そう思って、腹をなでてみる今日この頃。
1.以前から足が悪いのに、家を空けられないといって頑なに手術を拒んでいた母親が、ようやく手術を受ける決心をした
2.この前帰国した時点では確か2か3だった父親の要介護度が、母情報によると最高の5に上がっていた(「障害区分」と言われる指標も別にあって、そっちも5なのだそうで)。。。って、かなり、寝耳に水なんですが。 第一、受けられる介護サービスの月額限度も上がってるわけなのに、サービス内容自体(看護師が一日一時間半訪問、週一で入浴介助サービス)が前と変わっていないのはなぜか?
3.実家の資産状況を把握しておく必要あり(これはつい最近、高齢の親と引きこもりの子のライフプランに関するファイナンシャルプランナーの人が書いた文章を読んで思ったこと)→たとえば父親が亡くなったあと自分にどれくらいの遺産が、といったことはもはやどうでもいいのだが、将来的にまともに社会復帰できない可能性がある弟(あと、今の職を失った場合の兄)は、最悪働けない場合のサバイバルプランを今から立てておいたほうがいいだろうと思う
電話が寝入り端にかかってきたせいもあったのか、気がついたら母親と弟に向かってえらい剣幕で怒鳴っていた ここ最近ずっと、家族のことで心配がある→夢見が悪い→介護のことその他で実家の状況がうまく掴めず、フラストレーションが溜まりキレる→自己嫌悪→振り出しに戻る の無限ループをやっていて、電話を切った後にはああ次からはこんなことはしないぞ、と毎回思うのだが、止められた例がない そして昨晩のキレ方は、我ながら尋常ではなかった えっわたし、何をこんなに怒ってるの?と思いながらも止められず、喋っていても怒りで舌がもつれていた
この無限ループを脱するには、現在の実家の状況を自分がどうにかできる、みたいな幻想を完全に捨てなくてはいけないのだろう わたしには少し、いやかなりコントロールフリークの気があるので、こーんな遠くにいながら、自分がしっかりして何とかしないと、とか勝手に思い込みがちなのだが、家族と言っても人格の独立した他人なので、自分の都合通りに動いてくれるわけがない 落ち着いて話して、よくなりそうなことがあればやんわりと提言するくらいの立ち位置でいないと、怒りすぎて人格が崩壊する また家族のためにいつか日本に帰らなくては、みたいな縛りを自分に課すのもやめようと思う これ、自分だけに向けて書いているのだが、本当に、お前が仕切ってできることは何もありません、もうやめなさい 笑
実はanger controlの本も少し前に買ってみたのだけど、時間があるときだけ、寝る前に10分とか飛びとびに読んでいるだけだし、あまり効果も出ていない 理性的思考でとことん怒りをコントロールするというやり方で、古い本だが後のCBTにも影響を与えた考え方らしい 妙に理屈っぽいところのある自分にはあっているといえばあっているのだろうけど、何かものっすごい理性中心主義なので、文学をやっている人間としてはちょっと引いてしまう 笑 それにやっぱりCBTと同じで、頭では自分の怒りが非理性的な思考に基づいていることはわかっても、もっと感情的なレベルでの落としどころはなかなか見えてこない 究極的には、こういった訓練を一人だけでやること自体が不可能なのだと思う CBTにしても、自分では決して見えてこない思考の盲点を他人に指摘されてハッとする、という社会的やりとりの過程そのものがセラピーの根幹を成しているわけで、自分だけで自分の鬱思考をこねくり回したところで、自己分析としてはうまくいっても次同じ状況になった場合につながるものが何もない ああ、またやっちゃったなあ、自分、みたいな認識が毎度あるだけ
あとはまあ、特に仕事やめてから社会生活というものがないままに論文ばかり書いているのもよくないのだと思う 向かう場が自分だけしかないという状況だと、よからぬこともいろいろ考える 生まれてくる子どものことに集中できたらもっと気持ちも上向きになるのだろうけど、今月本当に正念場なので、なかなかそういう余裕もなく。。。しかし、余裕のない親ほどいやなもんはないし、もっと他人のことを考えてハッとする瞬間を多く持たないと、と、そう思って、腹をなでてみる今日この頃。
9/07/2011
シアトル旅行(1):Panama Hotel
8月末から二泊三日で、夫が学会で発表するのにくっついてシアトルに行ってきた
航空券が恐ろしく高いので最初は留守番の予定だったが、夫が一緒に行く予定だった人がキャンセルして一人だと言うし、子どもが生まれたら当分旅行らしい旅行はできないので、行っておくことにした
シアトルといったら、私的には90年代半ば、ジョディ・フォスターが出演していた森永の「カフェラッテ」のCMが思い出される 「シアトルあたりじゃカフェラッテ」というのがキャッチコピーで、そうか、シアトルあたりじゃこんなコーヒー牛乳飲んでるのか、という刷り込みが、スターバックス進出以前にすでにあったわけだ まあ実際に行ってみても、確かにコーヒーショップは多いことは多い 犬も歩けばスタバに当たるというのは、シアトルでなくてもアメリカの大都市ならどこもそうだが、この町にはそれ以外にもシアトルズベストとかタリーズ(日本にもありますね)とか、その他チェーンでないものも含めてコーヒーショップが目立つ
あとは、そう、日本人的には、イチローとマリナーズだろうか(MLBに興味がないので、セーフコフィールドは特に見に行かず、遠くから眺めただけだった) そんなこんなでシアトルに対する大したイメージも情報も持たないままに旅行に出て、時間もあまりなかったので中心部しか巡らなかったけれど、なかなか楽しい旅行になった
滞在中は、チャイナタウン/インターナショナルディストリクトにある、日本に縁のある不思議宿、Panama Hotelに泊まった B&B形式のヒストリックホテルで、こういうタイプの宿に泊まるのはアメリカに来て初めてである
ここは元々20世紀初頭に当時の日本町に建てられたホテルで、日本からの移民も多く滞在していた さびれ放題だったのを現オーナーであるアメリカ人女性が買い取って、綺麗にして営業しているらしい 30年代に日系移民がinternment camp(強制収容所)に送られた後彼らが残していった品々も、彼女が保管してその一部を展示したり、ホテル地下に残るかつての銭湯のツアーも行っている
写真はホテルの玄関ドア―-6051/2というのが住所なのだが、番地が「半分」というのは、初めて見た 坂の多いシアトルには典型的な、坂道の傾斜を利用して建てられた建物なので、その関係で「半分」になっているのかもしれない ホテルの隣のティーハウスの番地は、半分ではない605だった
宿はB&B形式で、ダブルベッドひとつの部屋が90ドル(人が一人増えるたびに10ドルプラス) シアトルの中心部としては、悪くない値段だと思う(ちなみにチャイナタウンには、ドミトリー形式の安宿もけっこうあって、そういうところに行けばもっと安くは泊まれるだろう ダウンタウンは、基本的に100ドル以下はオンシーズンでは難しい)
夫がこの宿をネットで見つけ、雰囲気に惹かれてぜひ泊まろうという話になったのだが、オンラインレビューを見ると、えらく気に入ってリピートするまでになる人と、最低だという人と、ぱっきり分かれていた 部屋の古さ汚さ云々については、そんなこと言うなら始めからこの手の宿に泊まらなきゃいいのにと思うが、経営者側の営業態度に対する文句は、まあ正直妥当な部分もある
というのも、なにしろこの宿は、スタッフと連絡を取るのがほぼ不可能に近い 笑 オンライン予約のリンクは死んでおり、電話してもつながらないというのが何日も続いたあと、やっと一人のスタッフが電話を取ったが、予約したい、というと、「調べてコンファメーションのためかけ直す」と言って、その後連絡はさっぱりなく 翌日こちらからかけ直すと、「部屋はたくさん空いてるからjust come by.」と え、予約とか、ないんですか?
実際に現地に着いて、かなり不安ながらも宿を探し当てると、一応人がいて(苦笑)チェックインはすることができた しかし、クレジットカード番号、カードの裏の3桁のセキュリティナンバー、免許書の番号など一式を、宿帳という名のただの紙ペラの裏側に書き付けてその辺に放っていたりするので、大丈夫か?という思いはいや増す そして、何人か日替わりで来ているらしい男性スタッフたちは、それぞれ親切ではあったのだが、引継ぎをちゃんとしない上にオーナーの許可がないと何もできないらしかった わたしたちの滞在中はほぼオーナーには出くわさなかったので、結局銭湯なども見て回ることができなかったし、チェックアウト時にレシートをもらうことすらできなかった――というか、チェックアウトしようとしたら、オフィスに誰もいなかった 笑 あとでクレジットカードの使用歴をチェックしたら、二重に引かれているようなことはなかったので、とりあえず安心した
部屋そのものは、築100年以上の建物にしては綺麗だし、居心地がよくて気に入った(写真--キュリアスジョージは備品でなくてうちのです)
強いて難点を挙げるなら、部屋に風呂、シャワーがないことだろうか ヨーロッパの安宿などにはよくあることだが、モーテル主体のアメリカでは珍しいと思う 女性専用のバスルームは「ヨーロッパ風である」と言われ、確かに猫足のバスタブはあったが、シャワーがなくて使いづらいのと、綺麗に掃除されていなかった(あまり女性客がいないので使われないのだろう)ので、もっぱら男女兼用のシャワーを使っていた シャワーはお湯がぬるくて、ああこれは安宿によくあるパターンか、と覚悟したが、10分くらいでまあまあ快適な温度のお湯になった しかしこれは、冬場は辛いだろう
あと夜中にトイレに立ったら、通り道にある誰も泊まっていない部屋が開け放たれて明かりがついていたので、そんな幽霊屋敷みたいな演出はいらない、とは思った 笑
よかったのは、宿泊客は併設のティーハウスで無料で朝ごはんを食べられるところ(好きな飲み物とデーニッシュやケーキ類ひとつ選べる 飲み物は、ほうじ茶緑茶などもある) このティーハウスは日本町の古い写真なども飾られて、ちょっとしたギャラリーのようになっている
結論としては、古いのと働いている人たちがあんまりプロフェッショナルでないのを気にしない人なら、楽しめるホテルだと思う
航空券が恐ろしく高いので最初は留守番の予定だったが、夫が一緒に行く予定だった人がキャンセルして一人だと言うし、子どもが生まれたら当分旅行らしい旅行はできないので、行っておくことにした
シアトルといったら、私的には90年代半ば、ジョディ・フォスターが出演していた森永の「カフェラッテ」のCMが思い出される 「シアトルあたりじゃカフェラッテ」というのがキャッチコピーで、そうか、シアトルあたりじゃこんなコーヒー牛乳飲んでるのか、という刷り込みが、スターバックス進出以前にすでにあったわけだ まあ実際に行ってみても、確かにコーヒーショップは多いことは多い 犬も歩けばスタバに当たるというのは、シアトルでなくてもアメリカの大都市ならどこもそうだが、この町にはそれ以外にもシアトルズベストとかタリーズ(日本にもありますね)とか、その他チェーンでないものも含めてコーヒーショップが目立つ
あとは、そう、日本人的には、イチローとマリナーズだろうか(MLBに興味がないので、セーフコフィールドは特に見に行かず、遠くから眺めただけだった) そんなこんなでシアトルに対する大したイメージも情報も持たないままに旅行に出て、時間もあまりなかったので中心部しか巡らなかったけれど、なかなか楽しい旅行になった
滞在中は、チャイナタウン/インターナショナルディストリクトにある、日本に縁のある不思議宿、Panama Hotelに泊まった B&B形式のヒストリックホテルで、こういうタイプの宿に泊まるのはアメリカに来て初めてである
ここは元々20世紀初頭に当時の日本町に建てられたホテルで、日本からの移民も多く滞在していた さびれ放題だったのを現オーナーであるアメリカ人女性が買い取って、綺麗にして営業しているらしい 30年代に日系移民がinternment camp(強制収容所)に送られた後彼らが残していった品々も、彼女が保管してその一部を展示したり、ホテル地下に残るかつての銭湯のツアーも行っている
写真はホテルの玄関ドア―-6051/2というのが住所なのだが、番地が「半分」というのは、初めて見た 坂の多いシアトルには典型的な、坂道の傾斜を利用して建てられた建物なので、その関係で「半分」になっているのかもしれない ホテルの隣のティーハウスの番地は、半分ではない605だった
宿はB&B形式で、ダブルベッドひとつの部屋が90ドル(人が一人増えるたびに10ドルプラス) シアトルの中心部としては、悪くない値段だと思う(ちなみにチャイナタウンには、ドミトリー形式の安宿もけっこうあって、そういうところに行けばもっと安くは泊まれるだろう ダウンタウンは、基本的に100ドル以下はオンシーズンでは難しい)
夫がこの宿をネットで見つけ、雰囲気に惹かれてぜひ泊まろうという話になったのだが、オンラインレビューを見ると、えらく気に入ってリピートするまでになる人と、最低だという人と、ぱっきり分かれていた 部屋の古さ汚さ云々については、そんなこと言うなら始めからこの手の宿に泊まらなきゃいいのにと思うが、経営者側の営業態度に対する文句は、まあ正直妥当な部分もある
というのも、なにしろこの宿は、スタッフと連絡を取るのがほぼ不可能に近い 笑 オンライン予約のリンクは死んでおり、電話してもつながらないというのが何日も続いたあと、やっと一人のスタッフが電話を取ったが、予約したい、というと、「調べてコンファメーションのためかけ直す」と言って、その後連絡はさっぱりなく 翌日こちらからかけ直すと、「部屋はたくさん空いてるからjust come by.」と え、予約とか、ないんですか?
実際に現地に着いて、かなり不安ながらも宿を探し当てると、一応人がいて(苦笑)チェックインはすることができた しかし、クレジットカード番号、カードの裏の3桁のセキュリティナンバー、免許書の番号など一式を、宿帳という名のただの紙ペラの裏側に書き付けてその辺に放っていたりするので、大丈夫か?という思いはいや増す そして、何人か日替わりで来ているらしい男性スタッフたちは、それぞれ親切ではあったのだが、引継ぎをちゃんとしない上にオーナーの許可がないと何もできないらしかった わたしたちの滞在中はほぼオーナーには出くわさなかったので、結局銭湯なども見て回ることができなかったし、チェックアウト時にレシートをもらうことすらできなかった――というか、チェックアウトしようとしたら、オフィスに誰もいなかった 笑 あとでクレジットカードの使用歴をチェックしたら、二重に引かれているようなことはなかったので、とりあえず安心した
部屋そのものは、築100年以上の建物にしては綺麗だし、居心地がよくて気に入った(写真--キュリアスジョージは備品でなくてうちのです)
強いて難点を挙げるなら、部屋に風呂、シャワーがないことだろうか ヨーロッパの安宿などにはよくあることだが、モーテル主体のアメリカでは珍しいと思う 女性専用のバスルームは「ヨーロッパ風である」と言われ、確かに猫足のバスタブはあったが、シャワーがなくて使いづらいのと、綺麗に掃除されていなかった(あまり女性客がいないので使われないのだろう)ので、もっぱら男女兼用のシャワーを使っていた シャワーはお湯がぬるくて、ああこれは安宿によくあるパターンか、と覚悟したが、10分くらいでまあまあ快適な温度のお湯になった しかしこれは、冬場は辛いだろう
あと夜中にトイレに立ったら、通り道にある誰も泊まっていない部屋が開け放たれて明かりがついていたので、そんな幽霊屋敷みたいな演出はいらない、とは思った 笑
よかったのは、宿泊客は併設のティーハウスで無料で朝ごはんを食べられるところ(好きな飲み物とデーニッシュやケーキ類ひとつ選べる 飲み物は、ほうじ茶緑茶などもある) このティーハウスは日本町の古い写真なども飾られて、ちょっとしたギャラリーのようになっている
結論としては、古いのと働いている人たちがあんまりプロフェッショナルでないのを気にしない人なら、楽しめるホテルだと思う
8/26/2011
バナナプディング
昨日は夫の誕生日だったので、車で2時間ほどのSt George Islandという小さな島に泳ぎに行った
ここはわたしたち夫婦の行きつけで、いつもは島についてすぐのところにあるパブリックビーチに行くのだが、今回は特別に6ドル払って外れにあるステートパークに行ったら、きれいで、人もほとんどいなくてすごく良かった いつもビーチには盗られたらいやだからカメラは持っていかないのだが、この日は平日で学校が始まる時期ということもあってか人出がほぼないような状態だったので、持っていって写真を撮ればよかったと思う 帰ってきたあとは、夫のリクエストにより、から揚げとマカロニサラダ、味噌汁の晩御飯 それから、昨日から下準備しておいたバナナプディングをバースデーケーキの代わりに出した
バナナプディングというのもたぶん南部のデザートだと思う 夫が子どもの頃、誕生日にはおばあさんに何でも好きなデザートを作ってもらうことができたそうで、いつもバナナプディングをリクエストしたという そういう話はいつもしてもらっていて、ひょっとして作れというプレッシャーがかかっているのかとも思いつつ、もともとお菓子作りあまりしないわたしは放置していたのだった 笑 今回は、いつも誕生日にあまり大したことをしてあげなくて不憫に思っていたので、作ってあげることにした
といっても、見かけがどういうものかというところからわからなかったのだが、この前アラバマのバイユーラバトリーで入ったレストランでちょっとだけ食べたので、その記憶を元に見よう見真似で、最終的にはこのレシピを使って作ってみた プディングというよりは、カスタードクリームにバナナと、バニラウェハースと呼ばれるクッキー(下の写真に写っている真ん丸いもの)を崩して入れたお菓子、という感じだ
夫はお愛想か今まで食べたバナナプディングでおいしいと言ってくれた(いや、たぶんおばあさんのやつの方がうまいだろう)が、これが何しろ甘い 脳が損傷を受けるんじゃないかというぐらいの強烈な甘さだ
もちろん南部のデザートは甘くてなんぼ バタークリームたっぷりのバースデーケーキなどは全然好きでないわたしだが、ケーキでないこの手のデザートなら、何となく食べてしまえるほうだ とは言え、作りすぎて大量に残ってしまった
糖尿の検査を再来週に控えているので、本当なら甘いものは控えたいところだが、あと3、4日は夫婦ふたりでこれを食べ続けることになりそうだ ジャンクフードと甘いものが好きな隣人にも密かに処理班になってもらおうと期待していたが、昨夜食べさせたら、「実はフルーツ全部にアレルギーがある」と言って、あまり食べなかった えっ、フルーツ全部?それアレルギーとかじゃなくて偏食なだけだろ、とも思ったが、食べられないもんは仕方がない
まあ夫に喜んでもらえたのでよしとして、黙々と残りを食べよう
ここはわたしたち夫婦の行きつけで、いつもは島についてすぐのところにあるパブリックビーチに行くのだが、今回は特別に6ドル払って外れにあるステートパークに行ったら、きれいで、人もほとんどいなくてすごく良かった いつもビーチには盗られたらいやだからカメラは持っていかないのだが、この日は平日で学校が始まる時期ということもあってか人出がほぼないような状態だったので、持っていって写真を撮ればよかったと思う 帰ってきたあとは、夫のリクエストにより、から揚げとマカロニサラダ、味噌汁の晩御飯 それから、昨日から下準備しておいたバナナプディングをバースデーケーキの代わりに出した
バナナプディングというのもたぶん南部のデザートだと思う 夫が子どもの頃、誕生日にはおばあさんに何でも好きなデザートを作ってもらうことができたそうで、いつもバナナプディングをリクエストしたという そういう話はいつもしてもらっていて、ひょっとして作れというプレッシャーがかかっているのかとも思いつつ、もともとお菓子作りあまりしないわたしは放置していたのだった 笑 今回は、いつも誕生日にあまり大したことをしてあげなくて不憫に思っていたので、作ってあげることにした
といっても、見かけがどういうものかというところからわからなかったのだが、この前アラバマのバイユーラバトリーで入ったレストランでちょっとだけ食べたので、その記憶を元に見よう見真似で、最終的にはこのレシピを使って作ってみた プディングというよりは、カスタードクリームにバナナと、バニラウェハースと呼ばれるクッキー(下の写真に写っている真ん丸いもの)を崩して入れたお菓子、という感じだ
夫はお愛想か今まで食べたバナナプディングでおいしいと言ってくれた(いや、たぶんおばあさんのやつの方がうまいだろう)が、これが何しろ甘い 脳が損傷を受けるんじゃないかというぐらいの強烈な甘さだ
もちろん南部のデザートは甘くてなんぼ バタークリームたっぷりのバースデーケーキなどは全然好きでないわたしだが、ケーキでないこの手のデザートなら、何となく食べてしまえるほうだ とは言え、作りすぎて大量に残ってしまった
糖尿の検査を再来週に控えているので、本当なら甘いものは控えたいところだが、あと3、4日は夫婦ふたりでこれを食べ続けることになりそうだ ジャンクフードと甘いものが好きな隣人にも密かに処理班になってもらおうと期待していたが、昨夜食べさせたら、「実はフルーツ全部にアレルギーがある」と言って、あまり食べなかった えっ、フルーツ全部?それアレルギーとかじゃなくて偏食なだけだろ、とも思ったが、食べられないもんは仕方がない
まあ夫に喜んでもらえたのでよしとして、黙々と残りを食べよう
8/21/2011
ジョージアピーチをなめてはいけない
ジョージアといえばピーチ、ピーチといえばジョージアというくらい、桃はこの州でも一番の特産物である 黄桃で、この辺のスーパーではフレッシュなものも安く手に入る
わたしは今まで、この桃は大したことなくて、日本の白桃の方がおいしいんじゃないかね、などと言っては、夫(この人はジョージア州の高校を出たので桃には一家言ある)にジョージアピーチをなめるんじゃないと言われていた
ところが最近、行きつけのウォルマートの商品管理のひどさとレジ前のカオスっぷり(人の配置の仕方がめちゃくちゃなので、いつもレジ前に人が足りなくて行列になっている)に耐えかねて、行くのをやめた それで、近所のWinn Dixieという別のスーパーに行って、たまたまジョージアピーチが出ていたので買ってみたら、これがもう何じゃこりゃあと叫んでしまうぐらいうまかった
つまり、ジョージアピーチがおいしくないのではなくて、わたしがおいしいジョージアピーチを食べたことがないだけだったのだ ウォルマートにはあっても硬くて小ぶりのものしかおいてないし、そもそもカリフォルニア産が多くてジョージアピーチ自体なかなか見つからないことが多かったからだ 勝手な思い込みで決め付けてはいけないと、桃に誓って書いておく
思い込みといえば、わたしが住んでいる地域の日本人の人たちはウォルマートに対するネガティブバイアスが強い 確かにうちの近所のウォルマートは上記のような問題があるのだが、市内にはほかにも新しくてきれいなウォルマートもあるし、わたしがミシシッピに住んでいたときは、ウォルマートは町に二軒しかないスーパーのうちの二軒だったから、誰もが買い物に行くし、経営戦略(店員を最低賃金で酷使するので結局社員教育もへったくれもなくなってしまう、中国のスウェットショップで安物を大量生産しているetc)にまつわるネガティブなイメージは別として、特に店そのものを悪くいうような人はあまりいなかった(実際そこの店舗はいろんな点でこの前までわたしが行っていたところよりしっかりしていた)
ところがここでは、ウォルマートそのものをものすごく馬鹿にしていて、話を聞いていると要は貧乏人(i.e.黒人とメキシカン)が行く店では買い物したくないと言っているようにしか思えない人がいるので、一体何なんだろうと思う 品物がものすごくいいとは言えないし、他にも色々と選択肢があるので別の店(PublixなりWinn Dixieなり)に行くというのなら話はわかるのだが、そこに人種にまつわる余計な一言を無神経に添えてくる人たちがいる これはスーパーのことだけでなくて、何でもそうだ もちろん日本人の人が皆そうだと言っているのではないのだが、ここでわたしが日本人の人たちとほとんど交流がないのは、そういう種類の人たちを避けて通ってきた結果でもある
腹立ちついでに書いてしまうが、一度わたしが日本にいるときから知っている人が、「黒人は働かない」ということを真顔で言ったので、本当に驚いたことがあった というのも、わたしはこの古典的なステレオタイプであるところの文句が、19世紀のプランテーションノベルとかでなく実際に21世紀に生きている人の口から発話されるのを、アメリカに来てから二回しか聞いたことがないからだ 一度目は、ミシシッピの初老の白人男性だった 一緒に車に乗っているとき、"Let me tell you a secret..."というから何事かと思ったら、"Black people are lazy." と彼は言ったのだ この人は日本人留学生であるわたしには終始大変親切で、個人的に向こうに行ってから色々と世話にもなったのだが、二言目にはこの手の発言をする人だったので、わたしは決して心を開く気にはなれなかった
やはり、ジョージアピーチをなめてはいけないと思う
おばあさんにもらったBest of the Best Mississippi Cookbookという本のレシピでピーチコブラーを作ったらおいしかったので、下に記しておく
めんどくさがりのピーチコブラー(Lazy Peach Cobbler)
砂糖 1カップ(アメリカの1カップは240mlぐらい)
セルフライジングフラワー 1カップ
牛乳 1カップ
バニラエッセンス 小さじ1
バター スティック一本分(たぶん日本に売っているバターを縦半分に切ったぐらい)
桃 10個(黄桃がよい 実は10個はちょっと多い気もするので、8個ぐらいでもいいかもしれない)
材料を全部混ぜ、油を引いた耐熱容器に入れ、皮を剥いて細かく切った桃を上に載せ、350 F(176℃)に余熱したオーブンで一時間ぐらい焼く レシピには45分とあるが、やってみたらもう少しかかった
生地が桃の上に上がってきて、焦げ目がついたらできあがり あんまり焼きすぎて普通のケーキみたいになるより、ある程度しっとりとした状態で止めた方がよい
バニラアイスクリームを載せて食べるのがおいしい
熟れすぎた桃でも、こうしてコブラーにするとおいしく食べられる
わたしは今まで、この桃は大したことなくて、日本の白桃の方がおいしいんじゃないかね、などと言っては、夫(この人はジョージア州の高校を出たので桃には一家言ある)にジョージアピーチをなめるんじゃないと言われていた
ところが最近、行きつけのウォルマートの商品管理のひどさとレジ前のカオスっぷり(人の配置の仕方がめちゃくちゃなので、いつもレジ前に人が足りなくて行列になっている)に耐えかねて、行くのをやめた それで、近所のWinn Dixieという別のスーパーに行って、たまたまジョージアピーチが出ていたので買ってみたら、これがもう何じゃこりゃあと叫んでしまうぐらいうまかった
つまり、ジョージアピーチがおいしくないのではなくて、わたしがおいしいジョージアピーチを食べたことがないだけだったのだ ウォルマートにはあっても硬くて小ぶりのものしかおいてないし、そもそもカリフォルニア産が多くてジョージアピーチ自体なかなか見つからないことが多かったからだ 勝手な思い込みで決め付けてはいけないと、桃に誓って書いておく
思い込みといえば、わたしが住んでいる地域の日本人の人たちはウォルマートに対するネガティブバイアスが強い 確かにうちの近所のウォルマートは上記のような問題があるのだが、市内にはほかにも新しくてきれいなウォルマートもあるし、わたしがミシシッピに住んでいたときは、ウォルマートは町に二軒しかないスーパーのうちの二軒だったから、誰もが買い物に行くし、経営戦略(店員を最低賃金で酷使するので結局社員教育もへったくれもなくなってしまう、中国のスウェットショップで安物を大量生産しているetc)にまつわるネガティブなイメージは別として、特に店そのものを悪くいうような人はあまりいなかった(実際そこの店舗はいろんな点でこの前までわたしが行っていたところよりしっかりしていた)
ところがここでは、ウォルマートそのものをものすごく馬鹿にしていて、話を聞いていると要は貧乏人(i.e.黒人とメキシカン)が行く店では買い物したくないと言っているようにしか思えない人がいるので、一体何なんだろうと思う 品物がものすごくいいとは言えないし、他にも色々と選択肢があるので別の店(PublixなりWinn Dixieなり)に行くというのなら話はわかるのだが、そこに人種にまつわる余計な一言を無神経に添えてくる人たちがいる これはスーパーのことだけでなくて、何でもそうだ もちろん日本人の人が皆そうだと言っているのではないのだが、ここでわたしが日本人の人たちとほとんど交流がないのは、そういう種類の人たちを避けて通ってきた結果でもある
腹立ちついでに書いてしまうが、一度わたしが日本にいるときから知っている人が、「黒人は働かない」ということを真顔で言ったので、本当に驚いたことがあった というのも、わたしはこの古典的なステレオタイプであるところの文句が、19世紀のプランテーションノベルとかでなく実際に21世紀に生きている人の口から発話されるのを、アメリカに来てから二回しか聞いたことがないからだ 一度目は、ミシシッピの初老の白人男性だった 一緒に車に乗っているとき、"Let me tell you a secret..."というから何事かと思ったら、"Black people are lazy." と彼は言ったのだ この人は日本人留学生であるわたしには終始大変親切で、個人的に向こうに行ってから色々と世話にもなったのだが、二言目にはこの手の発言をする人だったので、わたしは決して心を開く気にはなれなかった
やはり、ジョージアピーチをなめてはいけないと思う
おばあさんにもらったBest of the Best Mississippi Cookbookという本のレシピでピーチコブラーを作ったらおいしかったので、下に記しておく
めんどくさがりのピーチコブラー(Lazy Peach Cobbler)
砂糖 1カップ(アメリカの1カップは240mlぐらい)
セルフライジングフラワー 1カップ
牛乳 1カップ
バニラエッセンス 小さじ1
バター スティック一本分(たぶん日本に売っているバターを縦半分に切ったぐらい)
桃 10個(黄桃がよい 実は10個はちょっと多い気もするので、8個ぐらいでもいいかもしれない)
材料を全部混ぜ、油を引いた耐熱容器に入れ、皮を剥いて細かく切った桃を上に載せ、350 F(176℃)に余熱したオーブンで一時間ぐらい焼く レシピには45分とあるが、やってみたらもう少しかかった
生地が桃の上に上がってきて、焦げ目がついたらできあがり あんまり焼きすぎて普通のケーキみたいになるより、ある程度しっとりとした状態で止めた方がよい
バニラアイスクリームを載せて食べるのがおいしい
熟れすぎた桃でも、こうしてコブラーにするとおいしく食べられる
8/15/2011
アラバマの夏休み
10日ほど、夫の両親の家があるアラバマに行っていた
両親はふだん韓国に住んでいて、夏休みにこちらに戻ってきていたが、お母さんの方は早めにこちらを経って夫の姉が住むカリフォルニアに行き、わたしたちが訪れたときはお父さんひとりだった
夫とお父さんはおもに庭仕事(家が建ったばかりで何もないので、土をならしたり草を刈ったり) をして過ごし、わたしはなんだか洗濯ばかりしていたようだ でも、久しぶりに生産的なことを何もしないで、いい息抜きになった
ある日は、家のある場所からMobile湾を挟んで向かい側にある、Bayou La Batre (バイユーラバトリーと発音する)という小さな漁村まで三人で出かけた(地図参照)
View Larger Map
ルイジアナだけでなく、メキシコ湾岸のミシシッピとアラバマにもフランス人が建てた町は多く、ここやMobileもそのひとつだ 映画「フォレスト・ガンプ」でババ・ガンプ・シュリンプ株式会社が設立されたのは、このBayou La Batreという設定ということだ(日本で見たときは意識してなかったが、フォレスト・ガンプはアラバマ出身なのである 実際にこの漁村には原作者の一族であるGump家というのがあって、夫の母方の一族と遠い親戚にあたるんだそうだ)
ここは一見、ただの南部の小さな田舎町なのだが、ヴェトナム戦争後は飛躍的にヴェトナム系移民が増えたという それから驚いたことに、統一教会(Unification Churchと英語では言う)の建物があった お父さんによると、70年代ごろアメリカの若者がカルト一般に強い興味を持っていた頃に、信徒を増やしたという
ここに来た目当てはお父さんが30年ほど前に来たことがあるというシーフードレストランだったが、たどり着くとつぶれていた ガスステーションで地元の人に話を聞くと、カトリーナの影響で閉店に追い込まれたという 残念だったが別の店でなんとか昼食を取ることができ、いちおうエビも食べた その後は、少し離れたDauphine Islandという島まで車を走らせ、そこから車ごとフェリーに乗って湾の反対側に戻った
ところでいつもなら、アラバマの家にはおばあさん(夫のお父さんのお母さん)がいるのだが、なんかかんかで機嫌を損ねて、ミシシッピの自分の家に帰ってしまったらしい もう帰ってこないでミシシッピにずっといる、と言っているのだが、どうなるだろうか
夫とお父さんに言わせると、この騒動の陰には、今ミシシッピに滞在している彼女のきょうだいのメアリーおばさんという人がどうも絡んでいるのではないかということだ メアリーおばさんという人はふだん南フロリダに住んでいてわたしは会ったことがないが、トラブルメーカーなのでおばあさんに何か吹き込んだかもしれないという
メアリーおばさんは、おばあさんときょうだいなのだが、ひとつも似ているところはないと夫とお父さんはいう
主な特徴は
1.声がでかい
2.いつも酔っ払っていて鬱陶しい(ちなみにおばあさんは酒を一滴も飲まず、自分の目の前では誰にも飲ませない)
3.たまに酔っ払ってないときも素で鬱陶しい
ということだ
一度お父さんがミシシッピで彼女をイタリアンレストランに連れて行ったときは、店内の他の客と店員全員に間違いなく聞こえるであろう大声でこう言ったという:"This ain't no Ai-talian restaurant!!!! This place must be run by damn Jews from Miama!!!!" (メアリーおばさんは、MiamiをMiamaと発音するのが洗練された言い方だと思っているらしい) その場に同席した家族全員いたたまれない気持ちになったであろうことは間違いない また別の機会に、お父さんがHolly Springsというミシシッピの田舎町に彼女を連れて行ったときには、通りを歩いている黒人を見て、再びものすごくでかい声で、"Look at her!!!!! She must be from Africa!!!!"と。。。
南部に暮らしていると、たまーにこういう、Flannery O'Connorの小説から飛び出してきたような、存在自体が悪い冗談みたいな老人に出会うものだ ちょっと怖いもの見たさで会ってみたい気もするのだが、夫にそういったら、俺はもう全然会いたくないし、そんな南部研究的に面白い人物でも何でもなくて、単にうざいだけなのでやめとけ、ということだった 笑
両親はふだん韓国に住んでいて、夏休みにこちらに戻ってきていたが、お母さんの方は早めにこちらを経って夫の姉が住むカリフォルニアに行き、わたしたちが訪れたときはお父さんひとりだった
夫とお父さんはおもに庭仕事(家が建ったばかりで何もないので、土をならしたり草を刈ったり) をして過ごし、わたしはなんだか洗濯ばかりしていたようだ でも、久しぶりに生産的なことを何もしないで、いい息抜きになった
ある日は、家のある場所からMobile湾を挟んで向かい側にある、Bayou La Batre (バイユーラバトリーと発音する)という小さな漁村まで三人で出かけた(地図参照)
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ルイジアナだけでなく、メキシコ湾岸のミシシッピとアラバマにもフランス人が建てた町は多く、ここやMobileもそのひとつだ 映画「フォレスト・ガンプ」でババ・ガンプ・シュリンプ株式会社が設立されたのは、このBayou La Batreという設定ということだ(日本で見たときは意識してなかったが、フォレスト・ガンプはアラバマ出身なのである 実際にこの漁村には原作者の一族であるGump家というのがあって、夫の母方の一族と遠い親戚にあたるんだそうだ)
ここは一見、ただの南部の小さな田舎町なのだが、ヴェトナム戦争後は飛躍的にヴェトナム系移民が増えたという それから驚いたことに、統一教会(Unification Churchと英語では言う)の建物があった お父さんによると、70年代ごろアメリカの若者がカルト一般に強い興味を持っていた頃に、信徒を増やしたという
ここに来た目当てはお父さんが30年ほど前に来たことがあるというシーフードレストランだったが、たどり着くとつぶれていた ガスステーションで地元の人に話を聞くと、カトリーナの影響で閉店に追い込まれたという 残念だったが別の店でなんとか昼食を取ることができ、いちおうエビも食べた その後は、少し離れたDauphine Islandという島まで車を走らせ、そこから車ごとフェリーに乗って湾の反対側に戻った
ところでいつもなら、アラバマの家にはおばあさん(夫のお父さんのお母さん)がいるのだが、なんかかんかで機嫌を損ねて、ミシシッピの自分の家に帰ってしまったらしい もう帰ってこないでミシシッピにずっといる、と言っているのだが、どうなるだろうか
夫とお父さんに言わせると、この騒動の陰には、今ミシシッピに滞在している彼女のきょうだいのメアリーおばさんという人がどうも絡んでいるのではないかということだ メアリーおばさんという人はふだん南フロリダに住んでいてわたしは会ったことがないが、トラブルメーカーなのでおばあさんに何か吹き込んだかもしれないという
メアリーおばさんは、おばあさんときょうだいなのだが、ひとつも似ているところはないと夫とお父さんはいう
主な特徴は
1.声がでかい
2.いつも酔っ払っていて鬱陶しい(ちなみにおばあさんは酒を一滴も飲まず、自分の目の前では誰にも飲ませない)
3.たまに酔っ払ってないときも素で鬱陶しい
ということだ
一度お父さんがミシシッピで彼女をイタリアンレストランに連れて行ったときは、店内の他の客と店員全員に間違いなく聞こえるであろう大声でこう言ったという:"This ain't no Ai-talian restaurant!!!! This place must be run by damn Jews from Miama!!!!" (メアリーおばさんは、MiamiをMiamaと発音するのが洗練された言い方だと思っているらしい) その場に同席した家族全員いたたまれない気持ちになったであろうことは間違いない また別の機会に、お父さんがHolly Springsというミシシッピの田舎町に彼女を連れて行ったときには、通りを歩いている黒人を見て、再びものすごくでかい声で、"Look at her!!!!! She must be from Africa!!!!"と。。。
南部に暮らしていると、たまーにこういう、Flannery O'Connorの小説から飛び出してきたような、存在自体が悪い冗談みたいな老人に出会うものだ ちょっと怖いもの見たさで会ってみたい気もするのだが、夫にそういったら、俺はもう全然会いたくないし、そんな南部研究的に面白い人物でも何でもなくて、単にうざいだけなのでやめとけ、ということだった 笑
7/29/2011
軌道修正
夫が応募していた奨学金、ダメだったとのこと
震災の影響で文科省が予算組み直したのか何なのか事情はよくわからないが、領事館から何人推薦できるかわからないと言われ、ひと月以上待たされたあげくのことなので、正直ふざけるなという感じだ 希望受け入れ先機関は社会科学系のかなりよさそうな実験施設があるところで、そこのディレクターの人からも、奨学金もらえたら来てもいいよという承諾ももらっていたので、ああ~なんだか勿体無い
夫婦ともに、今住んでいるところにややうんざりしているので、まだここに当分いると思うと落胆は大きい
日本でもアメリカでもどっちでもいいから引っ越したかったし、要はふたりとも大学院生という非生産的な身分にもう飽き飽きしていて、さっさと人生の次のステージに移りたいという気持ちが強いのだと思う
夫はまだ3年目の終わりなのでいいけれど、日本で実験が組めないとなると博論の計画自体練り直さなければいけなくなるので、大変だろう まあ、リサーチグラントとかもらえたら短期で日本に行って実験することは不可能ではないのだろうけどね
自分に関しては、本当にいつまでこんなことやってんだ、という感じだ いい加減フルタイムで働いて学んだことを社会に還元したいし、学生ローンの借金もサクサク返したい
出産から間もなくアラバマに引っ越すことも考えて動いていたので、なんだか予定が狂わされたようだが、これもとっとと博論を書き上げろということなんだと受け取って、粛々と作業するしかないわ
実を言うと、日本に住んだら図書館に本が全然なくて、Interlibrary Loanも機能していなくてイヤだなあ、とは思っていたので、自腹で本買わなくても、資料を好きなだけ使って書くための時間を余分にもらったんだと思って、できることはできるうちに、をモットーに頑張ろう。。。
出産までに、何とか2章分書き上げるのが目標!
震災の影響で文科省が予算組み直したのか何なのか事情はよくわからないが、領事館から何人推薦できるかわからないと言われ、ひと月以上待たされたあげくのことなので、正直ふざけるなという感じだ 希望受け入れ先機関は社会科学系のかなりよさそうな実験施設があるところで、そこのディレクターの人からも、奨学金もらえたら来てもいいよという承諾ももらっていたので、ああ~なんだか勿体無い
夫婦ともに、今住んでいるところにややうんざりしているので、まだここに当分いると思うと落胆は大きい
日本でもアメリカでもどっちでもいいから引っ越したかったし、要はふたりとも大学院生という非生産的な身分にもう飽き飽きしていて、さっさと人生の次のステージに移りたいという気持ちが強いのだと思う
夫はまだ3年目の終わりなのでいいけれど、日本で実験が組めないとなると博論の計画自体練り直さなければいけなくなるので、大変だろう まあ、リサーチグラントとかもらえたら短期で日本に行って実験することは不可能ではないのだろうけどね
自分に関しては、本当にいつまでこんなことやってんだ、という感じだ いい加減フルタイムで働いて学んだことを社会に還元したいし、学生ローンの借金もサクサク返したい
出産から間もなくアラバマに引っ越すことも考えて動いていたので、なんだか予定が狂わされたようだが、これもとっとと博論を書き上げろということなんだと受け取って、粛々と作業するしかないわ
実を言うと、日本に住んだら図書館に本が全然なくて、Interlibrary Loanも機能していなくてイヤだなあ、とは思っていたので、自腹で本買わなくても、資料を好きなだけ使って書くための時間を余分にもらったんだと思って、できることはできるうちに、をモットーに頑張ろう。。。
出産までに、何とか2章分書き上げるのが目標!
7/19/2011
なでしこジャパン
すごい逆転劇だった!
わたしも、いろんな意味で起死回生を狙いたいものだ
試合開始は日本時間では早朝だったようだが、こちらの時間では午後2時半と見やすい時間
うちにはテレビがない プラス安く酒を飲みながら見たい人(夫)もいるとくれば、あそこにいくしかない。。。
というわけで向かったのは行きつけのメキシカンレストランだった
ウェイターの兄ちゃんの、なんでコパ・アメリカ見ないで女のワールドカップなんか見てんの的な視線に耐えつつ、パティオ席に陣取る わたしたち夫婦に加え、主に夫の学科の友達とかそのまた友達、ガールフレンドなど、日本人1、アメリカ人6、ドイツ人1、トルコ人1、ルーマニア人1という構成 たいがいみんなアメリカが勝つ方に賭けていたが、うちの夫のなんでやねんぐらいエモーショナルな応援の甲斐あってか?日本がPK戦を制した めでたいことだ
結局2時くらいに席についてて、8時くらいまでいた気がする
みんな2 for 1 ビールとマルガリータで酔っ払いすぎて、ぐだぐだになる(こういうとき、自分だけ飲めないことのつまらなさよ)
話の流れで、夫の友人Sがわたしのためにベイビーシャワーをやってくれることになった ベイビーシャワーというのは、主に女性が参加して妊婦の友達のためにプレゼントを買ってあげるパーティーみたいなものなのだが、はっきりいって自分にもSにもぜーんぜん似つかわしくないイベントである Sはレズビアンで自分では子どもを持つ予定がないのだが、最近自分の中で赤ちゃんブーム?らしくて、こういうことがやりたくて仕方がないそうだ Sの企画ならレズビアンと酔っ払いしか来ない非コンベンショナルなシャワーになるんだろうな、わたしはそっちで全然構わないと思ったら、意外にシャワーはシャワーで女性だけでちゃんとやって、第二部から男性も入れて酒も飲めるようにする、とかいろいろ考えているのだそうだ
話の流れで、Sを娘のゴッドマザーにすることにも決まる(うちの夫はカトリックで、一応ゴッドペアレンツを誰にするかいろいろ考えていたところ) Sはお父さんがトルコ系なのだが、お母さんがコロンビア系なので、一応定義上カトリックとして育てられたという なんだちょうどいいじゃん!S本人は、あたしキリスト信じてないんだけど、いい?とか言っていたが、いいんです!ついでに話の流れで隣に座っていたAがゴッドファーザーになる てかAはムスリムなんですけど、いいんですか?いいんです!(多分、いいんです。。。少なくともゴッドペアレンツの一人がカトリックであれば定義上は。。。てかそんな事を言えば、親のわたしがそもそもクリスチャンじゃない)
わたしたち夫婦にもしものことがあれば、SとAが娘を引き取ることになる(まあ別に法的拘束力があるわけじゃないのだが) そうなったら、体育会系のふたりは娘をアスリートにすることに人生を捧げるだろう まだわたしら死んでないのに、ふたりはすでにその話題で盛り上がっていた
調子を崩しがちだったり、根詰めて作業しているときは人に会いたくないと思うこともあって、わたしはこの町ではかなり孤独に暮らしているのだが、こういう人たちが周りにいてくれて本当によかったと思う しかし、ベイビーシャワー、日ごろの不義理がたたってか、来てくれそうな人がまったく思い浮かばない 友達いなさすぎだな自分 笑
わたしも、いろんな意味で起死回生を狙いたいものだ
試合開始は日本時間では早朝だったようだが、こちらの時間では午後2時半と見やすい時間
うちにはテレビがない プラス安く酒を飲みながら見たい人(夫)もいるとくれば、あそこにいくしかない。。。
というわけで向かったのは行きつけのメキシカンレストランだった
ウェイターの兄ちゃんの、なんでコパ・アメリカ見ないで女のワールドカップなんか見てんの的な視線に耐えつつ、パティオ席に陣取る わたしたち夫婦に加え、主に夫の学科の友達とかそのまた友達、ガールフレンドなど、日本人1、アメリカ人6、ドイツ人1、トルコ人1、ルーマニア人1という構成 たいがいみんなアメリカが勝つ方に賭けていたが、うちの夫のなんでやねんぐらいエモーショナルな応援の甲斐あってか?日本がPK戦を制した めでたいことだ
結局2時くらいに席についてて、8時くらいまでいた気がする
みんな2 for 1 ビールとマルガリータで酔っ払いすぎて、ぐだぐだになる(こういうとき、自分だけ飲めないことのつまらなさよ)
話の流れで、夫の友人Sがわたしのためにベイビーシャワーをやってくれることになった ベイビーシャワーというのは、主に女性が参加して妊婦の友達のためにプレゼントを買ってあげるパーティーみたいなものなのだが、はっきりいって自分にもSにもぜーんぜん似つかわしくないイベントである Sはレズビアンで自分では子どもを持つ予定がないのだが、最近自分の中で赤ちゃんブーム?らしくて、こういうことがやりたくて仕方がないそうだ Sの企画ならレズビアンと酔っ払いしか来ない非コンベンショナルなシャワーになるんだろうな、わたしはそっちで全然構わないと思ったら、意外にシャワーはシャワーで女性だけでちゃんとやって、第二部から男性も入れて酒も飲めるようにする、とかいろいろ考えているのだそうだ
話の流れで、Sを娘のゴッドマザーにすることにも決まる(うちの夫はカトリックで、一応ゴッドペアレンツを誰にするかいろいろ考えていたところ) Sはお父さんがトルコ系なのだが、お母さんがコロンビア系なので、一応定義上カトリックとして育てられたという なんだちょうどいいじゃん!S本人は、あたしキリスト信じてないんだけど、いい?とか言っていたが、いいんです!ついでに話の流れで隣に座っていたAがゴッドファーザーになる てかAはムスリムなんですけど、いいんですか?いいんです!(多分、いいんです。。。少なくともゴッドペアレンツの一人がカトリックであれば定義上は。。。てかそんな事を言えば、親のわたしがそもそもクリスチャンじゃない)
わたしたち夫婦にもしものことがあれば、SとAが娘を引き取ることになる(まあ別に法的拘束力があるわけじゃないのだが) そうなったら、体育会系のふたりは娘をアスリートにすることに人生を捧げるだろう まだわたしら死んでないのに、ふたりはすでにその話題で盛り上がっていた
調子を崩しがちだったり、根詰めて作業しているときは人に会いたくないと思うこともあって、わたしはこの町ではかなり孤独に暮らしているのだが、こういう人たちが周りにいてくれて本当によかったと思う しかし、ベイビーシャワー、日ごろの不義理がたたってか、来てくれそうな人がまったく思い浮かばない 友達いなさすぎだな自分 笑
7/10/2011
マイアミ州内旅行3
夫の用事が済むと、すぐに車でキーウェストに向けて移動する
事前の計算ではマイアミから5時間ぐらい?かかる予定であったが、実際はそんなにかからなかったと思う
道はUS1の一本だけなので混んでいると悲惨だが、そうでもなかった
キーウェストに向かう途上で有名なのはもちろんセブン・マイル・ブリッジだが、実際に渡ってみると、あれ?もう終わりか?みたいな拍子抜け感があった 南部はけっこう海にかかる橋が多いので、けっこう見慣れた風景だったし、個人的にはニューオーリンズ近郊のポンチャートレイン湖橋(世界一長い橋!)の方がよほど感動が大きかった ちなみにキーウェストに行く場合往復車だとかなり暇だということがわかったので、これから行く人は片方は飛行機でいいかもしれない
キーウェストには二泊して、小さい島なのですることはそんなになかったが、のんびりできてよかった
泊まったホテル(写真参照)がとても鄙びた感じで、雰囲気よかった(しかも安かった)
ビーチに行ければ、と思っていたが、とんでもなくしけた小さい砂浜、、、と言えるものしかなかったので、どうも泳ぐところではないらしい さらに小さな無人島まで行くとシュノーケリングやダイビングにいいところはあるそうだ
ビーチでは、海水に浸食され海藻だらけの砂の上に、どうしても体を焼きたい若い子と、Tバックに、何と言うのだ?角隠し?みたいなものがついた小さな小さな水着を着たおじさんが横たわっていたのみであった そういえばキーウェストは、ゲイの聖地でもある
とにかく泳ぐのはあきらめて、目玉のひとつであるへミングウェイ宅に向かう 昼前で、人でごった返している中、寝室、書斎など見て回る 庭に出ると、話には聞いていたが猫だらけ、猫まみれ ペットソサエティによってきちんと管理されているらしい
へミングウェイが六本指の猫を珍しがって、増やすことにしたのが始まりらしいが、今現在いる猫たちは五本指と、六本指と半々くらいらしい
いそいそと写真を撮って回っていると、木陰に隠れた老巨猫が、六本指の足をいかにもめんどくさそうにこちらに差し出してきた きっと来る日も来る日も人間たちが来ては、指が六本かどうか確認しようとするので、前もって足を出しておくことにしたのだろう
ほかにも夕日がきれいな場所とか、合衆国最南端ポイントとか、US1の基点と終点とか、おいしいシーフードレストランとか、いろいろあったのだが、長いので省略
最後に、キーライムパイが本当においしかったことだけ付け加えておく
キーライムという普通のライムより一回り小さいもののをふんだんに使ったパイで、実は今住んでいるところでも食べられるので、そんなに期待していなかったけど、これがところがどっこいまさに本場の味という感じで、よかった
事前の計算ではマイアミから5時間ぐらい?かかる予定であったが、実際はそんなにかからなかったと思う
道はUS1の一本だけなので混んでいると悲惨だが、そうでもなかった
キーウェストに向かう途上で有名なのはもちろんセブン・マイル・ブリッジだが、実際に渡ってみると、あれ?もう終わりか?みたいな拍子抜け感があった 南部はけっこう海にかかる橋が多いので、けっこう見慣れた風景だったし、個人的にはニューオーリンズ近郊のポンチャートレイン湖橋(世界一長い橋!)の方がよほど感動が大きかった ちなみにキーウェストに行く場合往復車だとかなり暇だということがわかったので、これから行く人は片方は飛行機でいいかもしれない
キーウェストには二泊して、小さい島なのですることはそんなになかったが、のんびりできてよかった
泊まったホテル(写真参照)がとても鄙びた感じで、雰囲気よかった(しかも安かった)
ビーチに行ければ、と思っていたが、とんでもなくしけた小さい砂浜、、、と言えるものしかなかったので、どうも泳ぐところではないらしい さらに小さな無人島まで行くとシュノーケリングやダイビングにいいところはあるそうだ
ビーチでは、海水に浸食され海藻だらけの砂の上に、どうしても体を焼きたい若い子と、Tバックに、何と言うのだ?角隠し?みたいなものがついた小さな小さな水着を着たおじさんが横たわっていたのみであった そういえばキーウェストは、ゲイの聖地でもある
とにかく泳ぐのはあきらめて、目玉のひとつであるへミングウェイ宅に向かう 昼前で、人でごった返している中、寝室、書斎など見て回る 庭に出ると、話には聞いていたが猫だらけ、猫まみれ ペットソサエティによってきちんと管理されているらしい
へミングウェイが六本指の猫を珍しがって、増やすことにしたのが始まりらしいが、今現在いる猫たちは五本指と、六本指と半々くらいらしい
いそいそと写真を撮って回っていると、木陰に隠れた老巨猫が、六本指の足をいかにもめんどくさそうにこちらに差し出してきた きっと来る日も来る日も人間たちが来ては、指が六本かどうか確認しようとするので、前もって足を出しておくことにしたのだろう
ほかにも夕日がきれいな場所とか、合衆国最南端ポイントとか、US1の基点と終点とか、おいしいシーフードレストランとか、いろいろあったのだが、長いので省略
最後に、キーライムパイが本当においしかったことだけ付け加えておく
キーライムという普通のライムより一回り小さいもののをふんだんに使ったパイで、実は今住んでいるところでも食べられるので、そんなに期待していなかったけど、これがところがどっこいまさに本場の味という感じで、よかった
フロリダ州内旅行2
毎週一定の量の原稿を指導教官のところに送る手筈となってるので、なかなかブログも更新できない
昨日今週分を出したので、今日は時間的に少し余裕がある
でマイアミだが。。。
何かもう記憶が薄れてきたが、とにかく先述の車のトラブルのせいで、観光に使えたのは一日だけだった 夫が朝早くから日本領事館に出かけていったので、わたしもそれに合わせてホテルを出て、電車とバスを乗り継いでマイアミビーチ市(グレーターマイアミと言われる本島部分に面した小さい島で、ビーチだとか人が一般的にマイアミの観光地と言って思い浮かべるような場所はここに集中している)まで出かけていった
電車やバスの中は、スペイン語が飛び交っていて、州内のほかの場所とはやはり違うという印象
ダウンタウンのバスターミナルは、ホームレスがたむろしていておしっこ臭かった 土地勘がないのであれなのだが、雰囲気のよい場所とよくない場所がめちゃくちゃに入り組んでいる気がする(ただし昼間歩く分には特に身の危険を感じたりはしない)
マイアミビーチに着き、サウスビーチの大通り沿いのアールデコ建築を見ながら歩く
パステルカラーで四角い建物のほとんどはホテルである
アールデコ建築群は20年代から40年代初頭にかけて建てられ、装飾性とか流線型が特徴とのこと 今の視点で見るとまあポップでかわいらしいのだが、当時としてはキッチュで俗悪な成金趣味だったのだろうか
今、ちょうど20年代から30年代辺りを博論で扱ってるので、この時代のフロリダに関する歴史書も読んでいるが、20年代のフロリダは空前の土地ブームでマイアミ中心に州が大きく発展した時代 これらの建築群は、その名残でもある
しかし、恐慌の影響もあって観光地としてのマイアミは徐々に寂れていき、80年代初頭辺りには治安も最悪だったとのこと 「スカーフェイス」はこの頃のマイアミでロケしたんだそうだ 確かに、雰囲気の悪さはよく出ている 笑
そこはかとない寂れ感と退廃というのは、実は今のマイアミビーチを歩いてすら感じられる 何かとにかくホームレスと前夜に飲みすぎて行き倒れている人が多く、一見きれいな屋外型ショッピングモールもそこら中おしっこ臭い
全体としては、(寂れ感も含め)何だか熱海みたいだ ホテルが建ち並ぶ海岸通りはあの、お宮の松がある辺りに、どことなく似ていた
本当はマイアミビーチを出てからダウンタウンに戻り、リトルハバナをふらついて見たかったのだか、時間がなく断念
まあおしゃれでも何でもないし特に何があるってわけでもないのだろうが、サンティリア(ヴードゥーのキューバ版のようなもの)グッズの店なんかあるみたいで、ちょっと面白そうだった
実は日本領事館はこのリトルハバナとかなり近くにあるので、あとで夫に言ったら、行ってみたかったみたいで残念がっていた
キューバの料理とか、せめて道端でエンパナーダ(中南米の人がよく食べる具入り揚げパンみたいなもの)でも買って食べられればよかったなと思う
昨日今週分を出したので、今日は時間的に少し余裕がある
でマイアミだが。。。
何かもう記憶が薄れてきたが、とにかく先述の車のトラブルのせいで、観光に使えたのは一日だけだった 夫が朝早くから日本領事館に出かけていったので、わたしもそれに合わせてホテルを出て、電車とバスを乗り継いでマイアミビーチ市(グレーターマイアミと言われる本島部分に面した小さい島で、ビーチだとか人が一般的にマイアミの観光地と言って思い浮かべるような場所はここに集中している)まで出かけていった
電車やバスの中は、スペイン語が飛び交っていて、州内のほかの場所とはやはり違うという印象
ダウンタウンのバスターミナルは、ホームレスがたむろしていておしっこ臭かった 土地勘がないのであれなのだが、雰囲気のよい場所とよくない場所がめちゃくちゃに入り組んでいる気がする(ただし昼間歩く分には特に身の危険を感じたりはしない)
マイアミビーチに着き、サウスビーチの大通り沿いのアールデコ建築を見ながら歩く
パステルカラーで四角い建物のほとんどはホテルである
アールデコ建築群は20年代から40年代初頭にかけて建てられ、装飾性とか流線型が特徴とのこと 今の視点で見るとまあポップでかわいらしいのだが、当時としてはキッチュで俗悪な成金趣味だったのだろうか
今、ちょうど20年代から30年代辺りを博論で扱ってるので、この時代のフロリダに関する歴史書も読んでいるが、20年代のフロリダは空前の土地ブームでマイアミ中心に州が大きく発展した時代 これらの建築群は、その名残でもある
しかし、恐慌の影響もあって観光地としてのマイアミは徐々に寂れていき、80年代初頭辺りには治安も最悪だったとのこと 「スカーフェイス」はこの頃のマイアミでロケしたんだそうだ 確かに、雰囲気の悪さはよく出ている 笑
そこはかとない寂れ感と退廃というのは、実は今のマイアミビーチを歩いてすら感じられる 何かとにかくホームレスと前夜に飲みすぎて行き倒れている人が多く、一見きれいな屋外型ショッピングモールもそこら中おしっこ臭い
全体としては、(寂れ感も含め)何だか熱海みたいだ ホテルが建ち並ぶ海岸通りはあの、お宮の松がある辺りに、どことなく似ていた
本当はマイアミビーチを出てからダウンタウンに戻り、リトルハバナをふらついて見たかったのだか、時間がなく断念
まあおしゃれでも何でもないし特に何があるってわけでもないのだろうが、サンティリア(ヴードゥーのキューバ版のようなもの)グッズの店なんかあるみたいで、ちょっと面白そうだった
実は日本領事館はこのリトルハバナとかなり近くにあるので、あとで夫に言ったら、行ってみたかったみたいで残念がっていた
キューバの料理とか、せめて道端でエンパナーダ(中南米の人がよく食べる具入り揚げパンみたいなもの)でも買って食べられればよかったなと思う
6/28/2011
お知らせ
博論が忙しくてなかなかブログに当たる暇がなかったんですが、Facebookにも書いたのでここを読んでくださっている方々にもお知らせしておきます
この度子どもができまして、11月に生まれる予定です 性別は女の子です
現在はちょうど18週あたりです(たぶん日米どちらの数え方でも五ヶ月)
もう少し早くご報告できるとよかったのですが、わたしは流産経験が2度あり、初期の頃は流産防止のためにホルモン剤を服用していて妊娠継続できるかやや不安があったのと、13週の超音波検査で胎児にNTと言われる首の後ろの浮腫が見つかり、染色体異常(ダウン症など)のリスクがあると言われたので、prenatal diagnostic test これは日本語では出生前診断テストというのか?を受けたりして、なかなか安心してみなさんにご報告、というところまで行きませんでした
わたしが受けたのは、日本ではたぶんまだあまりメジャーでない絨毛検査(Chorionic Villus Sampling [CVS])というのと、あとアメリカですらメジャーでない(ということは保険が下りないかもしれない)panel arrayとかいうDNAがどうしたこうしたみたいな難しい検査でしたが、CVSの結果メジャーな異常は見つかりませんでした 後者の方は、NTの原因を念のため詳しく調べるためのもので、まだ結果が出ていません
結果として重大な障害などは見つからなかったけど、この検査を受けている時期は何かとストレスフルで、博論も手につかなかったです わたしたち夫婦としては、胎児に重篤な染色体異常が見つかれば精神的にも経済的にも育てていくことは無理なので、妊娠は継続しないということで意見が一致していて、もし運良く再度妊娠できて、さらに同じような結果となっても、結論は変わらない、その後もう子どもができなくなれば、夫婦二人でやっていこう、というところまで話し合いました かなり濃密な話し合いでお互いの意見がクリアになったのはよかったけど、こういったすべてのことを本当に2日ぐらい(CVSは13週までしか受けられなくて、時間がなかった)で詰めなくてはいけないというのは、しんどかった
あと、こういう決断を迫られるのは確率的にやっぱり高齢の人が多い 35歳を過ぎるとダウン症のリスクは一年毎にうなぎ上り、というのは昔から情報としては知っていたけど、自分の身に突きつけられるとやはり、きついです それに高齢妊婦さんの中には不妊や不育治療を経て妊娠に至った人も多いわけで、そういう人にとって出生前診断は必要だけれど、検査後の選択は、どうすることを選ぶにしろ大変なものに違いないと思います
高齢出産って、大変なのね 無事妊娠して継続できるという段階に行くだけでも、けっこう時間かかったので、身にしみて感じます
とりあえず今は、元気にやっています というか、毎日博論漬けです 子どもが産まれた直後は、やっぱり時間が取れなくなるだろうから、今が勝負です
で、旅行の話の続きはどこに行ったんだという話ですが、追ってすぐ書きます もう記憶が薄れつつあるが。。。
この度子どもができまして、11月に生まれる予定です 性別は女の子です
現在はちょうど18週あたりです(たぶん日米どちらの数え方でも五ヶ月)
もう少し早くご報告できるとよかったのですが、わたしは流産経験が2度あり、初期の頃は流産防止のためにホルモン剤を服用していて妊娠継続できるかやや不安があったのと、13週の超音波検査で胎児にNTと言われる首の後ろの浮腫が見つかり、染色体異常(ダウン症など)のリスクがあると言われたので、prenatal diagnostic test これは日本語では出生前診断テストというのか?を受けたりして、なかなか安心してみなさんにご報告、というところまで行きませんでした
わたしが受けたのは、日本ではたぶんまだあまりメジャーでない絨毛検査(Chorionic Villus Sampling [CVS])というのと、あとアメリカですらメジャーでない(ということは保険が下りないかもしれない)panel arrayとかいうDNAがどうしたこうしたみたいな難しい検査でしたが、CVSの結果メジャーな異常は見つかりませんでした 後者の方は、NTの原因を念のため詳しく調べるためのもので、まだ結果が出ていません
結果として重大な障害などは見つからなかったけど、この検査を受けている時期は何かとストレスフルで、博論も手につかなかったです わたしたち夫婦としては、胎児に重篤な染色体異常が見つかれば精神的にも経済的にも育てていくことは無理なので、妊娠は継続しないということで意見が一致していて、もし運良く再度妊娠できて、さらに同じような結果となっても、結論は変わらない、その後もう子どもができなくなれば、夫婦二人でやっていこう、というところまで話し合いました かなり濃密な話し合いでお互いの意見がクリアになったのはよかったけど、こういったすべてのことを本当に2日ぐらい(CVSは13週までしか受けられなくて、時間がなかった)で詰めなくてはいけないというのは、しんどかった
あと、こういう決断を迫られるのは確率的にやっぱり高齢の人が多い 35歳を過ぎるとダウン症のリスクは一年毎にうなぎ上り、というのは昔から情報としては知っていたけど、自分の身に突きつけられるとやはり、きついです それに高齢妊婦さんの中には不妊や不育治療を経て妊娠に至った人も多いわけで、そういう人にとって出生前診断は必要だけれど、検査後の選択は、どうすることを選ぶにしろ大変なものに違いないと思います
高齢出産って、大変なのね 無事妊娠して継続できるという段階に行くだけでも、けっこう時間かかったので、身にしみて感じます
とりあえず今は、元気にやっています というか、毎日博論漬けです 子どもが産まれた直後は、やっぱり時間が取れなくなるだろうから、今が勝負です
で、旅行の話の続きはどこに行ったんだという話ですが、追ってすぐ書きます もう記憶が薄れつつあるが。。。
6/21/2011
フロリダ州内旅行1
というわけでフロリダ州内旅行に行ってきたのだが
実は初日に車のトラブルに見舞われて大変な幕開けとなった
うちの車(Chevyのインパラ 通称モンキー車)は計器類が全部壊れているのと時々エンジンがかからないことがあるのと時々ガス臭かったりなど満身創痍なので、旅行前にアラバマに行って、夫のお父さんの車(ヒュンダイのジェネシスというファンシーな車)を借りてきたのだが、朝4時半に家を出てまだ暗い町を走っていると、まだインターステートの合流にも差し掛からないうちに右後輪がパンクする そこで真っ暗な中、夫がスペアタイヤと取り替える 他の車もちらほら通り過ぎていくが、誰も止まって助けようとはしない これがミシシッピだったら、最初に出会うレッドネックのピックアップトラックが止まってくれるだろうに、と夫言う ほんとに都会は冷たい
苦労してタイヤを付け替えた末、とにかくこのまま走り続け、めぼしい町でタイヤ屋を見つけて交換するか、家に戻ってこの町の店が開くのを待つかで迷ったが、結局家に戻ることにする タイヤはブリヂストンのだったのだが、ネットで調べて電話するとどのタイヤ屋もうちの車の型に合うタイヤを置いていないみたいだし、ワランティが利くというのもあって、ヒュンダイのディーラーでタイヤ交換してもらうことにする
ディーラーに車を入れて待っていると、担当の兄ちゃんが「ちょっと。。。」と言って夫を呼びに来た もうできたのかと思ったら、どうやらただのパンクではなく、中心の金属部分を太いボルトのようなものが貫通しているという そんなことってありえるのかという感じだが、実際に見てみたら金属にばっちり穴が空いていた この部分もろとも交換できるかと聞くと、どうもタイヤ自体珍しい型のもののようで、店中のジェネシスを探し回ったが同じ部品を使ってるものはなく、カリフォルニアまで注文しなければならず、それには早くても2日かかるという
この旅行は単に遊びではなく、夫がマイアミの日本領事館で奨学金の面接を受けるという目的があり、面接は明日午前なのでどうしても今日中にマイアミ(車で8~9時間)までたどり着かなくては行けないことを伝えると、兄ちゃんは話のわかる人で、偉い人に掛け合ってくれて、ディーラー側が車を直している間の分のレンタカー代を負担することで、すぐに出発できることになった 修理期間を超えての追加料金はこちら持ちになるので、予定していたHurstonとRawlingsに関する土地巡りはあきらめることになったが、行けないよりはずっとましだ
気をよくしてディーラーの隣のエンタープライズ(レンタカー屋)に行くと、すごく混んでいてカオス状態になっている
従業員は5人くらいいるから人手が足りていないのではないのだが、仕事ができる若い兄ちゃん1人とあと無能4人、という構成で、しかも客が、事故ったけど別の車に代えて借り続けたいのだが保険が下りないとか、21歳未満だから特別な車しか貸せない(?)とかちょっとめんどくさい感じの人が多く、無能のうち1名がうまく仕事を裁けないでいると、有能な兄ちゃんがそれまでやっていることを放り出して助けに行く、ということをしているので、なかなか人が捌けない わたしたちは書類関連はさっさと済ませて車が上がってくるのを待っているだけだったが、待てど暮らせど車がこない 結局このレンタカー屋に来てから、4、50分はかかった気がする
ようやく用意された車を見ると、しけたダッジのハッチバックで、工場に入れた車のクオリティーに合わせて用意してくれるんじゃないか、レクサスとはいかなくてもせめて日産のアルティマとかが来るんじゃないかなどと勝手に期待していたわたしは、かなりがっくり来た(たぶん一番安いプランしかディーラーは負担できないのだと思うので、仕方がないが) わたしは全然運転しなかったのだが、ハンドルは軽くてくるくる回ってしまうし、ハッチバックで後ろの窓が小さいから車線変更の時全然よく見えないし、旅行中はずっとI hate this carと言っていた
何だかんだでようやく出発できたのが11時半、この朝最初に家を出てから、実に7時間経っていた
(もうここまで書いただけで疲れたので次に続く)
実は初日に車のトラブルに見舞われて大変な幕開けとなった
うちの車(Chevyのインパラ 通称モンキー車)は計器類が全部壊れているのと時々エンジンがかからないことがあるのと時々ガス臭かったりなど満身創痍なので、旅行前にアラバマに行って、夫のお父さんの車(ヒュンダイのジェネシスというファンシーな車)を借りてきたのだが、朝4時半に家を出てまだ暗い町を走っていると、まだインターステートの合流にも差し掛からないうちに右後輪がパンクする そこで真っ暗な中、夫がスペアタイヤと取り替える 他の車もちらほら通り過ぎていくが、誰も止まって助けようとはしない これがミシシッピだったら、最初に出会うレッドネックのピックアップトラックが止まってくれるだろうに、と夫言う ほんとに都会は冷たい
苦労してタイヤを付け替えた末、とにかくこのまま走り続け、めぼしい町でタイヤ屋を見つけて交換するか、家に戻ってこの町の店が開くのを待つかで迷ったが、結局家に戻ることにする タイヤはブリヂストンのだったのだが、ネットで調べて電話するとどのタイヤ屋もうちの車の型に合うタイヤを置いていないみたいだし、ワランティが利くというのもあって、ヒュンダイのディーラーでタイヤ交換してもらうことにする
ディーラーに車を入れて待っていると、担当の兄ちゃんが「ちょっと。。。」と言って夫を呼びに来た もうできたのかと思ったら、どうやらただのパンクではなく、中心の金属部分を太いボルトのようなものが貫通しているという そんなことってありえるのかという感じだが、実際に見てみたら金属にばっちり穴が空いていた この部分もろとも交換できるかと聞くと、どうもタイヤ自体珍しい型のもののようで、店中のジェネシスを探し回ったが同じ部品を使ってるものはなく、カリフォルニアまで注文しなければならず、それには早くても2日かかるという
この旅行は単に遊びではなく、夫がマイアミの日本領事館で奨学金の面接を受けるという目的があり、面接は明日午前なのでどうしても今日中にマイアミ(車で8~9時間)までたどり着かなくては行けないことを伝えると、兄ちゃんは話のわかる人で、偉い人に掛け合ってくれて、ディーラー側が車を直している間の分のレンタカー代を負担することで、すぐに出発できることになった 修理期間を超えての追加料金はこちら持ちになるので、予定していたHurstonとRawlingsに関する土地巡りはあきらめることになったが、行けないよりはずっとましだ
気をよくしてディーラーの隣のエンタープライズ(レンタカー屋)に行くと、すごく混んでいてカオス状態になっている
従業員は5人くらいいるから人手が足りていないのではないのだが、仕事ができる若い兄ちゃん1人とあと無能4人、という構成で、しかも客が、事故ったけど別の車に代えて借り続けたいのだが保険が下りないとか、21歳未満だから特別な車しか貸せない(?)とかちょっとめんどくさい感じの人が多く、無能のうち1名がうまく仕事を裁けないでいると、有能な兄ちゃんがそれまでやっていることを放り出して助けに行く、ということをしているので、なかなか人が捌けない わたしたちは書類関連はさっさと済ませて車が上がってくるのを待っているだけだったが、待てど暮らせど車がこない 結局このレンタカー屋に来てから、4、50分はかかった気がする
ようやく用意された車を見ると、しけたダッジのハッチバックで、工場に入れた車のクオリティーに合わせて用意してくれるんじゃないか、レクサスとはいかなくてもせめて日産のアルティマとかが来るんじゃないかなどと勝手に期待していたわたしは、かなりがっくり来た(たぶん一番安いプランしかディーラーは負担できないのだと思うので、仕方がないが) わたしは全然運転しなかったのだが、ハンドルは軽くてくるくる回ってしまうし、ハッチバックで後ろの窓が小さいから車線変更の時全然よく見えないし、旅行中はずっとI hate this carと言っていた
何だかんだでようやく出発できたのが11時半、この朝最初に家を出てから、実に7時間経っていた
(もうここまで書いただけで疲れたので次に続く)
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